楽しい作品だが…『シャイニー・シュリンプス!愉快で愛しい仲間たち』(ネタバレあり)

 『シャイニー・シュリンプス!愉快で愛しい仲間たち』を見てきた。

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 水泳選手のマティアス(ニコラ・ゴブ)は同性愛差別発言のために処分を受けることになり、クロアチアで開催されるゲイ・ゲームズ出場を目指すゲイの水球チームであるシャイニー・シュリンプスのコーチをつとめることとなった。シャイニー・シュリンプスはお祭り好きの集まりであまり強くなく、マティアスはあまりやる気が出ない。しかしながら人間味のあるチームメイトたちや娘のヴィクトワール(マイア・ケスマン)の影響で、それまで責任から逃れようとする傾向があったマティアスも本気で指導に取り組むようになる。

 チームメンバーのキャラクターが生き生きとしており、それぞれの人生模様もきちんと描かれていて、楽しい作品である。監督・脚本のセドリック・ル・ギャロはオープンリーゲイで本人も水球選手だそうで、内容はかなり実体験に基づいているらしい。けっこうリアルなのかもしれないと思うのは、LGBTスポーツの世界におけるゲイ男性チームの中でのトランス差別を描いているところだ。古株であるジョエル(ロラン・メヌー)がトランス女性であるフレッド(ロマン・ブラウ)のチーム再加入について、トランス女性は仲間じゃないからみたいなことをほのめかして難色を示すのだが、他の若いメンバーはジョエルが何を問題にしたがっているのかすらあんまりわからない(水着や保険を気にしているのかと思っている)、ということが描かれている。ジョエルはその後ちゃんと心を入れ替えてフレッドと仲良くなる。

 ただ、全体的には面白いとは言っても、けっこうステレオタイプだと思われるところはたくさんある。まず、フレッドはすごく良いキャラクターになりそうなのにあまり掘り下げられていない。また、ジャン(アルバン・ルノワール)が死んでしまうというのはちょっとお涙ちょうだいにまとめすぎな気もする。一番私が要らないのでは…と思ったのはマティアスのキャラクターで、ゲイのチームを描くならストレートのコーチを主人公にしてその改心を描く、みたいなのはそもそも要らないのではという気がした。どの程度事実に基づいているのかはわからないのだが、部分的にいろいろ体験をもとにしているにしても、もうちょっとそのへんをきちんと詰めた脚本にしたほうがもっと面白い映画になっただろうにと思う。 

ツイ・ハークがかかわっている凝ったプロダクション~当代伝奇劇場『テンペスト』(配信)

 世界シェイクスピア大会の配信で当代伝奇劇場『テンペスト』を見た。2004年の台湾のプロダクションで、呉興国とツイ・ハークが演出しているものである。全体的にかなりきちんと京劇スタイルに落とし込んでいる上演だ。

 私は呉興国の『リア王』をかなり前にエディンバラで見て、その時はあんまり面白いと思わなかったのだが、この『テンペスト』はデザインや振付がかなりしっかりした華やかな上演で視覚効果が高く、面白かった。映画監督のツイ・ハークがかかわっているというだけあってアクションはとても綺麗である。衣装も凝ったもので、エアリアルは後ろに大きな白い翼をつけているし、プロスペローは全体に呪文みたいなものが書かれたけっこう禍々しい魔法の衣と杖を使っており、最後にこれを捨てるところは見た目のインパクトがある。ただ、古い上演映像なのでちょっとたまに映像が粗くて見づらいところがあり、おそらくライヴで見るとすごいのであろう視覚効果が削がれているところがあるのが残念だ。

道化の政治歴史劇~九年劇場『リアは死んだ』(配信)

 世界シェイクスピア大会の配信でシンガポールの九年劇場による『リアは死んだ』を見た。ネルソン・チア演出で、2018年の上演である。基本的に『リア王』だが、かなりカットがあり、劇中劇だという枠に入っている。

 セットは線で区切った箱みたいなシンプルなもので、衣装は中国風だが背中のほうから止める変わったかぶり物がついていたり、ちょっとシュールである。この変わった衣装はたぶん、このお芝居は道化によるものだというコンセプトに関係している。このプロダクションは愚人協会という団体が最近の歴史上の出来事を上演するという枠に入っており、最初と途中に愚人協会の人たちとの対談がある。この愚人協会は宮廷道化師の団体であり、つまりは政府のスタッフなので、そういう団体が最近亡くなった王様のことを芝居にするのはプロパガンダなのではないか…などというけっこう厳しい質問が投げかけられるところから始まる。出演者も全員愚人協会の道化師の皆さんだということになっている。

 こういう対談などが入っていることからもわかるように、プロダクションのコンセプトは歴史叙述というものがいかに形成されていくかと、そして人間の愚かさである。なんでもこのお芝居はリー・クアンユーが没したことにヒントを得ているそうで、リア(李尔)がリー・クアンユー李光耀)であることはおそらくシンガポールのお客さんにはみんなわかるらしい。漠然と見ていても歴史というのが叙述の仕方によって変わるものだということを強調しつつシェイクスピア劇を現代に近づけているのはわかるが、たぶんシンガポールに住んでいるともっとよくわかるのだろうと思う。何しろ全員道化師が演じているというだけあって人間の愚かさを強調した演出で、全体的に非常に諷刺的で突き放したような不条理な描き方になっている。一方でかつては偉大であったと思われるリア王がすっかり老い衰えて新しい時代について行けなくなっており、それでも慕う人がいるということが強調されている。もう少し作品じたいの演出で歴史叙述などのテーマを強調してもいいと思うのだが、シンガポールの歴史に引きつける演出としては非常に野心的で鋭いものなのだろうと思う。

キャストは魅力的だが、やはりつらい~ニュー・グループ・オフ・ステージ『ゴドーを待ちながら』(配信)

 ニュー・グループ・オフ・ステージの『ゴドーを待ちながら』を有料配信で見た。スコット・エリス演出で、イーサン・ホークがウラジーミル、ジョン・レグイザモエストラゴン、ラッキーがウォレス・ショーン、ポッツォがタリク・トロッターという豪華キャストである。全体がZoom画面みたいなビデオ会議で撮影されており、それぞれ自分のアカウントからつないでくるみたいな感じになっている。

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 何しろホークとレグイザモはとても魅力的なディディとゴゴで、知的でスマホをいじったりとかわりとしゃれた感じのディディが愛嬌たっぷりのおとぼけゴゴにツッコンでるみたいな漫才感がある。何しろホークとレグイザモなので、オーソドックスなベケット的やりとりをしてもなんとなく現代風だ。2人(とくにディディ)がけっこう歌ったり踊ったりしてくれるあたりもいい。

 Zoomでベケットをやるというのはコンセプトとしては大変正しいと思う。なにしろベケットの芝居というのは登場人物がきわめて孤独だったり動きが制限されたりしているのが特徴で、『エンドゲーム』や『芝居』みたいに全然動かない人が出てくるものすらある。それと新型コロナウイルスで隔離されている人々の孤独を重ねあわせて…というのは大変よくわかる。しかしながらベケットの中でもまだ『ゴドーを待ちながら』はもうちょっと動きや接触を使った喜劇的要素がある作品なので、それまでZoomで制限されてしまうとけっこう見ていて孤独がひしひしと感じられ、キツい。Zoomというのはベケットの芝居がもともと持っているつらさを最大限に引き出してくれてしまうツールである。途中でディディとゴゴが帽子を交換するあたりは壁がなくなったみたいな印象を受けて一瞬とてもハッピーになったりもするのだが、全体的にはコミカルながらもこの先の見えない感染症流行がいつ終わるのかわからないまま孤独に生きている人々の芝居という感じがする。さらに3時間もあって長いので、余計つらい。

内容は悪くないが、撮影が…鄧樹榮演出『マクベス』(配信)

 世界シェイクスピア大会の配信で鄧樹榮演出の『マクベス』を見た。2019年の香港のプロダクションである。広東語で英語字幕がつく(最後のQ&Aは字幕がないので見られなかった)。

 箱のような背景幕だけがあるシンプルなセットで展開する物語である。一応、現代の夫婦のドリームヴィジョンという枠があるのだが、正直なところ、これはなくてもよいと思った。舞台は古代中国のような感じで衣装はたまに中国風になることもあるのだが、マイクとか現代的な道具も使っている。幻影の演出にわりと特徴があり、黒子(香港だからそう呼ばないのかもしれないが)が出てきてマクベス(梵谷)に幻の剣を見せる一方、祝宴の場面はものすごくシンプルな設定なのにバンクォーの亡霊が実際に出てこなくて、ここの演出はけっこうわかりづらい(出したほうがいいのではと思う)。途中からマクベス夫人(黎玉清)とマクベスを演じる役者が入れ替わるところはマクベス夫妻が一体であることを示唆していてとても良い工夫だと思った。

 ただ、全体的にかなり撮影がよろしくない。舞台の正面に据えた固定のカメラで撮っているのだが、なんか最初のほうは固定がおかしいのかちょっと画面が揺れている。上演が始まるとちゃんと固定になるのだが、いかにもアーカイヴ用の撮影という感じで、奥で役者が動いている時などはほとんど表情がわからないし、暗めの場面では動きもあんまりよくわからない。面白いプロダクションだと思うのだが、たぶん撮影のせいでだいぶわかりづらくなっていると思う。

『オリヴァー・トゥイスト』の現代版翻案~ 『スティーラーズ』

 『スティーラーズ』を見てきた。これ、原題はTwistで、チャールズ・ディケンズの『オリヴァー・トゥイスト』の現代版である。冒頭で「歌も踊りもない」とか言っているが、これは有名なミュージカル『オリヴァー!』への言及だ。

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 舞台は現在のロンドンである。孤児でフリーランニングの達人であるストリートアーティスト、オリヴァー・トゥイスト(ラフ・ロウ)はひょんなことから若者を集めた美術品東盗難組織をやっているフェイギン(マイケル・ケイン)に拾われる。トゥイストは赤毛のレッドことナンシー(ソフィ・シムネット)に恋をするが、ナンシーは年上でどうもいろいろ後ろ暗いところあるらしいワルな女サイクス(レナ・へディ)の愛人だった。トゥイストはフェイギンが計画している。ロスバーン博士(デヴィッド・ウォリアムス)を狙った美術品盗難作戦にかかわることになるが…

 あんまり個性のない子供が主人公の原作に比べると本作は完全に別物で、現代風なケイパー映画になっている。ただ、とくに出来がいいというわけではなく、全体的にけっこう安っぽいし、またちょっとロンドンにしては地理的な位置関係がおかしいのでは…というようなところもある。アートフル・ドジャーがドッジ(リタ・オラ)という女性になっているところや、サイクスとナンシーが虐待的なレズビアン関係になっており、レナ・へディがひたすら暴力を振るい続ける女を演じているあたりは新しいと言えるかもしれない(ちなみに最近セクハラの訴えで大変なことになっているノエル・クラークも出ている)。フェイギンがユダヤ系だという今からすると人種差別的な設定はなくなり、いろいろおかしいとは言え原作よりははるかにマシな感じの人物になっている。しかしながらなんでフェイギンとサイクスがあんなに密な関係なのかがわからないし、フェイギンがどう見てもナンシーを虐待していると思われるサイクスを容認しているのもちょっと筋が通らない。フリーランニングはけっこう見ていて面白いのだが、それ以上の見所はない映画かなと思った。

ハムレットを出す必要あるのか…?『オフィーリア』(配信)

 世界シェイクスピア大会の配信で『オフィーリア』を見た。シンガポールで2016年に行われた上演で、ナタリー・ヘネディゲとミシェル・タン作、演出もヘネディゲがつとめている。『ハムレット』の翻案である。

 プールみたいなセットにプール監視員用の椅子があり、そこにオフィーリア(ジョー・クカサス)が座っているところから始まる。一応お芝居のリハーサルという枠があり、ハムレット(トマス・パン)がいろいろオフィーリアに面倒な指示を出し、オフィーリアがうんざりする…というような展開になっていく。けっこう直接的に暴力を振るう描写があったりもする一方、プール用のモップをハムレットの父の亡霊に見立てるなど、笑えるところもたくさんある。

 しかしながら私はあまり面白いと思わなかった…というのも、こういうお芝居にしては尺が長すぎるし、そもそも『オフィーリア』というタイトルで『ハムレット』の翻案をやるのであればハムレットなんてちょっとしか(あるいは全く)出さなくてもいいのではないかと思うからである。フェミニスト的な再解釈をするのであれば、別にハムレットを出してオフィーリアとハムレットの虐待的な関係を見せる必要はないと思う(既に原作でそれは示されていると思うし)。オフィーリアが主人公の翻案はたくさんあるが、オフィーリアが主役であるならオフィーリアが自分で動き回る芝居を見たいと思う。