「第2回 ひなまつり Wikipedia 女性×かながわ」が無事終了しました

 「第2回 ひなまつり Wikipedia 女性×かながわ」イベントが無事終了しました。去年は開催できず、今年もオンラインで講義のみとなりましたが、たくさんの方にZoomで参加していただけました。なお、デモ記事としてはムッソリーニ暗殺を企てたアイルランドの女性ヴァイオレット・ギブソンの記事を作りました。

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エトセトラブックスに行ってきた

 新代田に新しくできた、フェミニズムにかかわる本を集めた書店であるエトセトラブックスに行ってきた。小さいお店だが品揃えは悪くなく、また行きたい。木・金・土 の12-20時しかやってないので、そこは注意である。

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お店の前の様子

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よくできているが、好きかというと…『テンダーシング-ロミオとジュリエットより-』(ネタバレあり)

 ベン・パワーの『テンダーシング-ロミオとジュリエットより-』を見てきた。『ロミオとジュリエット』他シェイクスピアのセリフを組み替えて老夫婦の物語にするというものである。土居裕子と大森博史が老夫婦を演じている。

 全部シェイクスピアの台詞だけで老夫婦の話にするというコンセプトはすごくて、よくできた芝居だと思うのだが、終盤、妻のほうが弱ってどんどん安楽死と心中の話になるのがどうも乗れなかった。こういう話はずいぶんよくあるのだが、正直なところ、老人の安楽死みたいなデリケートな主題を扱うのには、シェイクスピアじゃないもうちょっとシチュエーション特定の言葉を足す必要があるんじゃないかと思う。あと、序盤で少々夫のほうの台詞がボソボソした感じで、のってくるまではやや堅い感じだったかなと思う。

シュールなコメディ~『天国にちがいない』

 エリア・スレイマン監督の新作『天国にちがいない』を見てきた。

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 パレスチナキリスト教徒であるスレイマン監督10年ぶりの長編新作である。本人が限りなく本人に近い役で出てきて(業界人としてガエル・ガルシア・ベルナルがほんのちょっとだけ出てきたりする)、自宅のあるナザレスから仕事の都合でパリとニューヨークに行く…というだけで、あんまりはっきりした話はない。この作品に出てくるスレイマン監督は大変寡黙な人なのだが、周囲ではおかしなことばかり起こる。だいたいは素っ頓狂で面白可笑しいことが起こるのだが、かなり不穏なことも起きており、これがどうもパレスチナで起きていることのメタファーになっていて、スレイマン監督の行く先々が比喩的な意味でパレスチナになる…というか、そもそも世界のどこにもパレスチナとそんなに変わらないような暴力とか腐敗があるのではないかということが示唆されている。

 しかしながらスレイマン監督じたいは危険なことが起こってもなぜか切り抜けてしまう。武装した人やら危険そうな人やらがやたら近づいてくるのだが、なぜかスレイマン監督じたいは無視されることも多い。これはパレスチナキリスト教徒という周縁の中でもとびきり周縁化されてしまっている人たちの存在(しょっちゅう危険な目にあっているのだが、比較的世界の目に届きにくい)を示唆しているのかもしれない。

 ジャック・タチとかチャップリンみたいな台詞に頼らないコメディでかなりシュールなので、たぶんスレイマン監督の作風は「パレスチナの映画」というものから一般人が想像するものとはだいぶ違う。この映画はそれじたいをネタにしていて、パリではスレイマン監督は映画が十分にパレスチナっぽくないということで制作費を出してもらえなくなるし、ニューヨークでもさっぱり仕事がうまくいかない。この映画は人々が「パレスチナ」に対して抱いているイメージを問い直すものでもある。

保守的な夫婦の喜劇~『クラッシュ 4K無修正版』(ネタバレ)

 デヴィッド・クローネンバーグ監督の『クラッシュ 4K無修正版』を見た。『クラッシュ』を見るのはこれが初めてである。もともとは1996年の映画である。

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 基本的には、倦怠期に陥っているジェームズ(ジェームズ・スペイダー)とキャサリンデボラ・カーラ・アンガー)が交通事故にハマるという話である。ジェームズがヘレン(ホリー・ハンター)の車と衝突し、ヘレンの夫が亡くなるのだが、ジェームズはヘレンの導きで交通事故に性的興奮を覚えるヴォーン(イライアス・コティーズ)と出会い、どんどん交通事故にハマっていく。キャサリンもだんだんヴォーンと夫のペースにのせられていく。

 たぶん公開当時は交通事故に性的興奮を覚えるとかいうのはとてもショッキングだったのだろうと思うのだが、正直、今この題材が衝撃的かっていうとそうとも思えない。子供の時には既に『ジャッカス』がやってたし、もうエクストリームスポーツがとっくに市民権を得て、SNSに投稿するためだけに危険なことをやる人がうようよいる時代である。さらに2009年にはデビッド・キャラダインが窒息オナニーでお亡くなりになっているので、危険な性行為をする人がけっこういるということは少なくとも映画ファンの間ではよく知られていて、それほど驚くようなことではないはずである。バンジージャンプとかを面白がってやる人がいるんだから(私もやったことあるけどけっこう面白かった)、交通事故に性的興奮を感じる人がいると言われてもあんまりびっくりはしないというか、まあそういう人もいるでしょうねと思う。

 そういうわけでとくに交通事故に性的興奮を感じる人がいるというのは驚くようなことでもなんでもないと思って見ていたのだが、そう思って見ると、これはセックスコメディみたいな話である。基本的に倦怠期のジェームズとキャサリンが交通事故にハマることで生き生きセックスできるようになるという話なので、これはスタンリー・キャヴェル言うところの「再婚喜劇」(一度は別れた相手と再び結ばれるというロマコメの定型)だ。ふつう再婚喜劇というのはヒロイン中心であるところ、この映画はジェームズが中心でキャサリンはわりと流されているだけという違いはあるが、ジェームズもキャサリンもえらくリッチであんまり働いている気配がなく(ジェームズは一応仕事をしているが、サボって愛人といちゃついたり、途中でヴォーンに呼び出されて出かけたり、いい気なもんだ)、倦怠期で双方愛人を作りまくっているくせに離婚する気配はなくて、設定はほぼ有閑階級のコメディである(序盤はけっこうラクロの『危険な関係』に似ている)。交通事故フェチなんていうのは実に金のかかるフェチで、毎回車がぶっ壊れるし、ちゃんとした保険に加入していないといけないし、健康でないと体も持たないのだが、この2人はセックスにすごいリソースを注いでおり、まあヒマでいいご身分の人たちだ。ご丁寧にジェームズは終盤、キャサリンの車がぶつけられたのがわかるところでわざわざ「君の求婚者(suitors)」のせいじゃないかと言っており、こういう細かい台詞のワードチョイスとかも全体を結婚セックスコメディっぽくしている。

 ヴォーンやガブリエル(ロザンナ・アークエット)はもうちょっとワーキングクラスっぽい暮らしをしているように見えるのだが、交通事故ショーとかの予算はいったいどこから調達しているのか、そのへんは謎である。ひょっとすると交通事故ショーはけっこう儲かるのかもしれず、そのへんフェチからどうやってお金を稼いでいるのか大変興味深いところだが、この映画はそのへんはとくに関心を示していない。ヴォーンが最初に、自分たちは「人体の再生」とかを目指しているというウソをつくところはあまりにもわざとらしくて真面目に撮っているとは思えず、たぶん笑うところだと思う。

 しかしながら、交通事故というものすごくコストがかかるフェチにハマり、人まで死んでいるにもかかわらず、結局この夫婦は交通事故のおかげで楽しくセックスできるようになりました、というハッピーエンドが訪れる。途中でジェームズもキャサリンも異性のみならず同性と浮気するなどモノガミーにとらわれない行動をとるのだが、モノガミーへの脅威であったヴォーンが亡くなったせいで、この二人は存分に交通事故を使って夫婦セックスできるようになった。中盤は一見、過激に見えるものの、この落とし方はずいぶんと保守的だし、あんだけやっといて結局は夫婦の楽しいセックスか!と笑ってしまう。 

Pursuits of Happiness: The Hollywood Comedy of Remarriage (Harvard Film Studies)
 

 

これ、舞台ではないよね?~『エステラ・スクルージ』(配信)

  ミュージカル『エステラ・スクルージ』を有料配信で見た。ジョン・ケアード演出の配信ミュージカルで、『クリスマス・キャロル』の翻案ものである。

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 基本は『クリスマス・キャロル』だが、他にもいろんなディケンズ作品がごちゃまぜにしてある。ヒロインである守銭奴の若き女性企業家エステラ・スクルージ(ベッツィ)がクリスマスに差し押さえ業務で故郷であるオハイオ州ピクウィックに戻り、そこで三人のクリスマスのゴースト(ご先祖のエベニーザ・スクルージを含む)に会って改心するまでを描くのがメインプロットである。この他にエステラの少女時代のボーイフレンドで差し押さえ対象であるホテル兼シェルターのハートハウスを軽視しているピップ・ニックルビー(クリフトン・ダンカン)のお話やら、エステラのおばであるマーラ・ハヴィシャム(キャロリー・カルメロ)やらの話がからんでくる。

 新型コロナウイルス感染症が流行する中、役者をひとりずつ別撮りして作ったというもので、背景などがほぼ合成である(最後に撮影風景の紹介もある)。技術的には大変難しいことをやっていると思われる。別撮りとは思えないくらい演技などはナチュラルだが、見た目は子供向けの人形劇に人が入って動いているみたいな感じですごくファンタジーっぽく、まったく舞台芸術らしくはない。クリスマスのテレビ映画という感じである。

 全体的には気軽に見られる楽しいホリデー映画という感じで、技術的にはすごいし新型コロナの中で新しいやり方で新作を作ろうとしている点では野心的で評価できるのだが、それ以上にすごくよくできているとかいうわけではないと思う。ただ、エステラ・スクルージが女性になっているのにあんまりミソジニーっぽくなく綺麗にまとめていたり、ノンバイナリの登場人物であるスマイク(エム・グロスランド、『ニコラス・ニックルビー』の登場人物に基づく)が活躍したりするあたりはけっこう良い。いろんな作品からアクの強いキャラクターが出てくるが、ディケンズの作品というのは変わり者が右往左往するのが特徴なので、各作品の要素をごっちゃにしてもキャラさえきちんと立てればけっこう成立するんだなと思った。

会食政治とシェイクスピア~『KCIA 南山の部長たち』(ネタバレあり)

 『KCIA 南山の部長たち』を見た。1979年の朴正煕大統領暗殺事件を主題にした歴史もの政治スリラーである。

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 物語はおおむね、大韓民国中央情報部(KCIA)のキム部長(イ・ビョンホン)を中心に進む。前のKCIA部長だったパク部長(クァク・ドウォン)がアメリカに亡命し、大統領警護室のクァク室長(イ・ヒジュン)は粗暴であるため物静かなキムとそりが合わず、政府内でのもめごとが絶えない。かつて一緒にクーデターを起こしたパク大統領(イ・ソンミン)も、情報部のトップにしては穏健なキムを最近は疎んじている気配がある。キムは自分の身の振り方について悩むようになる。

 男性同士の親密感ある関係が悪いほうに転んでいく様子を丁寧に描いた政治スリラーである。アメリカに住んでいるロビイストのデボラ(キム・ソジン)以外、ひとりも女性が出てこないし、むしろデボラもわざわざ出さなくていいんじゃないかと思うくらい、ホモソーシャルな絆とそのほころびに焦点をあてた作品だ。大事なところでシェイクスピアネタが出てくるのだが、そこで使われているのが『オセロー』で、これはシェイクスピア劇の中でもとくに男同士の息苦しい嫉妬と競争をスリリングに描いた作品なので、雰囲気としてはピッタリである。この『オセロー』の使い方は微妙で、話の中では単なるマクガフィン…というか、おそらく実はここで『オセロー』に絡めて出てきている存在はみんなの疑心暗鬼の産物なのではという気がするのだが、一方で象徴としてはものすごく重い意味を負わされている。パク大統領の政府が男たちの妬みと疑いで動いていることを示唆するモチーフになっているからだ。個人的にはイ・ビョンホンに是非、ガチのシェイクスピア翻案をやってほしいと思った。

 そこで男同士の暑苦しい絆を象徴するものとして使われているのが、パク大統領が部下を呼んで行う会食である。日本でも新型コロナウイルス感染症が流行っているのに国会議員が会食をしているとか、二階幹事長や菅首相がやたらと会食が好きだとか、首相の息子が会食接待してたとか、会食政治が取り沙汰されているが、この映画はまさに男たちが一緒にメシを食って酒を飲むという非公式な場で親しくなり、そこでできた関係で政治が動くというありさまを丁寧に描いている。キム部長は自分だけ会食に呼ばれていないと知ってわざわざ会食会場の盗聴に出かけるし、大統領暗殺を企てるのは会食の場だ。この会食はなんともいえないエロスに満ちたものとして提示されている。