キーツの伝記映画『明るい星』(Bright Star)〜あの合唱はなんだったんだ?

 プリンス・チャールズ・シネマでジョン・キーツの伝記映画『明るい星』(Bright Star)を見てきた。


 キーツは実は私の住んでいるガイ病院で勉強していたことがあり、うちの寮の側にはおそらくキーツを記念していると思われる「キーツハウス」という医療施設があったりするので、ロンドンに来て以来「地元の有名人」っぽく感じるようになっていたのだが、『明るい星』が扱っているのはキーツがロンドン市内じゃなく郊外のハムステッドに住んでた時代である。キーツはここでファニー・ブローンという女性と出会って熱烈な恋に落ちたのだが、キーツ結核にかかり、イタリアで療養中に死亡したせいで結婚できなかった。『ブライト・スター』はファニー視点でこの一連の出来事を語る話で、一見どこにでもいそうな隣のねえちゃん風の女の子の中にどれほどの激情が潜んでいるのかということを描いている。


 とりあえず、この映画はジェーン・カンピオン監督作としては『ピアノ・レッスン』と並ぶ良い出来だと思う。全体的に描写に過剰なとこがあった『ピアノ・レッスン』に比べて全体的にタッチが老練になっている気がするので、丁寧さという点では『ピアノ・レッスン』よりも勝っているかも。


 で、この映画の出来が良い原因のひとつは、突然ヘンなことを言うようだが、おそらくは性描写が少ないからだろうと思う。私が思うにジェーン・カンピオンはたぶんすごい変態…なんだと思う。この人の考えるエロティシズムの表現というのはちょっとすごい特殊で、見ていて「これって綺麗なつもりでやってるんだろうけど、そうなのか??」と疑問になる描写がいっぱいある。『ピアノ・レッスン』はわりとそのへんの妄想っぷりが小細工なしで行くところまで行っているような気がしたので良かったんだけど、その後ちょっとタッチがこなれてくると結構私はダメだった(あれでピッタリくるという人もいるのだろうが)。ケイト・ウィンスレットメグ・ライアンが全裸でうろうろする『ホーリー・スモーク』とか『イン・ザ・カット』は私はもうやめてくれって感じだったし(『ホーリー・スモーク』は、なんか全く映画を見ない当時の交際相手と行ったんだけど、彼はケイト・ウィンスレットの全裸に普通に唖然としてたので、男女問わずカンピオンの性描写がダメな人はいるのだと思う)、割合面白かったような気がする『ある貴婦人の肖像』もニコール・キッドマンの妄想場面はちょっと作品の他の部分から浮いてるような気がした。一方であまり性描写のない『エンジェル・アット・マイ・テーブル』とか『ルイーズとケリー』は普通に面白かった気がする。

 
 『ブライト・スター』は19世紀初めの未婚男女の恋愛を描いているので、当然のことながらあからさまな性描写はない…のだが、その分監督個人の趣味があまり炸裂せず、一般向けの美しい描写が増えている。デートにも付き添いがいる時代なので、付き添いの目を盗んで手をつなぐとか、他の男からふざけたヴァレンタインカードをファニーがもらったのを見ただけでキーツが大ショックを受けて動転するとか、そういう細かい描写の積み重ねに風景描写を組み合わせてキーツとファニーの間にある性的な緊張感を表現しているあたりがとてもエロティックだと思った(相変わらずこの監督は風景を撮らせるとすごい)。それからキーツの詩自体が度はずれてエロティックだというのも大きい。いたるところでキーツの作品が朗読されるのだが、結核で死にそうなキーツとファニーが「つれなきたおやめ」を交互に朗唱する場面はたいていのラブシーンよりはセクシーだった。


 …ただ、冒頭の刺繍の場面はすごかった。どうすごいのかあまり言わないほうがいいと思うのだが、刺繍しているところをアップで撮るだけでこんなにエロティックな画面が撮れるのはジェーン・カンピオンだけだろうと思う。ファニーはクリエイティブな女の子で服飾が趣味なのだが、映画が始まった時、なんの説明もなしに刺繍針がステッチをするところをえんえんと超アップでとり続けるのである。しかも、なぜか針を持つ手を画面に入れないよう撮っているので、まるで針が自分の意志を持って勝手に布にからみついているように見えてある意味気持ち悪い。これってものを作ること(詩でも服飾でも)の恐ろしさと官能(作っている作品が作者の手を離れて勝手に自己増殖していく感じ)を暗示するカットだと思うのだが、ここはカンピオンの変態っぷりが控えめな形ながらもはっきり現れているように思った。


 しかしながら、カンピオンはニュージーランドの映画監督としてはピーター・ジャクソンに次いで世界的に成功している監督なんだけど、ジャクソンもカンピオンもものすごく画面が変態的だよな…ジャクソンはそもそもあまり男女の細やかな情愛描写とかに興味がないみたいだと思うのだが、その分無駄のない展開で話がどんどん前に進むから誰が見ても面白いような気がする。一方でカンピオンは男女(あるいは女女)の細やかな情愛描写にしか興味がないみたいで、ある意味たるいのでジャクソンほど一般向けではないし好みがありすぎてビッグバジェットの作品にも向かない。



 あと、本筋とは全然関係ないんだけど、一カ所ヘンな場面があって、あれの意味を是非どなたが教えてほしいのだが…この映画は音楽が凝ってて、18世紀末の合唱曲とかデュエット曲みたいなのがうまく使われているのだが、冒頭近くのパーティの場面で、いきなり男どもが「おお、歌でも」みたいな感じで全員で集まってアカペラ男声合唱を始める場面がある。あれは一体なんだったんだろう…とても面白い場面だったんだけど何が起こったのかよくわからなかった(歌をバックに英語をしゃべったりすると、ネイティヴじゃないもんでとたんに理解度が下がるしね)。19世紀初めにはアカペラ男声合唱が流行っていてパーティとかの余興になっていたんだろうか。このブログ読者には少なくとも男声合唱関係者が二名いるはずなので、19世紀初頭の男声合唱の流行(?)について何かご存じの方は教えて下さい…