サウロンの目のデザインがあまりにもヴァギナ的すぎる『ロード・オブ・ザ・リング』三部作

 えーっ、タイトルがきわめて下品であることを心よりおわびいたします(そして『ヴァギナ・モノローグズ』をどうぞよろしくお願いします)。



 なんと、この年になって初めて『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を見た。


  


 『指輪物語』は、英文学者は読んどかないといけない本のひとつであるはず…なのだが、私は高校生の時、図書館でこのハードカバー版(鈍器として使用できそうな大きさの本全三巻)を借りて紙袋に入れて持って歩いていたら紙袋が教室で裂けてひどい目にあったことがあるので、それ以来読む気がおきなくて読んでいなかった。


 …で、そのうち映画で見ようとは思っていたのだが、学部生の頃、アメリカ映画の授業で先生が「『ロード・オブ・ザ・リング』はすごくホモエロティックな話で、冥王の目はヴァギナにそっくりです」と発言していたのを聞いて以来、あまり見る気がなくなっていたのだが、今回意を決して三本全部見た。


 そしたらまあ予想をはるかに超えるホモエロティック話でびっくりした。とりあえず、第一作冒頭で、ホビット庄でビルボ(主人公フロドの養父)とガンダルフ(←イアン・マッケラン。はまり役)が草むらに腰を下ろしてタバコをすうところでまず驚愕した。ビルボが煙を輪っかにしてはいたところ、ガンダルフが自分のはいた煙を船型にして(魔法使いだからタバコの煙細工ができるらしい)その輪っかの中を通すのだが、冒頭からあまりにもビルボとガンダルフがべたべたしているのでこれは一種の性行為の暗喩としか思えない…


 で、隠居したビルボにヤバい指輪を譲られたフロドは奉公人のサム、ホビット庄のいたずら者であるメリーとピピンガンダルフ、人間で王の末裔であるアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)、人間で執政官の息子であるボロミア(ショーン・ビーン)、エルフのレゴラス(オーランド・ブルーム)、ドワーフギムリと指輪を破壊するため旅に出るわけだが、なんかこいつらどいつもこいつもえらいホモソーシャル野郎どもである。まあ、作者のトールキンがすごい学者でもあっただけあってここは神話とか民話をすごくよく下敷きにしてそれぞれのキャラを作っている一方、監督のピーター・ジャクソンが映画オタクなもんで映画好きに受けるような味付けもある。お笑い担当のメリーとピピンは『隠し砦の三悪人』の太平と又七(つまりは『スター・ウォーズ』のR2-D2C-3PO)なのだが、それにしてはやたらベタベタしている。ガンダルフは主人公を助ける何でも知ってる賢いじいさんで、アラゴルンはかっこいい武人(←日本の時代劇なら昔は三船敏郎、今なら阿部寛がやるような役)である。ギムリはおもしろくて無鉄砲な豪傑(←日本の時代劇ならもれなく来島又兵衛である)、レゴラスは優男で飛び道具を使う武人で、この二人は最初は仲悪かったのだがだんだん親友になり、戦場で何人倒したか競い合うとかいうまあなんか…な競争をしている。それから高潔だが心配と不安ゆえに裏切り者となってしまう、人間のボロミアがいる(「怖れがダークサイドに通じるのじゃ」…これは違う映画だな)。つまりは魔法の旅ご一行さまにふさわしい描き分けがされていると言える。


 …のはいいのだが、このまま『隠し砦の三悪人』モードに突入するのはこのご一行が守るお姫様が足りない、っていうことで、こいつらはお姫様のかわりに、この中で唯一輪っか(指輪)を持っている(=「女の属性」を賦与されている)フロドを守っている。で、悪い奴らがこのフロドを狙うわけだが、指輪をめぐる闘争はまるでお姫様の貞操を狙っている悪党との戦いみたいな感じである。途中、フロドはアングマールの魔王に剣で刺し殺されかけるし、善良はなずのボロミアが故郷を心配するあまり指輪の魔力の魅入られてフロドを襲うのだが、この場面はデカいボロミアがちっちゃいフロドにのしかかって押し倒すというまるで強姦未遂のような表現になっている。はたまた最後のほうでフロドはオークにつかまって半裸で縛られたまんま塔に監禁されるのだが、これはおそらく『アラビアのロレンス』でピーター・オトゥールが半裸で拷問される場面を参考にしているんじゃないのかな…『アラビアのロレンス』もえらく同性愛的な映画で、ピーター・オトゥール演じるロレンスが明らかに「お姫様」キャラなのだが、イライジャ・ウッドピーター・オトゥールと同じで眼がすごく青くて容姿がちょっと変わっているし、狙ったキャスティングなのではなかろうか…(ちなみに『ロード・オブ・ザ・リング』は結構『アラビアのロレンス』に影響を受けていると思った。ギムリのキャラとかアウダ・アブ・タイに似てると思うし、絶対助けてくれなさそうな種族に援軍を頼むとことかも似てる)。
 

 で、お姫様化しているフロドに純粋な愛を注いでいるのが奉公人のサムなのだが、このサムとフロドのベタベタぶりは全くすんごいホモソーシャルである。旅の途中で指輪に魅入られたゴラムがくっついてきてフロドに取り入り始めると、サムとゴラムが痴話ゲンカみたいな争いを始めて、泥沼の三角関係の様相を呈する。で、結局はお姫様化したフロドとそれを純愛で守るサムが勝利するわけだが、この二人が頑張ったおかげで冥王サウロンの邪悪な火の目は破滅…するのはいいんだけど、この火の目のデザインがまあ授業で先生の言ったとおり、どう見てもヴァギナにそっくりである。指輪(何回も言うけど、輪っかである)は破壊され、サウロンの眼も雲散霧消しておしまい…ということで、このラストだけ見るとまあ男たちの愛が女属性に打ち勝ったということで、えらいミソジニー的な話である。


 ちなみにこの映画はミソジニーミソジニーでもちょっと一ひねりしてあって、いわゆるあからさまにお色気のある女の悪役(「妖婦」的な魔女)というのは出てこない。この映画に出てくる主な女性はまあ5人しかおらず、そのうち1名は年取ったお化け蜘蛛(メスのお化け蜘蛛とかありがちだよな)、もう1人はとってつけたように出てきて最後サムと結婚するホビットのロージー(←平和が訪れるとホモソーシャルは崩壊するらしい)なのだが、比較的重要と思われるあと3人はエルフの魔女ガラドリエル、エルフのアルウェン、人間で「武勇の乙女」であるエオウィンで、3人とも容姿は悪くないのだがさっぱり色気がなく、どちらかというと中性的である。ガラドリエルケイト・ブランシェットで、最初ちょっと怖いが良い魔女だったとわかるという展開で、どうやら誰かと結婚しているらしいのだがダンナの影は超薄い。アルウェンはリブ・タイラーなのだが、リブ・タイラーって綺麗だけどあまり表情がなくて色気がない。エオウィンはミランダ・オットーで、めちゃめちゃ勇敢なマーシャル・メイド(その上恋を失うというおまけつき)である。この3人は善意の人々なのだが、揃いも揃っていわゆる「女らしい」お色気がなくて、セクシュアリティから切り離されて描かれている。火の目がやたらヴァギナっぽかったことや、指輪が輪っかでセクシュアリティに容易に結びつけることができることを考えると、どうやらこの映画はミソジニー的というよりもセックス嫌悪的といったほうが適切な映画なのかも…


 ちなみに監督のピーター・ジャクソンは、この前に撮ったのはレズビアン映画『乙女の祈り』で、この後に撮った『キング・コング』は(見てないけど)怪獣が美女に恋する話だし、どうも男女間の細やかな情愛とかそういうものを撮るにはあまり興味がないんじゃないかという気がする。この映画でも男女の恋愛の描写は男男間の情愛の描写に比べてかなりおざなりだと思う。


 まあ、映画の出来自体はハンパじゃなく良いし、マッケランをはじめとして役者さんはみんなすごく頑張っているし、映画オタクの心をくすぐる小ネタがいっぱいあると思うし、見ていて面白いことは間違いない。私は怪獣映画とか詳しくないのでよくわかないのだが、フロドがヤマタノオロチみたいなのに襲われるとことか、きっと何か原典になった映画があるんだよな…?グリマがセオドレドの遺骸の前でエオウィンに求愛するところはシェイクスピアの『リチャード三世』を下敷きにしていると思うので、これはリチャード役が当たり役であるマッケランが出ていることへのちょっとしたお遊びなのかもしれない。それからミナス・ティリスの建築デザインはラピュタを下敷きにしてるよな…(どちらもモン・サン・ミシェルを参考にしていることは間違いないと思うけど)?


 『ブロークバック・マウンテン』と『ロード・オブ・ザ・リング』のパロディCM。『ロード・オブ・ザ・リング』、実は本当に結構こういう話…です。