シモーヌ・ド・ボーヴォワール「ブリジット・バルドーとロリータ症候群」

 『エスクァイア』日本版別冊『映画:夢の世紀、銀幕の記録Cinema Odyssey II 1930-1992』に収録されているシモーヌ・ド・ボーヴォワールブリジット・バルドーとロリータ症候群」(36-50ページ)を取り寄せて読んでみた。

 これは1959年に出たとは思えないほど現代的な文章で、もっと読まれてもいいと思う。バルドーというポップアイコンをテーマに、女性がセクシーであり同時に自由であることについて論じているという点においては、第三波フェミニズムを予測しているかのようだ。で、この文章について一番素晴らしいのは、ボーヴォワールがバルドーのことを心から魅力的だと思って書いているその愛が垣間見えることだろうと思う。ボーヴォワールは当時のフランスでもトップクラスのエリート女性だと思うのだが、一般向けの映画で脱ぎまくっていたバルドーに対して、エリート目線でバカにしたりするようなところが全くなく、純粋にバルドーの美しさに感化されて書いている感じが伝わってくる。女性の女性に対する感嘆から発しているという点において、これはすごいレズビアン的なテキスト(A・リッチが言うような意味で)であり、ガールパワーテキストでもあると思う。愛に端を発するクィアな記号分析ってことで、ロラン・バルトの『神話作用』とか『偶景』あたりと一緒に読んでみるといろいろな発見がありそうな気がするのだが、私はそこまでフランス語ができないし専門じゃないもんで…まあ、面白いので是非皆さん取り寄せて読んでみて下さい。入手しづらいけど。


 ただ、一緒についてる山田宏一の解説(51ページ)が全くひどい。最初に「英訳文から翻訳したが、フランス語の原文がどこかに発表されたのかどうかは知らない」とあるのだが、あのー、それを調べるのが専門家の仕事では…?それからボーヴォワールの「男まさりの頭脳の冴え」を褒めている1956年に出版された『招かれた女』日本語訳のあとがきを引用しているあたりもちょっと…(まあ、これはあとがきを書いた奴じたいが悪いんだと思うのだが、フェミニストに対して「男まさり」って、それはっきり言って侮辱だよな?)で、最も意味不明なのはこのボーヴォワールのテキストが「逆説的に、女は女になるのではなく、まさに女に生まれるのだという『永遠の女』の真実を証明するもののようですらある」という一節。私はこのボーヴォワールの文章からこんなことは全く読み取れないと思ったし、この一節だけではいったい本文中のどういうところにそういうことが読み取れるのかも全くわからんので、単なるエロオヤジの妄言にしか聞こえない。