今後の登壇予定

 ちょっとイベントが立て込んできているので、現在申し込み受付中の登壇予定イベントを整理して紹介します。

 

・5月16日 第71回日本西洋史学会大会「西洋史ウィキペディアワークショップ――レクチャーと作業セッション――」※大会参加申し込みのほうは締め切り

www.seiyoushigakkai.org

 

・6月3日~6日 ヨーロッパシェイクスピア協会ヴァーチャル大会…シェイクスピアと音楽に関するセミナーに参加します。

esra2021.gr

 

・6月9日 2021年度 ふぇみ・ゼミ U30(年間パスポートあり)…ウィキペディアの話をします。申し込み受付中。

2021femizemiu30.peatix.com

 

・6月18日 朝日カルチャー「「ロミオとジュリエット」の笑いと社会批判」…『ロミオとジュリエット』の話をします。申し込み受付中。

www.asahiculture.jp

[[ポン・デ・リング]]の記事をウィキペディアに作りました

 日本語版ウィキペディアポン・デ・リングの記事を作りました。本当はエディタソンでデモ記事にする予定だったのですが新型コロナウイルスがおさまらずにエディタソンがおじゃんになり、次回はいつ対面のエディタソンができるのかもわからないので、とりあえず公開することにしました。

ja.wikipedia.org

ものすごく舞台劇っぽい構成~『ファーザー』(試写、ネタバレ注意)

 『ファーザー』をオンライン試写で見た。本作の監督もつとめているフローリアン・ゼレールの戯曲『Le Père 父』が原作で、この芝居は大当たりして既に一度フランスで映画化もされている。アンソニー・ホプキンズがかなりの番狂わせでアカデミー主演男優賞を撮った映画である。

thefather.jp

 年老いて認知症が悪化しつつあるアンソニー(アンソニー・ホプキンズ)が主人公の作品である。ほぼ認知症のアンソニー視点で語られるので(たまに娘のアン視点になることもあるが)、話は直線的に進まない。ちょっと誰かが部屋を出入りするだけでシチュエーションが変わってさっきまでいたはずの人が別人になったりする。

 アンソニーを視点人物にすることで、認知症の主人公が感じる孤独や不安を如実に描き出そうとしたところがこの映画のポイントである。アンソニー・ホプキンズが主人公を大変見事に演じており、認知症になるというのが本人にとってどれだけ大変なことなのかに内側から迫ろうとしている。最後に葉が全部落ちていくようだ、枝や風や雨のせいだと言いながらアンソニーが涙するところは、ちょっとシェイクスピアの『十二夜』の最後にフェステが人生について歌う'The Wind and the Rain'を思わせるところがある。

 全体的に非常に舞台劇っぽい作りである。とくに冒頭の何も説明なくアンソニー視点でいろいろシュールな出来事が起こるところはハロルド・ピンターの『誰もいない国』などを思わせる不条理劇みたいな展開である(アンソニーにとっては日常的に世界がこうなってしまっているわけだが)。ただしピンターとかベケットなどに比べるとはるかにわかりやすいし、きちんと話を全部回収する巧みな台本になっている。話の収拾のために同じ箇所を二回やるというところがけっこうあるのだが、それでもダレないのはたいしたものだ。こういう語り口は舞台劇が得意としているものだと思うのだが、この映画は自然の描写や窓から外を見るアンソニーの動きなど、舞台だとやりにくいような場面も折々で効果的に使って非常にしっかりした映像化になっていると思った。

やすらがない森~『やすらぎの森』(試写、ネタバレ注意)

 フレンチカナダの映画『やすらぎの森』をオンライン試写で見た。

yasuragi.espace-sarou.com

 舞台はケベック州の森である。森の奥で3人の年老いた男性であるテッド(ケネス・ウェルシュ)、トム(レミージラール)、チャーリー(ジルベール・スィコット)が世捨て人のように隠棲していたが、ある日テッドが亡くなってしまう。そこに3人に物資を運んでいた若者スティーヴ(エリック・ロビドゥー)が年老いたおばのジェルトルード(アンドレ・ラシャペル)を連れてきて、マリー・デネージュと改名したジェルトルードは森で暮らすことになる。

 『やすらぎの森』という日本語タイトルがついているが、あまりやすらがない話である。静かなタッチの映画だがかなり内容はダークで、精神病の患者や女性の虐待、病気を抱えている高齢者の性愛、安楽死、山火事による住環境の破壊、災害が地域に与えるトラウマなど、重めのテーマを真面目に扱っている。ジェルトルード/マリー・デネージュは若い頃に精神疾患を理由に療養所に閉じ込められ、スティーヴの助けで施設から逃げるように森にやってきて改名し、新しい生活を始めるという展開で、ちょっと『エアスイミング』にも似ている。全体的にしみじみした雰囲気で映像も美しく、犬も可愛いし(ただし犬好きにはすすめない)、過去の山火事と現在の山火事がつながる構成も巧みである。役者陣の演技もとてもしっかりしている。ただ、ジェルトルード/マリー・デネージュについて、メンタルヘルスの問題と鋭敏なセンスが結びつけられているような描写はちょっと引っかかるところもあった。

 災害がコミュニティや人々に及ぼすトラウマを静かなタッチで描くというところはちょっと同じカナダのアトム・エゴヤンを思わせるところがあると思った。エゴヤンほど奇抜な設定を使っているわけではないが、それでも森の世捨て人というのは北米ではたぶんロマンティシズムをかき立てるものなのだと思う。火事がプロット上重要だというところや、なんとなく閉じた雰囲気などは『百合の伝説 シモンとヴァリエ』もちょっと思い出すところがあった。

今の作品みたい~ダムタイプ『S/N』(配信)

 ダムタイプ『S/N』を配信で見た。初演の後にHIV感染関連の疾患で死去した古橋悌二が中心になって作った舞台である。非常に有名な作品だが、見たのは初めてである。

normalscreen.org

 1994年初演ということだが、今の作品だと言われてもおかしくないくらい古くなっていない。構成としてはゲイの男性(耳の聞こえない男性やアメリカ系で日本に住んでいる黒人男性、HIV陽性の男性など、いろいろなアイデンティティのゲイ男性が出てくるが、それだけに還元されているわけではない)やセックスワーカーの女性などが出てきて性愛などについていろんな話をするようなドキュメンタリー演劇っぽいセクションと、コンテンポラリーダンスっぽいセクションなどが組み合わされて作られている。ドキュメンタリー演劇の部分は今でもふつうにありそうで、とくに「セックスワーク」という言葉の説明から始まるあたりはいまだに全然、状況が変わっていないと思った。HIVについての危機感は90年代特有のものなのだろうが、語り方は今でも通用するようなものである。最後にブブ・ド・ラ・マドレーヌがストリップティーズふうに体内から万国旗を出すところは最近のバーレスクでもありそうなパフォーマンスだ。照明の点滅を使ってアニメーションみたいな効果を出すやり方は最近の舞台ではけっこう飽きるほど見かけるもので、このへんが流行りの原点だったのか…と思った。全体的に「どっかで見たな」と思うようなところが多く、たぶん私は知らないうちにこれに影響を受けた作品をすごくたくさん見ているのだろうと思う。

悪くはないのだが、ちょっとノスタルジックかなぁ~Being Mr Wickham (配信)

 シアター・ロイヤル・ベリー・セント・エドマンズの配信でBeing Mr Wickham を見た。名作と名高い1995年のBBC版『高慢と偏見』でウィッカムを演じたエイドリアン・ルキスが60歳になったウィッカムを演じる一人芝居である。ルキスがキャサリンカーゾンと作ったもので、1時間くらいのお芝居にQ&Aがついている。

theatreroyal.org

 60歳の誕生日に妻のリディアの機嫌を損ねたウィッカムが、ひとりでお酒を飲みながら過去のことを回想するというモノローグの芝居である。だいたい原作で示唆されている雰囲気に沿って、ウィッカムはリディアと別れておらず、イギリスに住んでいて、けっこう上品な感じのイケてるおじさまになっている。子供の時からのダーシーとのライバル関係とか、劇場でバイロンを見かけたこととか、おじちゃまになったウィッカムがいろいろ面白い話をしてくれるという感じのお芝居だ。どうも芝居が始まる前からけっこうきこし召しているような感じで、芝居の間もお酒を片手にたまに滑舌が悪くなる感じで、そこはまあウィッカムである。

 まあ面白いことは面白いのだが、個人的にはけっこう好みとは違った。まず、私のウィッカム解釈とはちょっと合わないような気がする。このウィッカムバイロン的ヒーローに憧れているみたいだし、ダーシーとのライバル関係や財産がなくても生き残ろうとする野心のあり方が明確で、けっこう行動の動機がわかる感じがする。どのくらい話の内容が信用できるかどうかはともかく、ワルでも人間味があるウィッカムなのだが、私はもうちょっとウィッカムサイコパス風味に作るほうが好きである(ウィッカムは英文学のキャノンの中でもかなり現代人が言うサイコパスに近いと思う)。もちろん人間味のあるワルのウィッカムが好きだという人のほうがずっと多数派だろうからこういう芝居ができるのだろうが…

 あともうひとつ思ったのは、ちょっとノスタルジックすぎやしないかな…ということだ。たしかにBBCの『高慢と偏見』はテレビドラマ史上に残る傑作なのであの続編を何らかの形で作りたいというのはわかるし、そこでウィッカムがおじちゃまになったところを芝居で、というのは理解できる。とくにこういう新型コロナウイルス流行で一人芝居くらいしか新作が上演できないとあれば、こういう企画が出てくるのは自然だろう。しかしながら、25年前の作品を懐かしんですごくよくできた二次創作みたいな芝居を作るよりは、全く別の翻案を新解釈で作ったほうがいいような気がする。

『信濃毎日新聞』にコメントしました

 『信濃毎日新聞』の昨日の紙面にコメントしました。憲法記念日関連のジェンダー記事です。書誌情報は以下の通りです。

中山有季「ジェンダー憲法(中)男女格差のない世界へフェミニスト批評で突破口」『信濃毎日新聞』2021年4月30日、p. 9。