バース日帰り旅行記〜風呂の文化論(3)

 さて、16時半には観光地も全部しまってしまい、20時の芝居開演まで3時間半もあいてしまった。

 考えられる選択肢としては、

(1)お茶でも飲んで1時間半くらいぼーっとし、18時くらいから夕飯を食べる。
(2)せっかくバースに来たんだから、水着を買って風呂に入る。

 のふたつで、まあ私は無駄に行動力がある人なので(2)を選ぶことにした。


 バースの温泉はしばらく閉鎖されていたらしいのだが、ごく最近復活してサーメ・バース・スパというのができたらしい。で、ここは2時間から入れるらしいというので、行ってみることにした。


 イギリスの温泉は全裸で入るんじゃなくて水着がいるらしいのだが、私は水着とかそういうものをここ7年間持ったことがないので、もちろん持ってきているわけもない。で、この先イギリスでまた温泉に入る機会があるとも限らないし、ちょっと迷ったけど購入することに決定。


 …で、まずスパの水着ショップに行ったのだが、私はふつうのイギリス人に比べると明らかに小さい上、イギリスに来てこのかたストッキングとコート以外に婦人服を買ったことがないので(というか日本にいた頃もほとんど子供服で間に合わせていたのでめったに婦人服なんか買わなかったのだが)、サイズが全くわからず、困っていた…ところ、偶然お店にとても親切な日本人の職員さんがいて、私がバッグのポケットに『地球の歩き方』をつっこんでいたのに気づき、助けてくれた。「日本のSならサイズ8でいいのでは」と教えてくれた上、チェックインをしてお風呂の使い方まで全部教えてくれた。係員さんにはほんっと感謝である。


 水着は25ポンドと20ポンドのがあって、正直ちょっときつい出費だなと思ったのだが、まあ水着買うなら日本でもたいして値段は変わらないし、20ポンドのほうは背中のあいている水着で、私は背中に水道管が刺さった痕があってこれはちょっと…と思い、結局25ポンドのあまり背中があいてないほうにした。


 で、着替え室に行ったのだが、びっくりしたのは更衣室が男女で分かれてないことである。一人用のカギがかかる更衣室とロッカーがずらっと並んでいるだけで、男用のスペースと女用のスペースというのがない。日本だと風呂が全裸で混浴だとしても更衣室だけは分かれているのが普通だと思うので、これは結構びっくりした。どうも入浴に関してはプライバシーの概念が全然違うようである。もちろんドライヤースペースとかも一緒なんだけど、なんか男性がいっぱいいるところで濡れた髪の毛を乾かしたりするのは私はかなり抵抗がある(えーっ、私は開けた人のつもりだったのだが、今回このことがあってから実はどうもそうでもないかもしれないと思った)。


 で、思ったのだが、たぶん日本で必ず更衣室が分かれているのは、「完成した状態以外を人(とくに異性)に見せるのは恥ずかしい」という社会通念があるからなんじゃないかと思う。脱いじゃったら脱いじゃったでそれで一応「完成形」になるからいいのだが、脱ぐ途中とか、髪の毛が直ってない状態とか、化粧が途中の状態とか、「人体の外面が形成途上で完成していない状態」を異性に見られるのを恥とする文化が日本にあるのではないかと思う。電車の中で化粧するとかいう、私からするとどーでもいいようなことが日本ではいっぱい批判されるのもたぶんそういう価値観のせいなのではないだろうか…イギリス人が電車で化粧するかどうかは寡聞にして知らんのだが、スパではイギリスの美人諸君が髪の毛をボサボサにして平気で男性の前で乾かしていたし、日本よりも「完成形」に対する執着が少ないように思える(これはイギリスに来てからいつも結構思っていることなのだが、今回スパに行って余計そう思った)。


 まあそんなことを思いながら水着に着替えたのだが、どうもサイズ8でもちょっとデカいみたいでお腹の部分がぴらぴらに…その上、私はビキニラインどころか『ヒューマン・ネイチュア』のパトリシア・アークェットみたいな人で、普段絶対足を出して歩いたりしないのだが、今回水着を着てから自分の足が汚いことに気づいた。まあ、ずっとお湯につかってるからいいかと思ってあきらめることにした。


 エントランスで日本人の係員さんに言われていたので覚悟はしていたのだが、お湯がぬるい上、消毒液が入っていて温水プールみたいなので、日本人が考えるお風呂とはかなり違っていて、あまりくつろぐ感じじゃない。三度の飯より風呂が好きという噂の日本人からすると、せっかく天然のお湯が湧くのにぬるま湯で消毒液を入れるなんていうのはけしからん話なのだが、こっちのスパはそれが普通のようだ。体を洗ってゆっくりつかれる熱い風呂がないのはかなり物足りない気がする…あがった後消毒液のにおいがするのがいただけない。これで2時間22ポンド+タオル代3ポンドは高いかも…とはいえ、屋上の温水プールから見る夜のバー修道院は大変綺麗だったし、熱めのミストサウナとフットバスも歩き疲れた身には気持ち良かった。


 風呂からあがって、ガイドブックに紹介されていたマイタイで夕ご飯を。ここは安くて美味しいタイ料理のお店だった。

 焼きうどんのようなタイの麺。


 その後、バース来訪の主目的…であるはずの、『ヴェローナの二紳士』へ。

 この公演はたった二人の男優でとっかえひっかえシェイクスピアの『ヴェローナの二紳士』の役柄を演じるというものだった。私はアフリカ英語がかなり苦手である上、ところどころでアドリブが入ったり、アフリカの楽器を演奏しながら話したりするとこもあったので台詞の聞き取りが最初大変だったし、あとなにぶん芝居が芝居なので(『ヴェローナの二紳士』は非常にヘンな戯曲で、手に汗握る面白い話というわけじゃない)やや中だるみの感もあったのだが、後半までは軽くて楽しいロマンティックコメディだったのが、最後怒濤の暗い暗いクライマックスへつっこんでいくところがすごくショッキングで面白かった…

 もともと『ヴェローナの二紳士』は演出が難しいと言われている芝居で、非常に誤解を招くが簡単な言い方で説明すると、主要な女性二名はどちらも志操堅固で美しく優しいのに、この二人の恋人である主要男性二名のうち一人は性犯罪者、もう一人は現代人からするとイカレポンチにしか見えないという作品である(…ごめんなさいこんな説明で)。途中までは恋と心変わりわりとまともなロマンティックコメディだったのに、最後でいきなり登場人物の一人であるプロテウスが親友ヴァレンタインの恋人シルヴィアを強姦しようとし、それをヴァレンタインが止めに入る→すっかり後悔するプロテウス→それを見て、なぜかプロテウスにシルヴィアを譲ると言い出すヴァレンタイン→そばにいたプロテウスの恋人、ジュリアが大ショック→ジュリアとプロテウスが元の鞘におさまる、という、何かの不条理劇のようなわけのわからん展開で終わる。ヨーロッパのおとぎ話で男性の友情をこんな感じでデフォルメしたものは結構あるのだが、芝居にかけて実際に肉体ある人間が演じるとどうもあまりおとぎ話っぽくないというのもあり、また現代人からするとどう見てもヴァレンタインとプロテウスがまともな神経をしているようには見えないという問題もあり(同性愛的な泥沼の愛憎関係にあるという解釈ならできるかもしれないが、そうでなければあきらかにおかしい人たちである)、演出が難しい。


 ところが、この上演では最後にヴァレンタインがプロテウスにシルヴィアを譲ろうとする場面がとても暗くて、「もうどうでもいいよ、愛なんか…俺は疲れたよ」みたいな感じになっており、ジュリアとプロテウスが元の鞘に戻って「同じ日に結婚しよう」という台詞もまるっきり嬉しそうなところがない空々しい調子で言われる。この上演では全体的に人間同士(とくに男同士)の敵意がわりと騒々しい感じで描かれているので、この最後の演出は、男二人は人間関係のもつれの末にすっかり愛に疲れてどうでもよくなったということを表していると思う。一方でいつも志操堅固な女性陣はそうはいかないわけであって、強姦されかけた上ヴァレンタインにモノ扱いされたシルヴィアは最後にものすごいショックを受け、同じくプロテウスの行為にショックを受けているジュリアに慰められるという無言の場面が一番に付け加えられている。これはすごく鋭い演出だなと思ったし、台詞がひとつもないのに役者陣の芝居が怖くって、なんだか見ていて背中に薄ら寒いものを感じた。



 …と、いうわけで、夜まで大変充実していたバースツアーは終了。修道院前広場の夜景を見ながら駅まで歩いて帰る。


 駅についたらなんかロンドン行きが来ていたので飛び乗ったところ、乗ってから予約した電車より一本早いのだったことが発覚…しかし仕方ないのでそのまんまロンドンまで行ってしまった。検札は来なかったし、私はほとんど寝ていたので(イギリスでは電車で人が寝ないという噂だったのだが、そんなことはない。長距離電車ではたまに寝ている人もいるし、それどころか酒飲んで大声で話してるヤツまで…日本の郊外列車とそうかわんない)、すぐロンドンに着いてしまった。1時ちょっと前に寮に着いて、お風呂で消毒液を洗い流してバタンキュー。ベッドに入ったのは2時くらいだったのだが、なんと翌日起きたら昼の1時でものすごくびっくり…やっぱり超強行日程ツアーはきつかったらしい。