よくできた映画だとは思うが、趣味でなかった~『グッド・ワイフ』(試写、ネタバレあり)

 試写でアレハンドラ・マルケス・アベヤ監督『グッド・ワイフ』を見てきた。

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 舞台は1982年、経済危機直前の時期のメキシコシティである。ヒロインであるソフィア(イルセ・サラス)は富裕な夫フェルナンド(フラビオ・メディナ)と高級住宅街に住み、贅沢三昧で暮らしていた。ここぞとばかりに富を見せびらかすパーティを開いたり、新入りの妻アナ・パウラ(パウリーナ・ガイタン)を煩わしく思ったりしながら暮らしていたが、やがて経済危機が起こり、ソフィアとフェルナンドも窮地に陥るようになる。

 家のインテリアからファッションまで、ディテールにこだわりつつ、富裕層の退廃を描いた諷刺劇である。たぶん、こういう見た目が綺麗だが質感が冷たい諷刺ものが好きな人にとっては高評価なのだろうと思うのだが、個人的に私はこの手の、不愉快な富裕層の人々がたくさん出てくるもののあんまり笑うところがない諷刺劇というのは好きではない。女性にとっては良い結婚が全てであるという価値観や、上流階級の特権にあぐらをかくことに帯する辛辣な批判であるということはわかるのだが、全体的にヒロインに寄っては引くみたいな距離感を保ったままけっこう真面目なトーンで撮っていて、あんまり笑えるところがないのである。これならもっとブラックユーモアたっぷりの話にできそうだと思うのだが、クスっと笑える箇所はせいぜい数カ所くらいだ。

『アジア・ジェンダー文化学研究』第4号に講演記録が載りました

 奈良女子大学から出ている『アジア・ジェンダー文化学研究』第4号に、女性史学賞受賞時の講演記録が載りました。書誌情報は以下のとおりです。なお、河合祥一郎先生のコメントも一緒に載っています。

北村紗衣「読み書きするシェイクスピア女子ー近世の舞台芸術ファン活動」『アジア・ジェンダー文化学研究』4 (2020):87-94。

歴史ファンタジーオタク男子生徒の妄想爆発!グラインドボーン『リナルド』(配信)

 グラインドボーンの配信でヘンデルのオペラ『リナルド』を見た。

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 タッソの『解放されたエルサレム』を原作とする十字軍の物語で、十字軍がサラセン軍に勝利をおさめるまでを、英雄リナルドと将軍ゴッフレードの娘アルミレナの恋を交えて描く作品である。しかしながら演出ではかなり大胆な設定変更が行われている。学校でいじめられている歴史とファンタジーが好きな少年が勉強しながら妄想した夢がこの作品だ、という枠があり、少年は恋する英雄リナルド(ソニア・プリナ)になり、体罰を加える怖い先生たちは敵の魔法使いやら将軍やらになり、学校がロマンティックな魔法と戦いの冒険物語の舞台になる。黒板がエルサレムの地図になり(おそらくプロジェクションを用いていると思われる黒板アニメみたいな効果がとても面白い)、スポーツの道具が戦いの武器になる。

 最初はかなり面食らうのだが、これはけっこううまい演出かもしれない…というのも、いくつかのレビューで既に指摘されているように、有徳なキリスト教徒の軍が悪いサラセン軍に勝利をおさめて敵が改宗しました、みたいな話を今さら見ても説教臭くてあんまり面白くないし、むしろただの宗教差別じゃないかという話になってしまう。歴史オタクの男の子のセックスファンタジーですという形にすることで、全体がいい意味でバカバカしくふざけた感じになる…というか、たぶんもともとの話じたいがタッソの話のぶっとんだ二次創作で、バロックオペラらしい詰め込んだ展開を装飾的で技巧的な音楽がこれでもかと豪華に飾り立てるというものなので、そもそも原作に内在していた「気合いの入ったファンフィクション」みたいな要素が面白おかしい形で出てくるようになる。最後にリナルドがちゃんと少年に戻るのもいい。

 全体はいかにも中高生が考えましたみたいな要素であふれている。リナルドが付き合いたいと思っているアルミレナ(アネット・フリッチュ)は学校の制服を着たお下げの文化系女子で(鳥類の観察が好きみたいだ)、いかにも歴史オタクの男の子に釣り合いそうな真面目な雰囲気なのだが、一方でリナルドを誘惑するサラセン軍の強力な魔女アルミダ(ブレンダ・リー)は黒いピチピチのドレスにムチを手にしたやたらセクシーなドミナトリックスで、少年が成長の過程で憧れそうな大人の女である。

 そういうわけで、コンセプトとしては大変面白く、見ていて楽しいプロダクションなのだが、たぶん歌うのが難しい作品であると思われ、たまにちょっと歌に滑らかさや軽快さが足りず、ゴージャスな感じのオーケストラと雰囲気があっていないように思われるようなところがあった気がする。

 

生きることとは映画を撮ること~『ペイン・アンド・グローリー』(ネタバレあり)

 ペドロ・アルモドバル監督『ペイン・アンド・グローリー』を見てきた。

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 主人公である中年の映画監督サルバドール(アントニオ・バンデラス)は、貧しい生まれから映画監督として成功したものの、このところ愛する母ハシンタの死と大病が続いて心身共にボロボロになっていた。創作意欲を失っていたサルバドールだが、自分の過去作のリマスター版が作られるということで仲違いしていた役者のアルベルト(アシエル・エチェアンディア)に連絡をとる。病気の痛みを和らげるため、アルベルトにヘロインを教えてもらうサルバドールだったが…

 アルモバドルがずっとこだわっている母と子のテーマを突き詰めた作品である。非常に凝った構成で、サルバドールの現在と子供時代のフラッシュバックが交互に出てくるのだが、最後にこのフラッシュバックは実は実際の記憶というよりもサルバドールが再起して撮り始めた新しい自伝的な映画の場面であるということがわかる。サルバドールの人生の再起と映画作りが重ねられ、映画によって自らの記憶と向き合い、前に進めるようになる様子がうまく描かれている。サルバドールにとって生きることとは映画を撮ることなのだ、ということが巧みに示されている作りだ。このサルバドールの回想がそのまま映画になるというような構造は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』ともよく似ており、全然アプローチは違うが、芸術家が物語を作る方法をフラッシュバックをまじえて描いたという点では、この2作は対として見るといいのじゃないかと思った。サルバドールとジョーは同じような手法で創作するタイプだ。

 とにかくアントニオ・バンデラスの演技が素晴らしい。最初の病気がちなサルバドールは本当に不調そうで疲労しており、正直バンデラスの実年齢よりも年をとっているように見えるのだが、ふとした瞬間に芸術家らしいキレのある魅力的な表情を見せることがあり、終盤になるにつれてそういう場面が増えていく。とくにかつての恋人フェデリコに会うあたりからの表情は胸に迫るものがある。

 また、この作品はありがちな展開にならないよういろいろなところをひっくり返しているのだが、その描き方に作為的なところとかわざとらしいところとかが一切なく、全体が極めてスムーズに流れていくような印象を受ける。たとえば、ドラッグの使用が単純に断罪されていない。サルバドールがヘロインを始めるところは病気の痛みと激しい鬱の緩和ということで、本当に実につらそうなのでまあそうなるのも仕方ないのでは…と見ていて思うものの、だんだん依存がひどくなる様子もリアルに描いていて、観客が不安になる。ところがそこでサルバドールがかつてヘロイン中毒だったフェデリコと再会することにより、きちんと病気に向き合おうと決めて依存症の治療を始めるという展開になる。これは「ダメ、ゼッタイ」みたいな道徳的ステレオタイプにはまっておらず、薬物中毒というのは全くよいことではないが、人生ふとしたきっかけでそういうことになってしまうこともあるので患者を断罪するとかいうようなことはするものではないし、治せるものだ、という描き方をとっていて、そこに説教臭いところがない。さらにサルバドールには献身的なヘテロセクシュアルの女友達で実務パートナーでもあるメルセデス(ノラ・ナバス)がいるのだが、メルセデスはいわゆる「ヒロインのゲイ友」の裏返しみたいな役なのだが、あまりわざとらしくなく、実際にいそうな人物として描かれている。

 なお、この映画は演劇映画としても面白い。途中でサルバドールが書いたモノローグをアルベルトが上演するところがあるのだが、これがかなり面白い。この劇中劇だけ別に撮っているなら何かソフトが出る時におまけでつけてほしいと思った。アンドルー・スコットか佐々木蔵之介あたりに舞台でやってほしいような演目だと思った。

『SKIN/スキン』パンフレットに寄稿しました

 本日公開の『SKIN/スキン』パンフレットに寄稿しました。白人至上主義団体をやめた実在の人物に関する映画です。ジェイミー・ベル主演で、かなり力の入った作品だと思います。私以外の人はちゃんとアメリカの人種差別とかについて書いておられるのですが、私はなぜかあしながおじさんやシンデレラのことを書いています。原稿の書誌情報は以下の通りです。

北村紗衣「あしながおばさんとシンデレラ~『SKIN/スキン』における女性」、][パンフレット]『SKIN/スキン』、2020。

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人種・性別を変えるキャスティングが効果的~ブリストル・オールド・ヴィク『ワイズ・チルドレン』(配信)

 ブリストル・オールド・ヴィクの配信で『ワイズ・チルドレン』を見た。2018-2019に上演され、アンジェラ・カーターの小説をエマ・ライスが舞台化したものである。

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 物語の主人公は双子のノーラとドーラで、話はドーラの回想の枠に入っている。ノーラとドーラのチャンス姉妹は役者のメルキオール・ハザードの庶子なのだが、メルキオールは子供達を認知せず、かわりにメルキオールの双子のきょうだいであるペレグリンが父代わりになって2人を養育する。ノーラとドーラはやがてショーガールとしてハザードの一座に加わり…

 

 美術プランはかなり華やかなものだ。右上にキャバレー風の電気のサインで大きく芝居のタイトルが出ており、真ん中には輪切りにして中が見えるトレイラーのような小屋が置かれていて、これは裏返して家の外見としても内装としても使うことができる。鏡台とか椅子とかいろいろなものが置かれており、わちゃわちゃした見た目の舞台だ。ここで皆が歌ったり踊ったり、全体的に非常に祝祭的な雰囲気で話が進む。

 原作小説のカーニヴァル的な雰囲気をよくとどめた芝居で、ブラックユーモアもあり、とても楽しい作品だ。カットはかなりあり、原作のシェイクスピアネタが減らされているところはちょっと寂しいのだが、まあ長くなりすぎるのでしょうがないのだろうと思う。カット後でもシェイクスピアネタはけっこうまだたくさんある。

 性別や人種をわざと変化させるキャスティングで、これがかなりよく効いている。年長のノーラは白人の女優・振付担当のエッタ・マーフィット、ドーラは白人の男優ギャレス・スヌークが演じているのだが、若いショーガール時代のノーラは黒人男優のオマリ・ダグラス、ドーラはマルチレイシャルな外見の女優メリッサ・ジェイムズが演じている。ショーガール時代の2人が非白人の若い役者だというのはとても効果的で、というのもフラッパーヘアスタイルのこの2人が舞台で踊っているところはまるでフラッパーとしてはレジェンド格と言えるであろうジョセフィン・ベイカーみたいで、ジャズエイジを思い起こさせる。とくにダグラスはものすごく妖艶でやたらもてまくりのノラをとても楽しそうに演じている。

前評判ほど悪くないじゃないかと思ったら…『エジソンズ・ゲーム』

 『エジソンズ・ゲーム』を見てきた。トマス・エジソン(ベネディクト・カンバーバッチ)と、ジョージ・ウェスティングハウス(マイケル・シャノン)及びニコラ・テスラ(ニコラス・ホルト)が直流を使うか交流を使うかで電力シェアをめぐって争った電気戦争を描いたものである。お蔵入りになりかけた大変いわくつきの作品…というか、ワインスティーン社が作ったのだが、会社が破産したせいで公開が延期されていたものである。 

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 全体としてはちょっと詰め込みすぎで、またそのわりには前半テスラがあまり出てこなくてイマイチバランスが良くないような気はするのだが、中盤くらいから比較的テンポが改善してわりと良くなる。才能とヴィジョンは有り余っているのだが人格は欠点だらけで、汚い手段でウェスティングハウスを妨害するエディソンを演じるカンバーバッチと、すごく頑張っているのだがマスコミ対策では後手後手に回ってしまうウェスティングハウスを演じるシャノンの演技合戦は面白いし、エディソンを慕う若い助手のインサルを演じるトム・ホランドや、いかにも「変な天才」風のテスラを楽しそうに演じるホルト、ウェスティングハウスの肝の据わった妻マーガリートを演じるキャサリン・ウォーターストンなど、脇を固める役者陣の芝居も堂々たるものだ。

 前評判ではRotten Tomatoesで30%とかだったので、そりゃあすごくいいとは言えないかもしれないがなんでそんなにひどい評価なんだ…と思ったら、日本公開はワインスティーンの影響を排して直したディレクターズ・カット版で、そちらのほうがはるかに評価がマシらしい。ワインスティーンが制作中に編集にうるさく口を突っ込んでいたそうで、どうもそのせいで最初の版がかえって低品質になったようだ。ワインスティーンのハラスメント行為は労働環境のみならず作品の質に直接悪影響を与えていたのか…とげんなりした。