殺陣がとても良い~フロント・フット・シアター『リチャード三世』(配信)

 フロント・フット・シアター『リチャード三世』を配信で見た。殺陣の専門家であるローレンス・カーマイケル演出で、コックピット劇場で上演されたものである。おそらく2017年の公演だろうと思う。

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 シンプルな箱みたいなセットで、広報に4段くらい階段がある。衣装は現代のものである。幼い王子たちはパペットで表現されている。

 空間をめいっぱい使ったアクションが特徴で、初っ端から戦闘で始まる。殺陣の専門家が演出しているだけあってかなり戦いの場面がちゃんとしていて臨場感がある。また、主演のリチャードを演じるキム・ハーディをはじめとして演技は大変良く、全体に迫力とスピードがある。ティレルが王子を殺した後けっこうショックを受けており、そのティレルをなだめようと嬉しそうなリチャードがキスをするところなどは自分のカリスマ性を使おうとしつつちょっとやりすぎなところもあるリチャードの性格がよく表現されている。また、リチャードはいきなりエリザベス(ヘレン・ローズ・ハンプトン)にキスしてびっくりさせるということもしており、アン(ジュリア・パップ)とのやりとりも含めて、全体的にこのリチャードはわりと性的な威圧感のあるリチャードである。

 ただ、マーガレット(アンジェラ・ハーヴィ)が出てくるところがあんまりぱっとしないような気がする。マーガレットの台詞回しがけっこう地味で、おどろおどろしい呪いにせず、ナチュラルにしている分、迫力が足りないと思った。マーガレットまわりはもうちょっとけれん味のある演出にしてもいいのではと思う。

なぜこれで面白くなるのかわからないが、大変面白い~男肉 du Soleil『転生したハムレットの世界で生きるべきか死ぬべきか戻れるか、それが問題だ』(ネタバレ)

 下北沢の小劇場B1で男肉 du Soleil『転生したハムレットの世界で生きるべきか死ぬべきか戻れるか、それが問題だ』を見てきた。

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 借金を返すためにいろいろな仕事で過労である一方、迷惑系YouTuberとしても活動している城之内(城之内コゴロー)が事故をきっかけに『ハムレット』の世界に転生してしまい、そこでハムレットの悲劇を止めようとするものの、なかなかうまくいかない…という話である。正直、この展開で面白くなるとは思えないし、こういう系統の台本だと95%くらいは失敗作になるのではないかと思うのだが(シェイクスピアも最近のラノベなどの設定も不消化になって単に寒いだけになりやすい)、これはけっこううまくいっている。異世界設定もわりとうまく機能しているし、『ハムレット』も比較的ちゃんとやっている。途中であだち充を名乗る悲劇に取り憑かれた男が糸を引いていたとわかるところなど、作者に関するメタな視点があってなかなかうまいじゃないかと感心してしまったし(しかし、最近漫画家を名乗る人物が出てくる芝居を見るのは2本目だな…)、最後に団長(池浦さだ夢)が出てくるところはアホっぽいようでちゃんと古典的なデウス・エクス・マキナになっている。相変わらずあるしつこい踊りも、エネルギーにあてられてしまって楽しく見られる。演劇の古典的要素をモダンな設定と組み合わせてきちんと楽しい舞台にしている作品だ。

 ただ、役者の技術はかなりでこぼこしており、台詞や歌詞は相変わらず聞こえないところもけっこうある。劇場がB1なので、これは役者の立ち位置にも関係があるのかもしれない。また、いくつかやりすぎで寒いのではと思えるジョークもあり、ハムレットがずっとしつこく(身振りなので実際に出すわけではないのだが)イチモツぶらぶらごっこみたいなのをしているのはいらんのでは…と思った(原作のハムレットはイチモツを出していないが、それを補ってあまりある狂気ぶりなので、あのへんは原作準拠にしたほうが効果的なのではと思う)。

入谷系生霊ホラー~『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』(ネタバレ)

 サム・ライミ監督『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』を見た。

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 ドクター・ストレンジベネディクト・カンバーバッチ)は、街で怪物に追われていた少女アメリカ(ソーチー・ゴメス)を助けるが、アメリカはマルチバースを移動する能力を持った少女だった。ドクター・ストレンジアメリカをカマータージに匿い、魔女であるワンダ(エリザベス・オルセン)に相談するが、実はアメリカを狙っていたのはスカーレット・ウィッチことワンダだった。子どもを失い(『ワンダヴィジョン』参照)、他のユニバースで無事に子育てをしているワンダの人生をうらやんだワンダは、マルチバースを操る力を手に入れようとしていたのである。ドクター・ストレンジはウォン(ベネディクト・ウォン)と一緒にワンダに立ち向かおうとするが…

 全体としてはサム・ライミ監督らしいホラー映画になっており、とくにいろいろな意味で生霊(といっていいのかはよくわからないし、一部は死霊である気もするのだが、他のユニバースにいる自分に憑依するとかいう展開が続々出てくる)が生き生きと活躍する中盤以降はけっこうちゃんとしたホラーである。他のユニバースが別のマーベル系映画とつながったりするあたりもちょっと面白い。ドクター・ストレンジはもちろん、ウォンが活躍するし、新しいキャラのアメリカも良い。途中で著作権が切れているクラシック音楽を使って(?)戦うというミョーな戦闘もあり、ここは笑ってしまった。

 しかしながら全体としては、子どもを失った母親の怨念が世界を破壊しかける…ということで、MCUはあんなにお父さんの話にこだわっているのに、いまだにお母さんについては古臭い話をやるんだな…と思った。ワンダの展開は『ワンダヴィジョン』からつながっているのだが、完全に鬼子母神(自分の子どもを育てるため他の子どもを食べていていてお釈迦様にさとされた神様で、入谷にお寺がある)とかラミア(自分の子どもを失って他の子どもを殺すようになった)みたいな、昔からあるステレオタイプな荒ぶる母性の怪物である。『ワンダヴィジョン』の展開の後でワンダがこうなってしまうというのもなんかちょっと白けるし、あと『シャン・チー』では子どもよりも愛する伴侶を取り戻したいという欲望だったのに、こちらの映画ではもっぱら子どもの話になって完全にワンダが母親キャラだけに還元されてしまっているのも気になる。実在して失われたヴィジョンよりも、実在していなかった子どもにワンダの感情の重点が移ってしまうのはなんか展開として変では…と思う。

劇団員の短編4本をまとめた意欲的な試み~コンプソンズ『イン・ザ・ナイトプール』(配信)

 コンプソンズ『イン・ザ・ナイトプール』を配信で見た。座付き劇作家の金子鈴幸が書いたのではなく、劇団員が書いて演出する短編を4本まとめたものである。どの芝居にも一応、ナイトプールに関連したものが出てくる。それぞれの作品でわりと味わいは違うが、なかなか面白い試みだと思った。

 「ホットライン」(宝保里実作・演出)、「confession」(細井じゅん作、演出)、「走光」(鈴木啓佑作・演出)、「東京」(大宮二郎作、演出)の4本で、最初の2本は会話劇、後の2本はSF…というか奇妙なスタイルの作品である。「ホットライン」は非常に不穏な会話劇で、なんかちょっとクィアな感じもする。「confession」は日本の「告白」文化を緩く諷刺したような感じの作品である。「走光」はタイムリープものなのだが、これは途中までは良かったのだが、ちょっと終わり方が予定調和っぽくてありふれているような気がした。「東京」はなんで今回のコンプソンズの出し物が座付き作者の作品ではなく、劇団員の短編になったのか本当のことを説明する…という前フリで始まるのだが、実際は精神が崩壊して神社で冒涜行為を行ったために炊飯器に封じられてしまった劇作家の封印を解くため、劇団員がアラスカに封印に詳しい専門家を探しに行くという嘘八百…じゃなかったファンタジーである。なぜか怒濤の『ワンピース』ネタが盛り込まれていたり、変な味付けがいろいろあってまあ完全に嘘だということはわかるようになっているのだが、「劇作家がスランプで書けなくなった」みたいな細かいところだけは本当なのでは…と勘ぐってしまったりもする。

演出が個人的に趣味にあわなかった~オーチャードホール『ロミオとジュリエット』

 オーチャードホール松山バレエ団ロミオとジュリエット』を見てきた。清水哲太郎演出・振付、河合尚市指揮によるものである。

 73歳でジュリエットを踊る森下洋子の力量などは凄いと思ったのだが、正直、演出コンセプトが個人的に面白いと思えなかった。パンフレットによると、「ペスト禍の絶望の中世からルネサンス」への移り変わりを示したいらしいのだが、「暗黒のヨーロッパの世相」とか、今では時代遅れと見なされている中世暗黒史観にけっこう基づいている。しかしそれがけっこう時代が曖昧な「中世」…だというか、最初にペストマスクをつけた人たちがたくさん出てきて、途中でペストの足止めで手紙がロミオ(大谷真郷)に届かないというところもはっきり演じられているのだが、「ペスト禍の絶望の中世からルネサンス」というコンセプトのわりにはペストマスクは17世紀以降のものである(『ロミオとジュリエット』初演時にこのマスクは存在していないと思う)。なんか「中世といえばペスト!ペストといえばマスク!」みたいな発想はけっこうあるのだが、そういうのをそのまま取り込んでいてかなり時代考証のツメが甘い気がする。

 さらに、全体的に人やものがけっこうわちゃわちゃしていて舞台が狭く見えがちで、そのせいで動きに窮屈さを感じるところがある。一番せわしないと思ったのは最後のジュリエットが亡くなるところで、ジュリエットが亡くなったと思った途端に人々が墓所に流れ込んできてロミオとジュリエットの遺体を覆い尽くすように押し寄せて嘆き悲しむ…という終わり方なのだが、ここはもっとロミオとジュリエットが二人で死んでいったことを余裕を持って見せるべきだと思った。全体として、私はもうちょっとシンプルな舞台作りのほうが好きである。

女性同士の連帯とリンダの業績~『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』

 『リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』を見た。

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 リンダ・ロンシュタットの業績を解説したドキュメンタリーである。リンダ・ロンシュタットというと、美声のみならずキュートで魅力的な恋多き女だったので、下世話な関心などが先立ってしまうこともあるのだが、このドキュメンタリーはそういうところはさらっと流して、リンダがいかに音楽界に多くの業績を残した才能あるアーティストだったか、また性差別的なロック界でいかに他の女性ミュージシャンを支援していたかを掘り下げている。リンダはカントリーロックやフォークロックの歌手として有名になったが、ジャズやスタンダードも歌い、ギルバート&サリヴァンのサヴォイ・オペラ『ペンザンスの海賊』の舞台で主役を演じ、メキシコ系だったので自分の音楽的ルーツを重視してスペイン語で伝統的なメキシコ音楽を歌うアルバムも作った。舞台に出たり、スペイン語のアルバムを作ったりするというのは時代を考えると革新的で、ヒットを出すよりも高い音楽性を重視した選択だ。また、昔からけっこう手厳しくロック界の性差別を批判しており、他の女性ミュージシャンと連帯していた。エミルー・ハリスがクリエイティヴパートナーだったグラム・パーソンズを失った時はリンダの励ましで立ち直ったそうだ。

 ドリー・パートンやエミルー・ハリスとトリオを作ったのはこのカントリー界の女性同士の交流が生んだ大きな成果である。ドリーがリードヴォーカルになるのはまあ必然で、お互いに嫉妬するようなことはなかった…というコメントが述べられているのだが、たしかに映像を見ると「これはドリーがセンターですね」と思わざるを得ない感じになっている。リンダもエミルーも歌は折り紙付きだし、スター性もあるのだが、声の特徴といいオーラといい、ドリーのパワーが凄い。リンダもエミルーもそういうことを理解して良いアルバムを作ろうとしていたようで、創造性がつまらない嫉妬とかやっかみを脇に追いやるところが垣間見えて面白かった。