ローズ座『シェイクスピアの女たち』

 今日はガイ・フォークスの日だったのだが、ルイスとかまで出かけてお祭りを見る暇はなかったので、寮の人たちと女三人でローズ座の『シェイクスピアの女たち』を見てきた。


 ローズ座はシェイクスピアの時代からあるロンドン屈指の古い劇場なのだが、規模は大変小さくて(お手洗いもないくらい)、もっと大きかったはずの古いローズ座は遺構として残っているだけである。運営もなんか商売っ気がなくて、チケットのかわりにしるしつけたチラシを渡すだけである。


 この芝居は、シェイクスピア劇に出てくる多様かつ魅力的な女性たちを祝福することを目指して作られたものらしい。あらすじとしては、1616年に病気で倒れて家族の女たちの世話を受けているシェイクスピアが、死の床でこの女たちが次々と自分の戯曲のヒロインに変身していく妄想を見るという話である。女性陣はとっかえひっかえ、シェイクスピアの戯曲の女性登場人物に変身して台詞を言う(たまにシェイクスピアも相手役に変身して台詞を言う)。子供に言及する台詞があるたびにシェイクスピアが「ハムネット…」(幼くして亡くなった息子の名前)とつぶやいたりとか、娘の結婚問題をシェイクスピアが心配しているらしいという話が出てきたりとか、史実にもとづいた話も少し入ってくる。最後は『テンペスト』の引用があったりなんかして、シェイクスピアが亡くなったことが示唆される。


 …と、いうことで、言ってみればシェイクスピア劇のダイジェスト版みたいなものなのだが、この手のダイジェスト芝居としてはとてもよく出来ているし、「シェイクスピア劇に出てくる女性キャラクターを祝福する」という目的もうまいこと達成されてると思う。まず、短いのがいい!こういうのって最初は面白くても1時間くらいすると飽きてくるもんだが、この芝居は1時間15分しかなくて、ちょうど「ちょっとたるくなってきたかなー」と思ったあたりで「死」に関する場面の引用が多くなって終わるので、なかなかにバランスがとれている。


 それから女優さんも男優さんもすごい頑張っている。4人の女優でシェイクスピア劇全作品の登場人物をとっかえひっかえ演じるのだが、みんな自分にあった役柄を担当してはいるものの、前の役柄を引きずらずにコミカルなとこはコミカル、悲しいとこは悲しくやっていてメリハリがある。ポストトークによると、シェイクスピア作品に出てくる女性の役柄を「ゴールデンガールズ」(ブロンドで心優しくしっかりした乙女。コーデリアやジュリエット)、「正義」(ポーシャやイザベラ)、「利発」(キャタリーナやビアトリス)、「野心」(マクベス夫人やマーガレット王妃)などの何タイプかに分けてからそれぞれの女優さんに役柄を振り分けたらしい。シェイクスピアの時代はレパートリー制で毎日違う芝居を上演したりしてて、役者は前の日の役柄を引きずって芝居ができないとかいうことがないよう、なるべく同じタイプの役柄を振り分けてもらっていたらしいのだが、それと同じく風だなと思った。
 

 あと、引用する台詞の選び方もとてもうまくやっていると思う。それぞれの女性キャラクターの特徴が最もよくわかり、かつ芝居全体の調子もわかるようなドラマティックな台詞を選ぶよう気をつけているので、観客がそれぞれの場面にスっと入りやすい。ジュリエットが死ぬ場面の引用とかは、ほんとにちょっとしかやってないのにすごく悲しい気分になった。これはシェイクスピアの詩の力+役者の頑張りだなと思った。


 …で、シェイクスピア劇に出てくる女性キャラクターを祝福するという点ではこのプロダクションはとても良くできていると思ったのだが、それ以上になんかすごく深く考えさせられるとこがあるかというとそうでもない…気がした。たぶん、これは芸術祭やシェイクスピア関係の催しなんかですごく祝祭的な感じで上演するのがふさわしい作品であり、ローズ座みたいなちっちゃい劇場でひっそりやるという雰囲気があまりよくなかったからそう思ったのではないかとも思う。ちなみにこのプロダクションはお金がなくて、シェイクスピア関係のトラストから支援してもらえないか頼んでいるらしい。


 ちなみに、ポストトークで女優さんたちが「昔はボーイアクターがこういう役柄をやっていたというのはびっくりだ」と言っており、お客さんもそれに同調していたのだが、日本だと今でもボーイアクターが女をやるプロダクションがないわけではないし(早乙女太一とかだが)、女形伝統芸能の伝承者として尊敬されているとこもあるので、これはちょっとイギリスと日本では感覚が違うとこだなと思った。