ナショナルシアター『肝っ玉おっ母と子供たち』

 イギリスに来て初めて芝居を見てきた。

 なんてったって最近ポンドが上がり始めている上何かと引っ越し後は物いりでお金がないのと、カゼでずっと家でうじうじしていたため、せっかくイギリスに来たのになかなか劇場に行けず、今まで見たいお芝居を三つか四つは逃してしまったのだが(グローブ座の『お気に召すまま』はチケット買いに行ったら既に売り切れてたし、『アルカディア』は私が着く前の日に終わってたし、Who先生おすすめの"Bette Bourne and Mark Ravenhill"は家具調達に走り回ってるうちに終わちゃってたし…)、フィオナ・ショー主演の『肝っ玉おっ母と子供たち』は前評判も大変良かったので絶対行かなきゃと思ってた。


 もちろんブレヒトの原作は読んだことあったし公演のビデオを見たこともあったのだが、ブレヒトを生で見るのは初めてだったので、あのヘンな台詞を英語で理解できるかかなり不安に感じたので、キャプションつきの公演(ナショナルシアターでは耳の悪いお客さんのためにキャプションつき公演がある)を選んで行ってきた。いやーそれでもやっぱりブレヒトは台詞が多い…見ていて大変疲れた。


 で、主演のフィオナ・ショーがとにかくすごくいいと思った。この人、『ハリー・ポッター』のペチュニア・ダーズリー役の女優なのだが、あのペチュニアおばさんとは思えない大迫力で、やっぱり舞台の人なんだなと思った(ちなみにちょっと頭の足りない息子役のスイスチーズはハリー・メリングで、これまたハリー・ポッターのダドリー・ダーズリー役の人なのだが、舞台のほうがだいぶん上手に見える)。台詞回しも動きも堂々たるもので、歌いながら荷車に乗って登場してくる場面のダイナミックさなんかまるで歌舞伎のようだ。


 ただ、このフィオナ・ショーが大変上手で、「肝っ玉おっ母」というキャラが立ちすぎているというのが結構この芝居を「悲劇」らしくしているので、そこがブレヒトの上演としてはどうなんだろうっていう気がした。休憩の前の場面とか、兵隊に襲われた娘のカトリンを見た肝っ玉おっ母が"This Fucking War!!!"と叫んで暗転するんだけど、こことかどう見ても観客はおっ母に感情移入してしまうと思うので、ブレヒト的な「異化効果」という点では全然ダメっちゃ全然ダメである。


 全体的にフィオナ・ショーの演じる肝っ玉おっ母は、戦争がどんなにバカなことか内心気づいてはいるが、戦争から利益を吸い上げる以外に食べていく道がない人物、つまりは運命に縛られている人物として描かれており、その点において悲劇の主人公にふさわしいんじゃないか…という気がした。今回の舞台では軍隊にくっついてる娼婦のイヴェット役の女優さんが結構頑張ってて良かったんだけど、イヴェットと肝っ玉の対比がとてもそのへんをよく表していると思った。イヴェットは若くて綺麗で子供もいないので、体一つで男どもをだまくらかして生きていくことが可能である(それはそれで実に厳しい人生だしイヴェットも幸せというわけでは全然ないのだが、少なくとも子供を守る必要はないのでまだ身軽である)。一方で肝っ玉は若くないし、美人でもないし、子供を守らないといけない。肝っ玉がこだわっている荷車というのはたぶん家庭…というか女家長が支配している私的空間の象徴であって、カトリンがずっと荷車に隠れている描写とかからもわかるように、戦争が唯一手を出せない場所としてあるんじゃないかと思う。で、フィオナ・ショーの肝っ玉はこの戦争が手を出せない場所としての荷車を必死に守るわけだが、いつのまにか荷車を守ることと子供を守ることが両立しなくなって、大事な子供たちは一人一人死んでいってしまう。えーっ、なんかずいぶん悲劇的な話だな…


 と、いうわけで、ナショナルシアターの『肝っ玉おっ母』はずいぶんと悲劇的な話であった。ただし、全体として極めて演出が「人工的」というか、様式美みたいなものに貫かれているせいで、ブレヒトが意図したとは違った意味での「異化効果」が出ているような気がする。バカでかい荷車のセットとか、本職のシンガー(デューク・スペシャルというミュージシャンなのだが、とても質の高いパフォーマンスをやる)を起用した演奏とか、台詞回しがいい意味で「わざとらしい」(あまり英語わかんないのでえらそうなことは言えないが、ちょっとウソっぽいドイツ訛りを使ったり、ゴア・ヴィダルにナレーションさせたりしてる)こととか、演出としてはどっちかというと現代演劇というよりは日本の歌舞伎に近い「虚構らしさ」があるんじゃないかという気がした。そういう点ではとても見応えがあるし、見ていてすんごい疲れるんだけど疲れる価値はあったなという気がする。