日本英文学会中国四国支部第74回大会で発表します

 10月22日にオンライン開催される日本英文学会中国四国支部第74回大会で発表します。13時からのシンポジアム「デジタル時代の英語英米文学研究と英語教育――デジタル・ヒューマニティーズの有用性と可能性を考える」で、「ユーザ視点のデジタル・ヒューマニティーズ――研究、教育、アウトリーチ」という題目で発表します。たぶんウィキペディアとかの話をすると思います。

 

どうしてバイロンがこうなった…?~ハインリヒ・マルシュナー『吸血鬼』

 ハインリヒ・マルシュナー『吸血鬼』を配信で見た。ジョン・ポリドリの『吸血鬼』が原作のオペラである。ハノーファー国立歌劇場が3月25日に上演したもので、Ersan Mondtag演出、Stephan Zilias指揮によるものである。

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 全体的に音楽はロマン主義的でわりとドラマチックである。全く聴いたことのない作曲家の作品だったのだが、音楽じたいは面白いと思った。ただ、全体的にお話は短編がベースなのにちょっと長すぎるような気がしたのと、あとセットが石だらけで歩きにくそうだし、あんまり見やすくもないのはそんなに良いと思わなかった。一番面食らったのは、どうももとの台本には出てきてないさまよえるユダヤ人の役柄とバイロンの役柄があることである。バイロンはベニー・クラッセンスが演じていてほとんどセリフだけなのだが、ピンクのスーツを着ていてえらくキャンプで、面白いキャラクターではあるのだが全くバイロンに見えないし、正直、作品全体の雰囲気にもあっていない気がする。バイロンを出すならもっとバイロンっぽいキャラクターにすべきだし、そもそも吸血鬼をバイロンっぽくしたほうが作品にはあうのでは…と思った。

『クレーヴの奥方』のような…スタジオライフ『トーマの心臓』

 スタジオライフ『トーマの心臓』を見てきた。萩尾望都作品(未読)を倉田淳脚本・演出で舞台化したものである。スタジオライフの定番演目だが、今回初めて見た。キャストはレジェンドチームとクールチームがあるが、私が見たのはクールチームのほうだった。

 ドイツのギムナジウム(時代設定があまりはっきりわからず、たぶん20世紀前半くらいだと思うのだがそれ以上は判定できなかった)が舞台で、人気のあった生徒トーマが自殺した後の学校生活を描くものである。トーマが恋をしていたらしいユーリ(青木隆敏)は塞ぎ込み気味だったのだが、転校生でトーマにそっくり(どうも親戚らしい)のエーリク(関戸博一)が転校してきて、ユーリの心境にもいろいろ変化があらわれる。他にもいろいろな生徒が登場し、人間関係のもつれが描かれる。

 右手に階段のある二階層のセットで、ほとんどは学校の中で展開するが、学外の場面もある。よくまとまった学校BLという印象なのだが、だんだん宗教的になっていく…というか、最後はユーリが神学校に行くことを決めるという展開になっている。恋のトラブルに見舞われた十代の純真な若者が信仰に慰めを見出して俗世を捨てるという展開はラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を思い出した(クレーヴの奥方は16歳である)。おそらくけっこう丁寧に描きこまれた漫画が原作だと思われるのだが、そこまでダイジェストっぽくなく、まったく話を知らない人にもわかりやすい作品だった。

映像はすごいが、話は…『アバター:ジェームズ・キャメロン 3Dリマスター』

 『アバター:ジェームズ・キャメロン 3Dリマスター』を試写で見た。実は私はこれまで一度も『アバター』を見たことがなく、今回初めて見た(2009年9月からイギリス留学をしていたのだが、2009年後半から2010年初めにかけては留学したてでお金がない上、余裕があったら全部芝居につぎ込んでいたので、全く映画館に行く機会がなく、見逃した)。このため、新規追加シーンなどは一切わからない。

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 海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)は戦闘中に負傷して両足が不随になり、車椅子での生活を送っていた。ジェイクは急遽、急死した双子の兄トミーの変わりとして「アバター」なるプログラムに参加することになる。このプログラムは、惑星パンドラに住む現地人であるナヴィと交流するため、地球の人類がナヴィのアバター(人間の意識を接続させて動かす分身みたいな人工生命体)と同期して現地フィールドワークをするというものであり、予算削減のためトミーの遺伝子にあわせて作られたアバターをジェイクが使用することになったのだった。ナヴィの専門家である研究者グレイス(シガニー・ウィーヴァー)の不安をよそに、ジェイクはすぐにアバターに適応し、ナヴィの人々と急速に交流を深めるが、ナヴィが住む場所にある鉱物を狙っている地球の会社は武力介入を計画していた。

 全体的に映像はすごいし、面白いと思うところもたくさんあったのだが、話のほうはちょっとどうかな…と思うところがけっこうあった。まず、あまりにもど真ん中な白人酋長もので、そこが鼻につく。ナヴィはアメリカ先住民にちょっと東洋思想が入ったような感じのいかにもな「高貴な野蛮人」で、純粋なナヴィは自分たちだけでは悪質なアメリカの企業(+軍隊)の攻撃から身を守る術を持たない。そこにやってきたジェイクが現地の文化を愛するようになり、白人の救世主として新たなリーダーになる…ということで、ナヴィを白人のリーダー(しかももともとは帝国主義的ミッションのためにやってきた人物)なしでは悪い白人植民者に対抗できない人々として描いているところは現地人の主体性を無視していてかなり問題がある。ナヴィのほうのキャスティングがだいたい非白人の役者なのも、まあ2009年としては気を遣っていたのだろうが、今見ると非白人は自分たちで抵抗運動を組織できないのか…と思ってしまう。

 もう一点、問題があるのは身体障害の描き方である。冒頭のジェイクは両足の不随のせいでまるで人生が終わりになったかのように落ち込んでおり、その治療費目当てでアバターのプロジェクトに参加する。そんなジェイクがアバターという拡張された別の身体に接続することで両足の自由を取り戻し、新たな人生の目的を発見する…という展開なのだが、これも今見ると別に車椅子にのっているからといって人生が終わりになったわけじゃないし、障害をちょっとネガティヴに描きすぎでは?と思ってしまう。2004年に『ミリオンダラー・ベイビー』が公開された時にもちょっとこういう議論があった気がするので、この頃の映画というのは身体障害の描き方がかなりナイーヴだったんだな…という気がする。

ジョン・スノウ…じゃなかったハル、あんな何にも知らないね~ナショナル・シアター・ライブ『ヘンリー五世』

 ナショナル・シアター・ライブの『ヘンリー五世』を見てきた。マックス・ウェブスター演出、キット・ハリントン主演でドンマーウェアハウスで収録されたものである。

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 非常に現代的な演出で、軍人たちは迷彩の軍服を着ているし、戦争も完全に現代の戦争だ。ヘンリー(キット・ハリントン)以外はとっかえひっかえ1人の役者がいろんな役をやっており、ジェンダーが変更されているキャラクターもある。美術はかなり凝っており、イングランドの国旗を思わせる舞台デザインとか、モダンでシンプルだがいろいろキメのところでは工夫がある。冒頭に『ヘンリー四世』の一部を織り込んでおり、まだハル王子だったヘンリー五世(キット・ハリントン)は現代のクラブで遊んでいる。また、英語以外の言語がたくさん使われており、フランス軍はふだんはフランス語で話しているし(RSC『シンベリン』も似た試みをしていたがこの『へンリー五世』のほうが自然である)、ウェールズ語や中国語も登場する。また、フルーエルンは現代風なウェールズ人名でルウェリンと呼ばれている。

 全体的にあまりヘンリーが英雄的ではない…というか、キット・ハリントンが『ゲーム・オブ・スローンズ』で演じたジョン・スノウよろしく、この作品のヘンリーはけっこう何も知らない。若い遊び人からそのまんま王になり、最初は自信も経験もないし、正直あんまり能力もなさそうなのだが(私が今まで見たヘンリー五世の中では一番、能力が疑問だ)、戦場では精一杯頑張っていてなんか感じもいいので部下が一生懸命支えてくれて勝てました…みたいな感じである。全体的に二代目社長みたいな雰囲気があり、お父さんの後を継ごうとしていてやる気はあるのだが、とくに序盤は非常に頼りない。父の訃報を知るところではあからさまに不安でたまらなそうな顔をしているし、自分にフランス王位を継ぐ資格があるのかどうかを説明してもらう会議ではたぶん全然理屈を理解していないと思われる(この場面はそもそもあんまり面白くないので、ここを現代のつまらない企業ミーティングみたいに演出したのは正解だ)。

 ところがこの何にも知らないヘンリー、けっこう成功してしまったせいで、最後のほうでは暴走して残酷なことを始めたり、逆に大物みたいに振る舞ったり、いろいろな問題行動を始める。このプロダクションはヘンリーの悪名高い捕虜殺害の場面をかなり強調しており、みんなが捕虜殺害の命令にビビっているところや、捕虜が殺されるところまできちんとやっている。これはあまり経験のないヘンリーの暴走…というか短慮ぶりを強調する演出だ。ところが、戦場では自分の未経験に自信を失いつつ努力していたヘンリーが、最後のキャサリン(アヌーシュカ・ルーカス)に求婚するところでは調子こいた二代目社長みたいな感じで強引にキャサリンにキスしており、かなり感じが悪い。自信がなくて手探りで頑張っていた若者が、だんだん成功のせいで調子にのってまずい感じになっていく様子を見ている芝居という感じで、その点では非常にリアルである。

 あと、ルウェリン(スティーヴン・メオ)周りの演出はわりと他のプロダクションと違うと思った。ルウェリン/フルーエルンをはじめとする英国軍の軍人たちはけっこう深刻な状況でみんな戦況を不安に思っており、全員、非常に苦労している感じだ。ルウェリン/フルーエルンはウェールズの田舎の出身で古風な軍人なので、古式にこだわる大仰さがコミカルに演出されることもあるのだが、このプロダクションでは戦場があまりにもキツそうでそんなにコミカルなところがない。他の軍人たちも戦況が悪くてピリピリしており、出身地域や教育によるバックグランドの文化的差異もなかなか深くて乗り越えにくいところがあるのだが、その中で大将のヘンリーを盛り立て、勝てるようにしようとひとりひとり努力している。そういうふうに部下が頑張っているぶん、ヘンリーが暴走して捕虜殺害を命じるところはショッキングだ。さらにルウェリン/フルーエルンが手袋のことでヘンリーにかつがれる場面がカットされており、全体的にルウェリン/フルールン周りの軍人たちの演出はかなり真面目でピリピリして笑いが少ない印象だ。あまりヘンリーのカリスマ性が強調されず、いろいろな部下たちとのやりとりで成り立つ群像劇に近いものになっているのは良いと思う。

どうしても一箇所、解釈違いがあり…日生劇場『夏の夜の夢』

 井上尊晶演出『夏の夜の夢』を日生劇場で見てきた。

 全体的に階段が多く、そこを森に見立てている。宮殿の場面は真ん中に台を置いてやっている(このため、宮中の場面はちょっと舞台が狭いような印象も受ける)。衣装はけっこう現代風なところもあるが、一部和風で、とくに職人劇団の劇中劇は着物を着た恋人同士が出てくるまったくの和物である。

 恋人たちや職人たちは笑いのツボを押さえており、そのあたりはロマンティックコメディとして楽しめる。若い恋人たちはアイドルをけっこう起用しているのだが、4人ともけっこう喜劇のセンスがある感じがした。職人劇団の劇中劇は、最初はひどいが最後のほうは頑張って持ち直しました感があって良かった(最近、そういう演出もわりと多いと思う)。

 ただ、一点だけどうしても私の解釈では受け入れにくいところがあり、そこが気になった。これまでヘンなシェイクスピア演出を見てきたのでたいていの解釈は受け入れられる気がしていたのだが、パックが子役というのだけはどうしても解釈違いで受け付けられないと思った。なにしろオーベロン(中村芝翫)が恋の魔法をかける手先にパックを使うわけであって、パックが子役だと子どもに媚薬を使わせるとか、なんか児童虐待みたいではないか…と思う。妖精を子どもとか少女みたいな無垢なものとして考えるのはロマン主義以降の現代的な感覚であって、パックはけっこう狡猾な大人なんだと考えたほうがいいと思う。さらに良くないと思ったのは全体にパックを使った枠があることである。一応、途中で現代的な音響が使われていたりして、この芝居じたいが夢芝居(たぶん)、おそらくは歩けない少年(劇中のパック)の夢かなんかなのではないかと思わせる演出になっていた。歩けない子どもが軽やかな妖精として動き回る夢を見ているというの、ちょっとエイブリズム的で少なくとも私は個人的にはっきりイヤだと思った。

『美的』と『北海道新聞』に新刊書評がのりました

 雑誌『美的』2022年11月号p. 183に新刊『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード ジェンダーフェミニズム批評入門』(文藝春秋、2022)の書評がのりました。

 

 また、『北海道新聞』にも、以前『西日本新聞』に載ったものと同じですが書評が出ました。