『レイチェルの結婚』

 今日は授業の後『レイチェルの結婚』を見てきた。近年稀に見る心配りの行き届いた映画だと思ったのだが、実は私は手持ちカメラがすんごく苦手であるため、開始10分で気持ちが悪くなってその後全然集中して見られなかった。私は手持ちカメラの良さというのがさっぱりわからないしはっきり言ってあの微妙なブレが大嫌いなのだが(というか身体が受け付けないんだからしょうがない)、ほんと手持ちで撮った映像は映画館で見せるもんじゃないと思う。家でビデオで見る分には寝っ転がって見るとか途中でやめて次の日にするとかして気持ち悪くないようにして見られるからいいが、大画面であのブレを見せられて、しかも映画館の椅子ってたいてい座り心地が良くないし、全くロクなもんじゃない。ちなみに、この映画はストーリーからすると私が公開後速攻で見に行くような感じの映画なのだが、なぜかなかなか気が乗らなくて「評判が良さそうなら行こう」とか思った。で、なんでだろう…とよく考えてみたところ、おそらく予告編でも手持ちだったせいでなんとなく印象が悪かったんではないかと思った。うまく説明できないのだが、手持ちが苦手な人のうち私みたいなタイプは、見た瞬間に「これは手持ちだ」と思うんじゃなくて、見ていてだんだん「なんか気持ち悪いな。なんでだろう…」と思ってから「あ、手持ちだからだ」って気付くので、認知の順番が「手持ち→気持ち悪い」じゃなくて「気持ち悪い→手持ち」なのである。予告編を見て、手持ちだと気付かないけどなんか気持ち悪かったから行く気がおきなかったんではないだろうか。


 …で、手持ちカメラがダメだってことをさんざん書いたが、映画自体はすんごいよくできてるので、映画館じゃなくてビデオになってから家で寝っ転がって見て堪能すべきだったと後悔した。とりあえず脚本がシビアなのにユーモアがきいてて、「家族の大切さ」とかいうのをストレートに訴えようとは全くしていないところがすばらしいと思う。私は「家族を大事にしろ」と訴えている人を見るたびに、「コイツは家族に暴力男とかアル中とか刑務所入ってるのとかがいて、それでも家族を大事にしろって言ってるんだろうか」と疑問に思う。私の経験では、人前でわあわあ家族を大事にしろとかいうヤツに限って「家族」を甘く見ているところがあるという感じがする。ものすごいトラブルメーカーや大病を抱えているような人が家族にいて、それでも家族をちゃんと大事にしてるようなヤツは、家族を大事にするのがどんなにつらいことか知っているからおいそれと家族を大事にしろとか人にすすめないと思う。で、この映画の脚本っていうのは、まさに「家族を大事にするのがどんなにつらいことか知っているからおいそれと家族を大事にしろとか人にすすめない」視点から書かれているので、本当に家庭とは何かについて考えさせられるような内容になっていると思った。ヒロインのキムは子供の時に誤って弟を事故死させたトラウマでひどい薬中毒と精神疾患に苦しんでおり、姉のレイチェルは「妹があんなだから親に心配かけちゃいけない」モードでずっと今まで我慢してきた優等生である。姉妹の母親(デブラ・ウィンガー)はまあ、悪い人ではないのだが、最初の家族(離婚して別の家族を作っている)に対して全くとおりいっぺんの気遣いしか示さない。それでもこの映画では家族は家族である。家族は大事だが、手持ちカメラのブレをはるかに越える度合いで気持ち悪い。


 この映画で一つ面白かったのは、やたら民族が混合していることである。バックマン家はユダヤ人で、レイチェルの夫になるシドニーはハワイのアフリカ系アメリカ人。新郎の付き添いのキーランはたぶんアイルランド系(キーランが超いい役である。こういう人が一人でも家族にいると助かる)、なぜか結婚式に出席する親戚にはアジア顔が多く、結婚式はインド式である。これってたぶんアメリカの未来を象徴しているんだと思うのだが、結婚式がインドなのはどうもよくわからなかった。『スラムドッグ・ミリオネア』もあるし、流行なのかな…?