ポピュリスト政治家にして天才リクルーター、グリンデルバルド~『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(ネタバレあり)

 『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』を見てきた。前作はものすごく気に入っており、かなり気合いの入った批評を書いている。

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 シリーズ第2作となる本作は、プロットが複雑すぎるということで前評判がイマイチだったのだが、こんなん『ミッション:インポッシブル』シリーズとか最近の極端に複雑化したアクション映画に比べればまあ朝飯前程度の複雑さである。それに少なくともこのシリーズは『ミッション:インポッシブル』と違って、最初からストーリーの回収を考えて複雑にしているので、不安にならないし。

 

 新しい設定と世界観を作るのが中心だった前作に比べると、今作はハリー・ポッターシリーズにつながる新しい開示がたくさんあり、ビックリするような過去のいきさつがわかる上、最後はとんでもないクリフハンガーで終わる。しかもけっこうどれも辛い展開が多い。あまりネタバレしないようにしたほうがいい…のだが、多少はネタバレしないと感想も書けない。

 

 今作では悪役であるグリンデルバルド(ジョニー・デップ)が変装をやめて(少しはするけど)堂々と登場し、いろいろな悪事を働くわけだが、このグリンデルバルドは魔法の力が優れているという以上に、雄弁で話にすごく説得力がある。カリスマはあるがちょっと暗いところがあったヴォルデモートに比べると、グリンデルバルドは天性の雄弁家で、ポピュリスト政治家であり、人前でのスピーチにも一対一の個人的な説得術にも長けている。1927年という時代背景を考えると、このマグル嫌いの扇動政治家は明らかにナチスファシストなのだが、終盤の見せ場である集会のところでは、第二次世界大戦のヴィジョンを見せてこれを防ぐために改革が必要なのだというプロパガンダを行い、それにあろうことかユダヤ系であるクイニー(アリソン・スドル)が乗せられてしまうという、歴史を考えると実につらい展開がある。ファシズムは時として高い理想を伴って現れるので、クイニーのように善良で理想を持っている人が乗せられてしまうこともあるのだ。

 

 このクイニーがグリンデルバルドに付いてしまうというのが今作の衝撃のひとつなのだが、そうは言っても前作でアメリカ合衆国魔法議会がクイニーをどう扱っていたか考えると、全く予想がつくような展開である。クイニーは人の心が読める特殊技能を持っているのにアメリカの魔法政府はこの技能の可能性に全く気付かず、力を生かせない仕事をさせていた。特殊な技術を持っているのにあまり出しゃばらない穏やかな人が冷遇されるというのはよくあることだが、さらにクイニーの場合、とても美人で優しい女性だったので、可愛くてグラマーな女性はおばかちゃんだという偏見のせいで全く尊敬されていなかったというのもある。こんな待遇でさらに法的規制のせいで恋愛すらおぼつかない立場にいるとなれば、ライバルが目をつけてつけ込んでくるのは当然だ。その点、ある程度評価されているティナ(キャサリン・ウォーターストン)とかフィールド屋で自由人のニュート(エディ・レッドメイン)ではなく、クイニーの能力を狙ったグリンデルバルドはアメリカの魔法政府よりずっと狡猾だ。彼がつけこむのはクイニーとかクリーデンス(エズラ・ミラー)とか、能力はあるのに適切な評価を受けていない人たちである。グリンデルバルドは天才的なリクルーターだ。

 

 こんなに狡猾でカリスマのあるグリンデルバルドに対抗する手はあるのか…と心配になるところだが、ニュートは学者らしく動物を使ってグリンデルバルドを出し抜こうとするし、どうにかダンブルドア(ジュード・ロウ)もなんとか参戦できる態勢が整い、反撃は次作からという感じで終わる。ちなみにダンブルドアが初登場する場面はあまりにも強調されているので、応援上映やるとしたら「よっ、待ってました!」などのかけ声が飛ぶところだと思う。

 

 なお、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』という日本語タイトルははっきり言って正しくないと思う。宣伝ではグリンデルバルドが「黒い魔法使い」と言われているが、グリンデルバルドは白っぽいブロンドを逆立てたパンクな髪型の男で、とくに黒っぽいイメージカラーを持っているわけではないのでヴィジュアル的にあまりよろしくない。さらにdark artsを使うということを強調したいならば「黒い魔法」ではなく「闇の魔術」とすべきだと思う。そして最後まで見ると、なんとグリンデルバルドが「黒い魔法使い」ではないんじゃないか…ということがわかってくるので、宣伝はほぼ嘘である。なんでこんな変な日本語タイトルにしたんだろう?

 

 なお、おそらくこの映画はベクデル・テストはパスする。パニックになったクイニーを、グリンデルバルドの手下であるロジエールが助ける場面で女性同士の会話があるからだ。

逃げ去る夜の夢~カクシンハン『ヴェニスの商人』

 カクシンハン『ヴェニスの商人』を見てきた。

 

 平らな舞台の三方を客席が囲むスタイルで、服装はだいたい現代っぽいがシャイロックだけは少々違う衣類を着ている。奥の客席がないところには小高くなった台があり、ここはシャイロックの家として使われたり、ポーシャが箱選びの時に座る場所として使われたりする他、プロジェクションで場所の設定を示す"Ghetoo"(ゲットー)などの文字などが映されたりもする。箱選びの場面では、いつものカクシンハンらしく上からパイプ椅子が降りてくる。

 

 かなりブラックユーモア寄りの演出で、全体的に悪夢のようである。アントーニオ(白倉裕二)の周りに仮面をつけて猿のような意味不明な囁きを発する人々が集まってくるという始まり方じたいがまるで悪夢のようだ。シャイロックは途中でキリスト教徒たちが踊り狂うという悪夢を見るのだが、最後は改宗して十字架を下げたシャイロックとアントーニオという、この芝居で疎外されてしまう2人の人物がバカ踊りをするという、まるで悪夢が現実になってしまったかのようなオチになっている。この芝居の終盤には、ジェシカとロレンゾーが「こんな夜に…」と美しい夜の情景の中で愛を語り合うとてもロマンティックな場面があるのだが、なんとこの演出ではジェシカがロレンゾーを捨てて逃げてしまい、この場面はポーシャが2人の交換日記をこっそり読んで「うまくいっていないのかしら」などと言うという内容に変更されており、美しい夜の夢は全くない。美しい夜を象徴するジェシカは逃げてしまい、夢は全部悪夢になった。

 

 全体的にはとても面白くてエネルギッシュな演出だったと思う。モロッコアラゴンがポーシャの求婚に来るところはかなりテンポを良くしようとしている。1人目の求婚者モロッコについてはブラックフェイスを避けるため、オセロスという宗教上の理由で仮面をつけている求婚者に変えて素早くやっているし、2人目のアラゴンの場面はほとんどワンカットくらいに短くしていて、この求婚が3回出てくるところはたるみやすいのでなかなか工夫しているなと思った。ただ、ベルモントを明らかにヴェニスと違う場所に見せるため、ネリッサを男性でほとんどグラシアーノと同じ背格好のデイヴィッド・ジョン・テイラーに演じさせ、ベルモントでは英語、ヴェニスでは日本語を話させるというのはちょっと奇抜にすぎるように思った。というのも、ネリッサはとても小柄だというのが原作で言及されており、たぶんちっちゃいのに大人の男のふりをしようとするというのが面白みを出していると思うからである。もとからでっかい男性をキャスティングすると、ちょっとこの面白みがなくなる。

 

 キャストは全体的にとても良かった。河内大和のシャイロックは大変素晴らしく、場面ごとの感情のメリハリがとてもしっかりしている。とくに娘のジェシカに逃げられた後ではじめて入ってくるところでは、前の場面より10キロくらいやせてるように見えた。バサーニオに対する恋心を隠している憂鬱なアントーニオ(白倉裕二)や、テキパキして美しいがひとくせあるポーシャ(真以美)も良い。

 

次回早稲田エクステンションセンターの授業では『テンペスト』を扱います

 次回1/21から早稲田大学中野エクステンションセンターで行われる「あなたがまだ知らないかもしれないシェイクスピア―『テンペスト』を読む」では、『テンペスト』を扱います。お気軽にご参加ください。

あなたがまだ知らないかもしれないシェイクスピア―『テンペスト』を読む | 北村 紗衣 | [公開講座] 早稲田大学エクステンションセンター

サイエンスポータルにウィキペディアセミナーの告知がのりました

 サイエンスポータルにお願いして、12/15のウィキペディア講習会の告知をのせて頂きました。お気軽にお申し込みください。

『オスカー・ワイルド研究』に論文がのりました

 『オスカー・ワイルド研究』に論文を投稿しました。書誌情報は以下のとおりです。

 

北村紗衣「ワイルドが言うとおりにワイルドを解釈することはできるか?-アナーキーと「著者の意図」の間で」『オスカー・ワイルド研究』17 (2018):55-72。

 

 昨年のワイルド協会大会で発表した内容を論文化したものです。今年は本を2冊と論文を3本出しましたが、これで年内の出版は終わりの予定です。

ミュージカルらしい『メタルマクベス disc3』

 『メタルマクベス disc 3』を見てきた。disc 1disc 2と基本的にはあまり変わらない印象だったのだが、主演が浦井健治長澤まさみだったせいか、少しミュージカル風味が強いかもと思った。あと、相変わらず体力が必要でつかれるプロダクションだ…

ピカイチの革命家、サイテーの夫~NTライヴ『ヤング・マルクス』(ネタバレあり)

 ナショナル・シアター・ライヴで『ヤング・マルクス』を見てきた。ニコラス・ハイトナーなどが立ち上げた新劇場ブリッジ・シアターのこけら落とし作品で、リチャード・ビーンとクライヴ・コールマンによる新作である。

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 舞台は1850年のロンドン。大陸から亡命してきた革命家カール・マルクス(ロリー・キニア)は、才知や弁舌のほうはピカイチでもまったく生活力のない人物で、妻のイェニー(ナンシー・キャロル)やメイドで活動家のニム(ローラ・エルフィンストン)、親友のエンゲルス(オリヴァー・クリス)に迷惑をかけっぱなしだった。家具は差し押さえられ、活動家仲間とは決闘沙汰、さらにマルクスと不倫関係になってしまったニムが妊娠し…

 

 革命家・理論家としては並ぶ者も無い才気とカリスマを有していたマルクスが、私生活ではメチャクチャで大変困った人であり、家族や友人に迷惑をかけまくる様子をコミカルに描いた作品である。全く稼ぎがなくて子どもの薬代や教育費も出せないため、生活費は親友であるエンゲルスに出してもらっている。その程度ならまあ笑ってすませられるかもしれないのだが、妻の私物を盗んで質入れしようとして大失敗するわ、決闘で身代わりになって命を救ってくれた活動仲間シュラムにロクにお礼も言わないわ、どんどんクズっぷりがエスカレートする。さらには家族の一員で活動仲間としても欠かせない存在であるニムを口説いて妊娠させてしまい、スキャンダルを避けるため女にもてるエンゲルスが父親だということにしようとするなど、度を超したダメ男エピソードが次から次へと出てくる。しかもメイキングの解説によると、時系列や場所などについて若干の脚色はあってもエピソードじたいはほぼ史実に基づいているらしい。

 

 そういうわけでマルクスはたいへんなダメ男だしサイテーの夫で、まったく友だち甲斐もない男なのだが、あまりにも才気とカリスマに溢れているせいで、どんなにひどいことをしても周りの人がなぜか彼を許してやってしまう。妻やニム、シュラムはもちろん、エンゲルスとは熱烈なブロマンス関係にあり、エンゲルスマルクスに執筆させるためなら何でもやる。そんなとんでもない人なのになぜか憎めなくて魅力的なマルクスを、ロリー・キニアが愛嬌とユーモアたっぷりに演じている。

 

 19世紀のロンドンの雰囲気を表したセットも魅力的で、ヴィクトリア朝のソーホーのスカイラインを背景で表現し、たまにマルクスが警察などから逃げるため屋根にのぼったりするなど、上下の動きもうまく使ってロンドンの街路をよく再現している。当時のソーホーではヨーロッパにいられなくなった亡命者たちが自由に暮らせたそうで、この作品では故郷から離れてはいても仲間がたくさんいるドイツ系移民コミュニティの親密な雰囲気を強調しており、亡命中とはいってもノスタルジックな寂しさは全然なく、大陸からやってきた移民たちのおかげでロンドンの知的活動がえらく活発化している。このあたりは昨今のBrexitをめぐる動きをやんわり批判しているのかもしれない。