今回の連載は「その露出には意味がある~『シャーロック』と『アメリカン・ハッスル』に見る女性の体の表現」です

 今回のwezzyの連載は「その露出には意味がある~『シャーロック』と『アメリカン・ハッスル』に見る女性の体の表現」です。『シャーロック』のアイリーン(ララ・パルヴァー)の全裸と『アメリカン・ハッスル』のシドニー(エイミー・アダムズ)の脇乳ドレスについて書きました。

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『アフター6ジャンクション』の「英語圏のボーイズ・ラブ、【スラッシュ・カルチャー】入門」補足(文献情報など)

 昨日の『アフター6ジャンクション』で「英語圏のボーイズ・ラブ、【スラッシュ・カルチャー】入門」を聞いて下さった皆様、ありがとうございました。昔から聞いていた宇多丸さんの番組に出られるなんて、本当に光栄でした(しかも『アフター6ジャンクション』に出るよと告知しただけで学生からいまだかつてない尊敬を受けることができてビックリしました)。ちょっと緊張してアカデミック度が減少しただのファンガールになってしまった上、早口(いつもは授業であの調子で90分しゃべってます)だわ父が暴走するわでしたが、宇多丸さん、日比さん、古川さんに助けていただいて楽しく話すことができました。トークここから聞けます。

 

 それで、いつもはスライドを作って話すので固有名詞などは文字で示すのですが、ラジオだとそれができないのにいつもの調子でやってしまったので、文献などの補足情報をいくつか文字で出そうと思います。詳しくは下のwezzyの記事もごらんください。

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○用語

  • スラッシュ…綴りはslash。放送中に「スラッシャーというのは検索しづらい」と言いましたが、BLやる人はslasher、ホラーはslasher、ガンズのミュージシャンはslash、音楽のスラッシュメタルはThrash metalで、カタカナで検索するとなんか混沌とした結果が出てくるし、英語で検索しても最後の一個しか排除できません。"slash fanfiction gay"などで検索するのをおすすめします。なお、/の前後のどっちが受けとか攻めとかいうのは決まってない印象ですが、topとbottomの概念はあちらのスラッシュにもあります。(補足:ここ、私の説明が焦りすぎで勘違いしておられる方がいたみたいなのですが、topとbottomが決まっていないのが普通という意味ではないです。日本みたいに前にくるほうが攻め、みたいな文法が存在せず、たとえばK/Sという表記でカークがtopのもスポックがtopのもはっきりしないのも指せるということです。AO3とかで探す時は、Top KirkとかTop!Kirkみたいな別のタグを入れます。)
  • ファンダム…綴りはfandom。domはkingdomの接尾語と同じです。ファンの世界とか文化を指します。
  • ポン・ファー…綴りはpon farr。『スター・トレック』シリーズに登場するバルカン星人の発情期です。ファンフィクションでは魔改造されることもありますが、オリジナルのドラマ版では上品な描写になっています。
  • 士別市…私の出身地は標津ではなく道北の士別市です。村上春樹羊をめぐる冒険』のモデルになった、田んぼと牧場と畑しかない田舎です。
  • 道北日報…士別市にある新聞です。父がつとめています。

○ウェブサイト

○放送時に言及した参考書

  • Henry Jenkins, Textual Poachers: Television Fans and Participatory Culture/ヘンリー・ジェンキンズ『テクストの密猟者』(初版1992年、補訂版2013年、未訳)…スラッシュだけではなくファンダム研究の基本文献。ファン文化をポジティブにとらえた本。
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王が無能すぎるので殺さなくてもよいマクベス夫妻~『バイス』(ネタバレ注意)

 アダム・マッケイ監督『バイス』を見てきた。

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 ブッシュ政権の副大統領だったディック・チェイニーの人生を描いた政治諷刺劇である。ディック(クリスチャン・ベール)は若い頃、飲酒運転で何度も逮捕される自堕落な生活をしていたが、恋人リン(エイミー・アダムズ)の叱責で心を入れ替え、やがて政界入りする。議員だったドナルド・ラムズフェルド(スティーヴ・カレル)に気に入られたディックはどんどん出世するが、途中で政界のキャリアに見切りをつけてハリバートン社CEOとなる。ところが放蕩息子だったはずのジョージ・W(ダブヤ)・ブッシュ(サム・ロックウェル)が、大統領選にあたって副大統領候補にならないかと打診してくる。ディックは考えた後、大統領の権限を強化して副大統領として青二才のダブヤの政権を操ることに…

 

 金融諷刺劇『ザ・ビッグ・ショート』を撮ったマッケイがベールとキャレルを再起用して撮った作品なので、スタイルは似ている。ナレーター(ジェシー・プレモンス)を立ててちょっと引いた視点の語りにしているため、ディックたちが行っている非常に不正な行為が冷静かつ一定の批判をこめて提示されるという作りになっている。いろいろなことをナレーター視点で語るため、ちょっと詰め込みすぎて焦点がぼけた印象を与えるところもあるのだが、語り手が誰なのか終盤でわかる展開を含めてこの工夫は面白い。

 

 そしてこのチェイニー夫妻、はっきり言ってマクベス夫妻である。超優秀だが、女性であるため出世ができないリンが酒に溺れがちな上病気も抱えているディックを励まして出世させ、二人三脚で副大統領の座までのぼりつめる。途中、ディックが副大統領候補となることを考える場面ではご丁寧にシェイクスピアの名前を出してパロディまでやっている。しかしながらこの夫妻のポイントは、ダンカン王にあたるダブヤが無能すぎるので殺さないでよいということだ。サム・ロックウェル演じるダブヤはなんか政治家としてはものすごいおばかちゃん…のように見えるのだが、腹に一物ある無口なディックとは違って愛嬌はある男である。この愛嬌だけで一点突破のダブヤを盾に、人望はないがまるっきり政治的動物であるディックが血も凍るような悪いことをたくさんする。しかもこのディック、シェイクスピア劇におけるマルカム王子とかリッチモンドにあたるような若くて颯爽とした政治家に復讐されるわけではない(ちょっとだけ映るオバマシェイクスピア劇の若き王子感は多少はあるかもしれないが)。ちょっと『ブラック・クランズマン』に似たエピローグがあるのだが、今でもアメリカではマクベスが世にはびこっているのである。

 

 エイミー・アダムズ演じるリンは大きな役だし、ディックの家庭の事情はかなり丁寧に描かれているのだが、この映画はベクデル・テストはパスしない。スティーヴ・カレルがいつもの愛嬌を捨ててすごくやな感じでラムズフェルドを好演している。あと、タイラー・ペリーが無理矢理国連で演説させられる真面目人間のコリン・パウエルを演じており、なかなか上手でびっくりした。

コレットが作家になるまで~『コレット』(ネタバレあり)

 『コレット』を試写会で見てきた。 19世紀末、若きコレット(キーラ・ナイトリー)が夫ウィリー(ドミニク・ウェスト)の影響から脱して作家として自立するまでを描いた伝記である。

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 序盤はけっこう『天才作家の妻 -40年目の真実-』とかに近いような展開なのだが、こっちのほうがずっと面白い。コレットの夫でゴーストライターを使って作家工房を運営していたウィリーは、若妻コレットの文才に目をつけ、半自伝的でちょっと扇情的なクロディーヌものを書かせて大ヒットを飛ばす。最初は工房をありのままに受け入れ、夫の影で代筆をすることに満足していたコレットだが、夫以外に恋人(コレットバイセクシュアルなので、だいたいは女性)ができ、だんだん経験を積んでくると事情が変わってくる。とくに貴族の出身で、男装で暮らす勇敢なミッシー(デニース・ゴフ)と愛し合うようになり、コレットもミッシーの影響でもっと自分らしく生きたいと思うようになる。

 

 ウィリーのモラハラがけっこうひどく、そこからコレットが脱するまでがわりとリアルに描かれている。若くて未経験で夫を尊敬していた時のコレットは自分の才能が使われるのにとくに不満がなく、むしろウィリーから評価されて嬉く思っていたのだが、だんだん成熟して大人の女性として考えられるようになってくると、自分が利用されていただけなのだと気付いて反旗を翻すようになる。若いうちはなかなかこういう愛をたてにした搾取に気付かないのだが、コレットは搾取をしてこないミッシーと愛し合うようになって自分が夫にひどい扱いをされていたらしいとうすうす気付き始めるわけである。

 

 トランスジェンダーの役者がシスジェンダーの歴史上の人物を演じており、これはメジャーな映画としてはけっこう斬新な配役だと思うし、トランスジェンダーの役者の才能を活用するためには今後もどんどんやるべきだと思う。ただ、ジェイク・グラフ演じるガストンはそこそこ場面があるのだが、トランスジェンダーの女優レベッカ・ルートが演じるラシルドはほんのちょびっと映るだけなのが残念だ(ラシルドは超有名人だし、いろいろ面白い因縁もあるのだが、そこまで話が進まないうちにコレットの若い頃だけで映画が終わってしまう)。あと、ミッシーの描き方がちょっと曖昧にすぎるところがある。全体的にこの映画はミッシーをトランスジェンダー男性として描きたいみたいで、コレットがウィリーのいわゆる「ミスジェンダリング」(トランスジェンダーの人を現在と違う性別の代名詞で呼ぶこと)を訂正する場面がある…のだが、ミッシーを演じているのは女優だし、2人の恋はレズビアンのロマンスみたいに描かれているところもある。もちろん世紀転換期の人たちに今の感覚を適用するのがおかしいというのはあるのだが、もうちょっと描写に一貫性があってもいいように思った。なお、ベクデル・テストはパスする。

京劇風味のシェイクスピア~中国国家話劇院『リチャード三世』

 東京芸術劇場で王暁鷹演出、中国国家話劇院『リチャード三世』を見てきた。

 衣装もセットも中国の時代劇風である。セットは後ろに漢字が書かれた白っぽい幕がかかったもので、この幕は人が死ぬたびにどんどん血の筋が増えていく。打楽器の生演奏もある。女優と道化役は京劇俳優を起用しているということだ。

 全体的に非常にちゃんとした『リチャード三世』で、ヴィジュアルも展開もメリハリがあって楽しめる。わりとハンサムで人当たりがよく、他の人の前ではほんとうに良い人みたいにふるまって周りを騙すリチャードを張皓越が好演している。テクストはばっさりカットされている一方、わかりやすくするために冒頭にちょっと『マクベス』の魔女風な登場人物が出てくるなど、付け足しもある。

 ただ、アンとエドワード王子を演じる張鑫が京劇女優で、女と子供であるこの2人だけ京劇らしい台詞回しなのはちょっと引っかかった。他はかなり現代劇タッチの演出というかとてもわかりやすく正攻法なシェイクスピアなのだが、女性、子供、殺し屋たちだけは伝統的な京劇の要素をふんだんにまとって登場する。このあたりになんとなくセルフオリエンタリズムというか、東アジア的要素のジェンダー化を感じてしまった。京劇に詳しいわけではないのでこのへんはそんなに深く分析できたわけではないのだが、どうなんだろうか。

私たちは皆自由に生まれるが、それを忘れる~『キャプテン・マーベル』(ネタバレあり)

 『キャプテン・マーベル』を見てきた。

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 記憶喪失になった女性ヴァース(ブリー・ラーソン)はクリー帝国の特殊部隊員としてヨン・ロッグ(ジュード・ロウ)から訓練を受けていた。ところが最初の大きなミッションで失敗し、1990年代の地球に墜落する。S.H.I.E.L.D.のエージェントであるニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)に最初のうちは追われるが、結局味方になって2人で調査をするうち、ヴァースは自分が地球にいたことがあるのに気付いて…

 

 この映画の一番大事なテーマは、人は皆自由に生まれるもので、誰でも自由になる権利があるが、ちょっとしたきっかけでそれを忘れてしまうということだ。中盤くらいからだんだんわかってくるのだが、ヴァースの恩人であるローソン博士(アネット・ベニング)を殺したのは実はヨン・ロッグで、クリー帝国の特殊部隊はヴァースが身につけたスーパーパワーを支配し利用しようとしていた。特殊部隊で特訓を受けていたヴァースは自分の意志で一生懸命生きているつもりだったが、実は知らないうちに搾取されていたのだ。それを知ったヴァースはキャロル・ダンヴァースという元の名前と記憶を取り戻し、敵だと思っていた宇宙人であるスクラルたちの自由のため戦う。自らの力を努力で解き放ち、ヨン・ロッグのペースにものせられずに我が道を行くことを決意するキャプテン・マーベルことキャロルは、自分の力で自由を取り戻した。

 これはスーパーヒーローの現実離れしたお話みたいに見えるが、実は世界のどこでも起こっていることだ。私たちは本当は皆、生まれながらに自由であるはずだが、成長するにつれて社会の規範を内面化してしまい、自由であったことを忘れる。でも、この忘れてしまった自由はいつでも取り戻すことができるし、自由になるのを恐れてはいけない、というのがこの作品のメッセージだ。キャロルは名前を記憶を取り戻したが、それによって自由になった。

 そしてここですごく大事になるのが全編を彩る90年代の音楽だ。ちょっと見ていて衝撃を受けたというか、「これ選曲したの私だろ」としか思えなかったくらい、90年代に育った私の趣味ど真ん中である。キャロルの子供時代の場面はハートの"Crazy on You"で、エラスティカの"Connection"、ガービッジの"Only Happy When It Rains"、デズリーの"You Gotta Be"、ノー・ダウトの"Just a Girl"、最後はホールの"Celebrity Skin"だなんて、高校生の私のMDかと思うようなラインナップである(エラスティカを2019年も忘れてないのは私だけかとあきらめてた)。そしてここからわかるのは、90年代のロックはすごく女子のためのもの、フェミニスト的だったのに、みんなそれを忘れていたということだ。でも、この映画のキャロルが私たちにそれを思い出させてくれた。90年代のロックのわくわくするような女の子のパワーと一緒にキャロルの記憶が戻ってくるのだ。

 90年代のロックは、イギリスのブリットポップアメリカのグランジもわりとアンドロジェナスなところがあり、ライオットガールみたいな女性のロックのムーヴメントもあった。その後ファッションも音楽もけっこうハイパーフェミニンな方向性に触れるので今だとわかりづらいところもあるのだが、地球に落ちてきたキャロルが着ているのは、フューリーが言っているようにいかにもグランジでアンドロジェナスな格好だ。そしてグランジといえばニルヴァーナなのだが、ニルヴァーナの"Come As You Are"が、ローソン博士の姿を借りた人口知能とキャロルが戦うところでなんともいえないイヤな感じで使われている。他のガールズロックがいかにもキャロルのパワーを象徴しているような使い方である一方、このニルヴァーナはなんとなく暗い。そして最後にかかるのがホールの"Celebrity Skin"であるわけだが、ホールのフロントウーマンであるコートニー・ラヴはもちろんニルヴァーナのフロントマンだったカート・コベインのパートナーだ。ホールがカートの死の直後に出したアルバムは『リヴ・スルー・ジス』(これを生き抜け)で、その次に出たのが"Celebrity Skin"をタイトル曲とする『セレブリティ・スキン』だ。『セレブリティ・スキン』はそれまでのホールのノイズっぽいサウンドとは違い、暗いところや皮肉なところはあってもとても力強く、生き生きしている。つまり"Celebrity Skin"はカートの死というとてもつらい体験を乗り越えて、ニルヴァーナ(奇しくも涅槃という意味である)がなくなった後も生き続けているホールの生存の力についての曲だった。この曲で『キャプテン・マーベル』が終わるのはすごくふさわしい。キャロルも記憶の喪失や大事な人の死を乗り越えて、ものすごく生き生きと自由に生きてるからだ。

 たぶん、少なくとも私が見た映画では、90年代の風俗をこんだけちゃんと描いた時代劇映画はあんまりなかったと思う(ブリットポップの時代の音楽を使って何かを表現しようというのは『ワールズ・エンド/酔っぱらいが世界を救う!』もやってたが、あれは時代劇じゃなかった)。そして90年代が私の子供時代そのまんまなので、爆釣なわけである。そして子供時代についての時代劇が作られるということは、私はもうおばあさんだということだ。ばあさんでいいじゃないか。自由なババアとして生きよう。

 

 …そういうわけで、ちょっと思い入れがあるのでハイテンションなレビューになってしまったのだが、この映画はキャロルと空軍の同僚である親友マリアやローソン博士の信頼を中心とする女性同士の絆はもちろん(ベクデル・テストはもちろんパスする)、それ以外の人間関係についてもとてもしっかり描いているし、くだけた感じのユーモアがあるキャロルのキャラクターも素晴らしく、非常によくできていると思う。

 ただ、ひとつ欲を言うと、次の段階のスーパーヒロイン映画はヒロインが軍隊に入るところから始まらないでほしい。『アナと雪の女王』のアナやエルサは王女、ワンダーウーマンは王女で戦士で半分神、キャロルはアメリカ空軍の軍人で、かなり特殊な専門教育を受けている上、みんな国家とか体制を率いる権力に結びつきやすい仕事をしている人たちだ。とくにキャロルはアメリカ空軍をヒントにコスチュームをアップデートしていたりして、かなり空軍パイロットとしてのアイデンティティが強いところがちょっとアメリカ中心主義的だし、かつバックグラウンドとして特殊である(キャロルはものすごくマイペースなので、あまり体制的な軍人らしさが鼻につくところはないのだが)。次のスーパーヒロインはスパイダーマンアントマンみたいに、私たちと同じような何の権力もないそのへんの近所のねーちゃんから始まってほしいと思った。

4/10 (水)に『アフター6ジャンクション』に出演します

 ラジオに出ることになりました。スケジュールがウェブサイトに出たのでこちらでも告知をしますが、来週水曜日4/10にTBSラジオ『アフター6ジャンクション』に出る予定です。20:00からの「英語圏のボーイズ・ラブ、【スラッシュ・カルチャー】入門」のスロットです。専門分野ではたいスラッシュフィクション研究の話なので、緊張します…

www.tbsradio.jp