音楽はいいが…メトロポリタンオペラ『ウェルテル』(配信)

 メトロポリタンオペラの配信でマスネのオペラ『ウェルテル』を見た。リチャード・エア演出、アラン・アルタノグル指揮で、2014年に上演されたものである。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』が原作で、アルベール(デイヴィッド・ビズィッチ)と既に婚約しているシャルロット(ソフィー・コッシュ)に恋したウェルテル(ヨナス・カウフマン)が失恋して自殺するまでを描いた作品である。

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 奥行きをうまく使い、プロジェクションも使った舞台装置は魅力があり、とくにダンスのところで背景のプロジェクションによって動きをつけているのは面白かった。音楽はとても良く、最初に出てきたクリスマスの歌が最後にまた出てきて話が閉じるあたりの構成もうまい。ウェルテル役のヨナス・カウフマンは深みのある歌声で、大変ロマンティックで表情豊かだし、他の歌手たちもとてもしっかり演じている。

 ただ、個人的な好みとしてあまり台本が好きになれない…というか、終盤、シャルロットがウェルテルの意図に感づいているのに、銃を渡してその後すぐウェルテルの家に行ったらウェルテルが自殺している…というあたりは展開がバタバタしすぎなのではないかという気がした。原作から変更があるのでそのせでちょっと整理されていない印象を受けるのかもしれないが(原作は高校生くらいの時に読んだきりなので細部は覚えていないのだが)、そうは言ってもシャルロットは自分のせいで人が死ぬかもしれない事態だというのに、あんまり賢明かつ迅速に行動しているようには見えない。全体的にシャルロッテは美人で家庭的なわりと型にはまった感じの女性で、あんまり魅力のあるヒロインではないように思った。

上昇志向と音楽~『わたしの耳』

 ピーター・シェーファー『わたしの耳』を新国立劇場で見てきた。シス・カンパニー公演で、演出・上演台本はマギーである。1962年の作品で、登場人物は3人だけで、85分くらいの短い芝居である。

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 ボブ(ウエンツ瑛士)がクラシックコンサートで会ったドリーン(趣里)を部屋に招待し、会社の友人であるテッド(岩崎う大)に手伝いを頼むが、ボブはドリーンとあまりうまく話せず、一方でテッドはけっこうドリーンにうまく取り入って…という様子を描いた作品である。前半はかなり笑えるところが多いのだが、後半はどんどん不穏な雰囲気になっていく。芝居の最後のほうではおそらく全員がウソをついている状態になり、かなり印象的にイヤな感じで終わる。

 調子はいいがマンスプレイニング野郎のテッドと、引っ込み思案で女性を理想化しがちなボブは対照的なキャラクターなのだが、2人とも違う意味である種の「有害な男性性」的なものを備えており、また異なる形の上昇志向を持っている。テッドの上昇志向はわかりやすく、ガツガツ働き、保守党支持者で社員なのに経営者目線であり、フランス語の夜学に通い、いつも知識をひけらかしたがる。一方でボブの上昇志向はわかりづらい…というか、ボブは仕事上の野心はあまりなさそうなのだが、クラシック音楽が好きで、オーディオに凝っている。ボブはロウアーミドルクラスくらいの青年で全然金持ちではないのだが、ビートルズがデビューした1962年にクラシックが好きというのはかなりポッシュな好みで、自分の階級に居心地悪さを感じているのではないかと思われる一方、たぶん仲間からはつまはじきにされるオタク趣味を持っている。ボブもテッドも方向性は違うが、出身階級に馴染めていない男たちだ。あまり自覚のないテッドに比べてボブはこのへんをものすごくこじらせており、クラシックコンサートで会ったドリーンを同好の仲間だと思い込んでまつり上げるが、実はドリーンは全然クラシックに興味がない。このあたり、気の毒だがかなり困った人でもあるボブをウエンツ瑛士が非常に細やかに演じている。テッドもドリーンもそれぞれ大変しっかりした演技で、見応えのある作品だった。

 

こんなに登場人物が食ってばかりの映画を久しぶりに見た~『窮鼠はチーズの夢を見る』(ネタバレあり)

 行定勲監督の『窮鼠はチーズの夢を見る』を見てきた。原作は未読である。

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 主人公の恭一(大倉忠義)は結婚しているが浮気癖のおさまらない女好きで、大変なモテ男である。そこにかつての大学の後輩で今は探偵社につとめている今ヶ瀬(成田凌)があらわれ、恭一の妻である知佳子(咲妃みゆ)から恭一の素行調査を依頼されたと言われる。かねてから恭一に想いを寄せていた今ヶ瀬は恭一を脅迫し、恋心を遂げようとするが…

 

 予告を見た時からポテトチップスの撮り方が気になっていたのだが、とにかくこんなに登場人物が食ってばかりの映画は久しぶりに見たのではないかと思うくらい、ほぼ常に誰かが何かを食っている。登場人物は飯を食っているか、料理をしているか、食べ物の話をしているか、飲んでいるか、たばこを喫っているか、あるいは、まあそのー、別のやつを食っているかである。全部は思い出せないのだが、とりあえず出てきた中で記憶に残っている食べ物をリストアップすると、目玉焼きのついた朝食、エビチリが出てくる中華、コーヒー(これは複数回出てくる)、ビール(複数回出てくる)、恭一がやたらデートで使いたがる行きつけのレストラン(複数回出てくる)、恭一が料理しているにんじん、レイズのポテトチップスサワークリーム&オニオン味、今ヶ瀬の生まれ年のワイン(おつまみの生ハムは言及のみ)、北京ダック(言及のみ)、チーズケーキ(言及のみ)、ペットボトルで冷やした水と今ヶ瀬による食事の支度、お蕎麦、ことこと煮る煮物(言及のみ)、岡村家で出てくる紅茶、ハンバーグ(調理のみ)、プリン(言及のみ)が登場したはずだ。130分の映画なので、少なくとも10分から6分に1回くらいのペースで食い物が言及されていることになり、だいたい1場面おきくらいに何か飲み食いの場面がある。とくに主人公の2人はたばこ(これは明らかに2人の間の性愛関係の変化に結びつけられており、一種のファリックシンボルである)も喫うし、口に何か咥えていないと間がもたないのかと思うような調子である。

 この「口に何か咥えていないと間がもたない」というのは案外重要な気がする…というのは、全体的にどうもかなり長い話を圧縮して映画にしているようで、展開がえらい唐突なところがたくさんある一方(恭一の上司がほぼ出てきた次の瞬間に死ぬ)、ラブシーンは男女のものも男男のものもけっこうちゃんと尺をとって見せようとしており、その間になんかいろいろなことを会話で見せつつ、恋愛模様を生活感をもって表現しなければいけない…ということで、基本的に惹かれあっている人間同士の関係が飯とセックスだけに還元されている。そういうわけで、食欲と性欲をきちんと呼応させていれば良いと思う…のだが、そういうことをやろうとしているわりには飯の描写に妙に不自然なところがある。ポテトチップスとか洋梨みたいなおやつ、コーヒーや酒などの飲み物を使った関係の変化の表現は良いのだが、食事の表現に一貫性がないと思った。

 序盤に出てくる目玉焼きの朝食もなんだかやたら量があって食べ合わせがいいのかよくわからないものが並んでいて微妙だったのだが、恭一と知佳子が食べに行く中華がなんだか撮り方が不自然である。2人しかいない丸テーブルで、とくに白いごはんもないし、ガンガン酒を飲む感じでもないところに小皿にのせた辛そうなエビチリが1人分ずつ運ばれてくるのだが、私が知らない高級店とかでは中華っていうのはこういうふうに出てくるのだろうか…ただ、夫婦で中華を食うならふつう大皿のものを取り分けそうなところ、ここは離婚の話が出る場面なので、わざと不穏な感じにしているのかもしれない。こういう何だかよくわからない不穏な場面では食べ物が出てくるのに、その後、感情的に重要そうなところで言及される北京ダック、チーズケーキ、ハンバーグは現物が出てこない。ハンバーグはたまき(吉田志織)と恭一がその後別れることをほのめかすために出さなかったのかもしれないが、たまきはこのへんも含めて描写が薄く、定型的な健気なだけの女になってしまっている。北京ダックとチーズケーキはプロット上大事なので画面に映すべきなのではないかと思った。とくにあのチーズケーキがどうなったのかというのは何か見せたほうがよかったのじゃないだろうか…

 全体的に、この映画ではやたら飲み食いに関係する場面が多いのだが、たぶん原作をいろいろ圧縮したせいでそれをうまく生かせておらず、食事描写がわりと中途半端になってしまっている。さらに、いろいろ展開が唐突なわりには要らないところがあり、同窓会の話とか、恭一が二丁目で気持ち悪くなる場面とかは全く要らないと思った。主演の2人はなかなか良いし、ラブシーンも綺麗なので、もうちょっとなんとかなりそうなのに残念なところだ。また、私はここ2ヶ月くらいで行定勲の映画を4本見たのだが、全ての作品においてペース配分に問題がある上、主演級の男が性的関係において大変にイヤな奴であり、何かそういう困った男にこだわりがあるとしか思えない。この映画も主演の2人は魅力的ではあるもののずいぶんと困った連中で、脅迫やらストーキングやら裏切りやらが絡んだけっこう問題ある関係をズルズル続けてしまうのだが、そのイヤな感じがあまりちゃんと掘り下げられていないように思った。うまく食べ物を生かして、食欲と性欲を結びつけられていればもうちょっとこのへんの掘り下げが細やかになったのではないかと思う。

マーガレット・アトウッド『獄中シェイクスピア劇団』のウェブ+チラシ用解説を書きました

 マーガレット・アトウッドの『獄中シェイクスピア劇団』のウェブ+チラシ用解説を書きました。『テンペスト』の翻案で、大変面白いのでとてもオススメです。

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今月の連載は洋楽の歌詞についてです

 今月のwezzyの連載は洋楽の歌詞についてです。英語圏の音楽ではカバーする時に歌詞の語り手のジェンダーを歌い手にあわせて変更することがあるんですが、これはどういう効果をもたらすか、また変更しない場合はどうなるかっていう話です。例としてビートルズとホワイトストライプスをあげています。

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アーティゾン美術館+三越英国展

 アーティゾン美術館に行ってきた。リニューアルしてからは初めてである。

 まずは「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×鴻池朋子 鴻池朋子 ちゅうがえり」展を見た。この展覧会は撮影できるのだが、けっこう遊び心のある特設展で面白かった。

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でっかいすべり台。

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「皮トンビ」という瀬戸内から持ってきた展示品。

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クマ。

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ゾートロ―プみたいな装置を使った影絵の展示。

 この他に「第 58 回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館展示帰国展 Cosmo- Eggs| 宇宙の卵」という空間展示と、コレクション展でパウル・クレーの特集と「印象派の女性画家たち」展をやっている。主なめあてはこの印象派の女性画家展だったのだが、展示点数は少ないものの、けっこう役に立つ冊子を無料で配布している。

 その後、日本橋三越の英国展にスコーンを仕入れに行ったのだが、えらい混みようでちょっとうんざりした。写真はメルローズモーガンのヴィクトリアスポンジ。

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カポーティの「娘」~『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』(試写、ネタバレ注意)

試写 『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』を試写で見てきた。作家のカポーティに関するドキュメンタリー映画である。

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 ジョージ・プリンプトンの評伝が原作に近い位置づけで、プリンプトンの取材テープの公開…ということになっているのだが、何しろテープをかけているだけでは単調になってしまうので、わりと映像のインタビューが多い。コルム・トビーンとかジェイ・マキナニーとか、有名な作家もけっこう出てくる。終盤は未完の大作『叶えられた祈り』の原稿の行方についての話が中心で、これは最初の一部だけが公開されており、あとの部分が見つかっていない。カポーティは書き上げたと言っていたらしいのだが本当に全体の原稿はあるのか、あるとしたらどこにあるのか…といった謎がとりあげられている。

 とくに面白いのはカポーティの「娘」が出てくることだ。全く知らなかったのだが、カポーティには養女がいたそうで、その娘であるケイト・ハリントンが取材に答えてカポーティの個人的な生活ぶりについてもいろいろ話をしている。ハリントンはなんとカポーティの元カレの娘だそうで、いろいろあったせいでハリントンの父であるジョン・オシェイは家を出ていってしまい、暮らしていけなくなった時にハリントンがカポーティに連絡したところ、カポーティがハリントンを引き取るような形になったそうだ。ハリントンの口ぶりからすると、カポーティは型破りなところはあってもけっこう思いやりをもってハリントンを育てていたらしく、後年ドラッグ中毒がひどくなるまではちゃんとした養父だったらしい。カポーティはわりと付き合いにくく、わがままな人だというイメージがあったので、自分から子育てをしていたとはなかなか意外だ。家庭崩壊について多少責任感があったのか、それともハリントンはわりと小さい頃からしっかりした感じの子だったようなので、うまがあったのかもしれない。なお、映画の中では触れられていないのだが、ハリントンは映画の衣装デザイナーで、元夫は『プレデター』の監督で後に犯罪でつかまったジョン・マクティアナンである。