ジェームズ・シャーリー作、『アイルランドの聖パトリック』

 ジェームズ・シャーリーの『アイルランドの聖パトリック』を読んだ。


 これは1640年に出版され、その少し前に上演された芝居で、イングランドの劇作家シャーリーがダブリンに呼ばれて書いた作品である。聖パトリックがアイルランドキリスト教を伝えた話を劇化した、一種の奇跡劇なのだが、植民地主義という点ではツッコミどころが多い一方、女性に人気があったらしいシャーリーの作品らしく、ヒロインが結構強い…のだが、このヒロインをめぐる性暴力まわりの扱い方がなんかもうすごくヘンで、ダブリンのワーバラストリート劇場であまり人気がなかったというのもわかる。


 とりあえず元奴隷で今は神父様になったパトリックがアイルランドにやってきて、アイルランドの魔術師アーキメイガス(「魔術師」という意味)と対決するのだが、なんかこのアーキメイガスがおがんでる神様が超適当で、ケルトの宗教とジュピター系のローマの神々がまざったヘンな体系の神々をまつってる。偶像崇拝や生け贄、恋のまじないなどあやしいアイテムも盛りだくさんで、これはカトリックに対するプロテスタント側の諷刺の中で当時よく見られたような表現らしい(ただし、シャーリーはカトリック。聖パトリックももちろんカトリック)。対する聖パトリックは守護天使がついてるせいで不死身で、毒を飲んでも火で焼かれても死なない。この聖パトリックは、先代のローマ教皇に先んずるスーパーナチュラルヒーローの神父様である。


 …で、これだけだと無敵のパトリックが邪教の魔術師を倒す植民地的なつまんない芝居になりそうなのだが、脇筋が奇跡劇にしてはえらく世俗的である。アイルランドの王子コリブレアスはケルトの宗教とキリスト教のデスマッチを尻目に弟コナッラスの恋人である貴族の娘エメリアに横恋慕しており、ケルトの魔法の護符(具体的にはどういうものがあまり想像がつかないのだが、どうも目くらまし効果があって透明になるみたい)で荒ぶる神のフリをしてエメリタを強姦する。この台詞がすごくて、コリブレアスは"thou would'st be fond / Of my embraces, and petition me / To bless thee with a rape! / yet I woo thy / Consent." (III. ii. いやもうあまりにもひどい台詞で翻訳する気もおきない)とか言ってエメリタを襲う。これでエメリタはものすごいショックを受けてコナッラスとは結婚できないとか言い出すのだが、エメリタはシェイクスピアのルークリースとかに比べるとなかなか強くて、コリブレアスをひっかけて復讐として殺してしまう。これを知ったコナッラスは兄は殺されて当然だと思い、エメリタはパトリックの祝福を受ける。


 …で、このあたりの演出がかなり曖昧で、性暴力がいったいどう処理されているのかテキストだけではよくわからないところがある(私の持ってる版はト書きもろくにないファクシミリ版なもんで…)。パトリックはエメリタが「永遠の花婿と結ばれた」と言っていて、これは修道女になったことを想起させると思うのだが、アイルランドでこの時期に舞台上でカトリックの修道女になる様子が描かれるというのはどうもあまりにもきなくさくてイングランド系の観客が怒り出しそうな気がするので、そのへん演出でどう処理していたのかわからない。台詞だけだとエメリタは尼さんになっちゃったみたいな感じなのだが(この後アーキメイガスが突然蛇を使って襲撃してくるのでそのへんうやむやに)、王子と結婚させる演出も不可能ではない気がするので(かなり難しいとは思うが、もしそういう演出をしたとするとこの時代の芝居としては非常に画期的だと思う)、1630年代のダブリンではどう演出されていたのかかなり興味がある。明日クリティカルエディションで確認してみようと思う(最初は二部作として構想されたので、うやむやのまんまで終わる演出だったのかもしれないが)。


 とはいえ、この芝居がダブリンで受けなかったのは当たり前だろうと思う。アイルランドの王子が透明人間になって女性を強姦する悪党だとか(この頃の芝居は性暴力がかなり恐ろしい感じで描かれることが多いのだが、さすがに神様のフリをしてというのはちょっと珍しい)、全体的にちょっと大仰な演出が多すぎるし、植民地主義的なところもお客さんを刺激したのかもしれない。