『ヴァギナ・モノローグス』レビュー

 六本木の俳優座で『ヴァギナ・モノローグス』を見てきた。


 で、すごい面白かったんだけど、全然客入ってないのはよろしくないと思った。俳優座は結構大きい劇場なんだけど、真ん中の列前寄りしか埋まってなくて、両脇は全然誰も座ってない。というか、そもそも手話でやる『ヴァギナ・モノローグス』を六本木の俳優座とかでやるのが間違っているのでは…下北あたりの小さくて客とステージの距離が近い劇場でやったほうが場所柄にもあってるしいいんじゃないかと思う。


 あと、来た客を全員真ん中前寄りの席に寄せて座らせるのもよくないと思う。私、普段は全然周りの人とか気にならないし、別に分離主義者とかではないし、こういうことをおおっぴらに言うべきではないとも思うのだが、今回の芝居に限っては両隣がデカい男の人でなんか嫌だった(意外に男性客が多かったのだが、とくにイスラム女性のモノローグを聴いているときは両隣が男の人なのはすごい嫌だなと思った)。指定席とか無視してもっと後ろのほうの席で、荷物とか隣の座席に置いてゆったり見るべきだったと思った。


 今回の公演は手話を使っているのがポイントで、身ぶりと朗読が重なってとても動きのある舞台になっている一方、ひとつのモノローグを手話の役者と音読の役者が協力して作り出すってことで女性同士の協力というテーマが鮮明になってくるところがいいと思った。ただ、基本的にはこの舞台が面白いのは元の戯曲がよくできているのと(いろいろ問題はある戯曲だが、そういうことは全部とっぱらって聴かせる力があるのは確かだし、これぐらい単純化して陳腐と思えるようなイメージも取り入れないと多くの人に訴える芝居にはならないだろうと思う。たぶん学者からして「問題ない」と思えるような台本で上演しても一般人は全然面白くない気がする)、あと手話と朗読を一緒にやるという手法がいいからであって、演出とか翻訳には少々物足りないとこもあったかと思う。まず翻訳だと、「ヴァギナ」を「ヴァギナ」のままで通すのは本当に適切なのかという問題もあるし(まんこでもおめこでもホーミでも何でも良いのだが、指す部位を考慮しつつ日本語にすべきでは?)、あと英語の代名詞を直訳してるとこ(「彼の」とか。日本語で「彼の」とかそんなに言わないでしょ?)や、語尾に「よ」が使用されているところはちょっとなという気がする(私、演劇とか映画で「なんとかなのよ」とかいうわざとらしい女言葉の台詞が出てくるたびにふざけんなと思うんだけど、『ヴァギナ・モノローグス』はそういうことを最もやってはいけない芝居では?)。

 それから「怒りのヴァギナ」のモノローグはもっと面白おかしくやるべきなんじゃないかと思った。これ、アメリカでやった時はウーピー・ゴールドバーグが演じたらしいのだが、たぶんウーピーが会場に詰めかけた女性客の前でこのモノローグをやったらみんなお腹を抱えてゲラゲラ笑うんじゃないかと思うのである(胸のすくような笑いというかなんというか、そういうものが起こる気がする)。今回の日本公演では、このモノローグについては「笑い」の要素があまりなくて「怒り」だったのだが、あまりそういう方向にはいかないほうがいいんじゃないのかな…ただ、このモノローグで人を笑わせるには相当な技(ウーピー・ゴールドバーグなみの)が必要だと思うので、ちょっと難しいかな…


 まあ、面白い芝居なのに全然お客さん入ってないみたいなので、皆さん是非行ってみて下さい。手話でしっかりした演技が見られる機会はそんなに多くないと思うし、その意味でもお勧めだ。