フェスティバルトーキョー『オセロー』

 昨日はご招待でフェスティバルトーキョーの『オセロー』を見てきた。開場十分前に芸術劇場に行ったら招待券のところに少なめに見積もっても30人ぐらいの人が並んでいて(うちの学科の先生もいたりした)、よっぽどチケットが売れなかったんだなと思った。まあ、たしかに韓国の劇団がオセローを夢幻能でやるって、みんなあまり見たくないんじゃないかという気がする…韓国の伝統演劇の形態とかでやるならともかく、夢幻能なんて聞いただけでたいていの日本人は逃げ出しそうだし、たぶん韓国語で能をやるんだと勘違いした人もいると思うので(実際は日本語なのだが)、とっつきにくいことこの上ない。


 …で、内容なのだが、見る価値はあると思うが私は全然肌に合わなかった。そもそも私は『オセロー』のデズデモーナが亡霊として出てくるという設定自体にちょっと違和感を感じた。『オセロー』ってラストシーンですごい数の人が死ぬことで絶妙な「この芝居は完全に終わったんだ」感を醸し出している芝居であって、死んだ人は絶対に生き返らないんだという剥き出しの不可逆な事実がすごく演出上重要である気がするのだが、「死後に成仏できないデズデモーナ」とかってなんかあまりにも東アジアっぽい(少し不適切な気もするので多神教的と言い換えてもいいかもしれない)境界の曖昧さに満ち満ちていてちょっと想像できない。『オセロー』の世界で生者と死者の接点といえば苺のハンカチだと思うのだが、亡霊大活躍の『ハムレット』とは違っていてああいう物体的なものでしか生きている人の世界と死んでいる人の世界がつながらないというところが即物的な人間の欲望に基づいて動いている『オセロー』の世界の特色だと思う。でも夢幻能にして亡霊を出しちゃうと妙にスピリチュアルになってそういう面白さがはぎ取られちゃってるような気がした。


 その上ラストが全然気に入らなかった。いや、歌舞に重点を置く東アジアの伝統演劇としてはあれでいいんだと思うのだが、私はああいう無責任な終わり方はちっともシェイクスピア悲劇にあってなくてつまんないと思う。どういうラストかというと、なんといきなり全キャストが踊る!実は去年の『ムネモパーク』も踊りで終わるので、私はあれを見た後勝手に「Dance ex Machina」とかいう言葉を作ったのだが、今回はそれにしても必然性がなさすぎる。夫に殺されて地縛霊になった女性が楽しく踊るなんて、それってまったくいかなる異化効果なのか想像もつかない。踊って解決できるくらいなら地縛霊化すんなと言いたい。


 全体的に、どうも私はクナウカ系の芝居が好きじゃないんじゃないかという気がした。ハマればハマるんだろうが、私には無理である。