『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』が4刷になりました。こちらのコメントを受けて、『タンジェリン』と『ナチュラル・ウーマン』についての章で「古くさい」などの表現を「古典的」に直してあります(基本的な論旨は変えていません)。紀伊國屋でキノベスのフェアがあるので、そこではだいたい4刷が並ぶはずだと思います。
書肆侃侃房 (2019-06-16)
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『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』が4刷になりました。こちらのコメントを受けて、『タンジェリン』と『ナチュラル・ウーマン』についての章で「古くさい」などの表現を「古典的」に直してあります(基本的な論旨は変えていません)。紀伊國屋でキノベスのフェアがあるので、そこではだいたい4刷が並ぶはずだと思います。
朝日のじんぶん堂に女性史学賞の記事がのりました。写真、髪型がボリス・ジョンソンみたいにひどい…
映画はけっこうみんな2010年代のベスト10をやっているようなのだが、ミュージックビデオについてはあまり見かけないので、ブログでやっておこうかなと思う。
1. ビヨンセ、"Formation"
2. レディ・ガガ ft. ビヨンセ、"Telephone"
3. チャイルディッシュ・ガンビーノ、"This is America"
4. M.I.A、"Bad Girls"
5. ジャネール・モネイ、"PYNK"
6. クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズ、"5 Dollars"
7. ジャック・ホワイト、"Corporation"
8. OK Go、"The Writing's On the Wall"
9. サーティ・セカンズ・トゥ・マーズ、"Up In The Air"
10. ブラック・キーズ、"Lonely Boy"
2020/5/16に沖縄の琉球大学で開催される英文学会大会にて、近世英文学とユートピア幻想に関するシンポジアムを開催します。タイトルは以下のとおりです。
「The isle is full of noises―近世イングランド文学とユートピア的「島」幻想」
テーマとしては近世英文学から我々が「島」について抱いているいろいろな(けっこう問題=ノイズのあることも多い)幻想を考えよう、というものです。私のほかに鈴木雅恵さん、松田幸子さん、柴田和宏さんが登壇します。私はヘンリー・ネヴィルのThe Isle of Pinesという、なんか17世紀の無人島エセ実録ハーレムエロ小説のようなもの(??)について発表します。他の先生方の発表も『テンペスト』とか『夏の夜の夢』とかトマス・モアとか、とても面白そうなものがそろっていますので、お気軽にお越し下さい。
1/20より早稲田の中野エクステンションで『ジョン王』についての講座をします。これがおそらく定期的に中野でやる授業としては最後になる予定です。
今学期のウィキペディアクラスの記事が出そろいました。作成した記事は[[ベーコン裁判]](イギリスの習慣で、仲睦まじい夫婦が審判を受けてベーコンをもらえるという伝統)、[[ファンタジー ジェルノアの章]]、[[モーツァルトとプラハ]]、[[スノーウィ]](タンタンの相棒の犬)、[[アート映画]]、[[グレース・ケリーのウェディングドレス]]、[[彼女が消えた浜辺]](強化)、[[オードリー・ヘプバーンの黒いジバンシィドレス]](『ティファニーで朝食を』で着たドレス)、[[マーガレット・スキニダー]](アイルランドの革命家)です。
ブレヒト作、白井晃演出『アルトゥロ・ウイの興隆』を見てきた。シカゴのギャングの抗争の話…と見せかけて、ヒトラーを辛辣に皮肉った諷刺劇である。主演のアルトゥロ・ウイ役は草彅剛だ。
ヒトラーの出世やオーストリア併合などの歴史的出来事が、シカゴのちんけなギャングが八百屋からみかじめ料をとろうとする話とか、隣町に勢力を広げようとする話とか、とにかく安っぽい物語に書き換えられている…のだが、台本に非常に力があり、笑いながらファシズムの恐怖を感じ取ることができる。
舞台に生演奏をするバンドがいてひっきりなしにジェームズ・ブラウンを演奏しており、赤い衣装を着た男女が踊りまくる、非常に騒々しいプロダクションである。ブレヒトの芝居というのはとても音楽が大事なのだが、この選曲はなかなか良い…というか、ジェームズ・ブラウンの楽曲というのはすごくエネルギッシュなのだが、一方で暴力的なセクシュアリティとでも言うべきものが感じ取れるところがあるからだ(ブラウン自身が何度か家庭内暴力で逮捕されており、カっとなると手がつけられない人だったらしい)。力の行使をひたすら求めるウイの人生行路を盛り上げるにはふさわしい選曲である。ただ、演奏のせいで台詞などがたまに聞き取りづらいところがあるのはちょっとよろしくない。
そして私がこのプロダクションについて凄いと思ったのは、ウイ役が草彅剛だということだ。正直、草彅剛は滑舌はあまり良くはないし、歌もうまくないし、古典的な美男というわけでもなく、ふつうに考えると千両役者の資質に欠けた役者である。ところがこの人はさすがにずっとスマップをやっていただけはあり、変な重力を出している宇宙の星のような異常な存在感がある。千両役者らしさが全然ないくせに、舞台の上にいるとなぜかカリスマがあって、どういうわけだか千両役者的な位置を堂々と占めてしまうのである。
こういういびつなエネルギーを発している変わったスターをウイに配役するというのは、非常にはっきりした演出意図に基づいたものだと思う。というのも、ウイは明らかにリーダーらしい資質に欠けている男だ。人望とか清廉とか、人から尊敬されそうな資質が全くないし、正直ローマをはじめとする子分まわりの展開からするとそこまで頭がいいのかどうかもよくわからない。しかしながらウイは力だけでリーダーになってしまい、なぜか皆それを当然のこととして受け入れてしまう。こういうリーダーの資質に欠けているのに当然のごとくリーダーにおさまる男を演じるにあたっては、草彅剛みたいに千両役者の資質に欠けているのにどういうわけだか観客が千両役者として受け入れてしまう役者が大変はまり役であるわけである。草彅ウイは不穏な狂気に満ちており、あまり明快ではない話し方ですら凄みにつなげてしまうところがある。そして見ている観客はこのどう見ても悪徳にまみれた暴力的なギャングであるウイになぜか惹かれてしまうわけである。我々はちょっとしたきっかけでリーダーの資質がない人物をリーダーに選んでしまうことがあるが、このプロダクションはそれを非常によく描き出している。