コリン・ファースはなぜどの作品でも踊って泳ぐのか、あるいは肩甲骨と老い〜『シングル・マン』

 トム・フォード監督、コリン・ファース主演の『シングル・マン』(A Single Man)を見てきた。


 これ、一言で言うとルイ・マルの『鬼火』+フランソワ・オゾンの『僕を葬る』である。長年連れ添った恋人を事故で失い、自殺を決意した大学教授の一日を描くというもの。アメリカに移住したイギリス人のゲイの大学教授ジョージの役がコリン・ファースである。ただし時代設定はキューバ危機後のロサンゼルスで、当時の大学ファッションがおそらくかなり忠実に再現されている時代劇でもある。


 …で、コリン・ファースがとにかく上手い。私は実はファースはそんなに好きでもないのだが、今回はなんか本当にこの人は芝居ができるんだなーと思った。この人、最近は無駄に色気ばっかり有り余ってるのに真面目な中年男みたいな役が多かったと思うのだが、今回は全然違ってて、非常に抑制された演技で色気も抑え気味。ところがなんとなく見た目はマルチェロ・マストロヤンニラッセル・クロウ(どっちも色気が売りの役者である)の中間みたいな感じに作っていて、なんかそのへんが非常に不思議である(監督の趣味?)。真面目だというのはいつもの役どころと同じなのだが、真面目がたたって寡夫になったショックで糸の切れた凧みたいになり、酒を飲みまくって自殺をはかるというのが非常に痛々しくシリアスである。妻を亡くしてショックを受ける夫というのはよくいるが、ジョージの場合、パートナーのホモフォビックな両親のせいで家族と見なしてもらえず、葬儀にすら出席させてもらえなかったせいで相手の死をきちんと整理できていない。そのせいでものすごい打撃を受けている。


 ファースの親友チャーリー役で出てくるジュリアン・ムーアも上手い。ムーアお得意のちょっと崩れた美人の中年女性の役で、しかもファグ・ハグである。ムーアとファースが酔っぱらう場面は本当に痛々しかった…


 コリン・ファースを慕っている学生ケニーの役でニコラス・ホルトが出てくるのだが、まあこの子が『アバウト・ア・ボーイ』のあのガキとは思えないくらい成長していてびっくり。ずいぶんハンサムになったと思う。

 
 たぶんこの作品のテーマのひとつには「老い」があると思うのだが、それに関連してすごい残酷だなーと思ったのが、ジュリアン・ムーアの肩甲骨とニコラス・ホルトの肩甲骨の撮り方である(…急にすごいマニアックな話になってすいません)。ジュリアン・ムーア演じるチャーリーは、顔とかファッションセンスは作中でジョージが言うように"still breath-takingly beautiful"なのだが、冒頭の鏡に向かって下着で化粧する場面、後ろから撮っているので背中がものすごく荒れてて汚いのがわかる(あと、途中で肩の出た服を着るところもあるんだけど、服自体はオシャレなんだけどやっぱり肩が荒れてる)。一方、ケニーがいきなり全裸になって海に入る場面でもやっぱり背中を後ろのほうから撮るのだが、ケニーの肩甲骨はすごく若々しくて肌がぴかぴかしている。監督のトム・フォードはグッチのディレクターでゲイらしいのでたぶんこの肩甲骨の対照的な撮り方はわざとだろうと思うのだが、老いというのは自分では見えないところに忍び寄ってくるんだというのをなんか如実に示している撮り方だよなーと思った(「見えない所に忍び寄る老い」は、たぶんラストにも関係あるはず)。



 しかし、本筋とは全く関係ないのだが、ファースはなんでここんとこ映画とかテレビに出るたびに踊らされたり泳がされたりするんだろう…たぶんきっかけは『高慢と偏見』のドラマだろうと思うのだが(私、これは見てないんだけど湖の場面はしょっちゅう言及されるからYouTubeで見た)、この作品は『高慢と偏見』や『マンマ・ミーア』には似ても似つかないシリアスな作風なのに、やっぱりファースは全裸で泳がされるし踊らされる。何かお約束になっているんだろうか…


高慢と偏見』、全英の女性を釘付けにした、ダーシーが突然泳ぐサービスカット


 映画で使用されているエッタ・ジェームズの「ストーミィ・ウェザー」。これにあわせてチャーリーとジョージが踊る。


 …あと、作中でジョージがオルダス・ハクスレーの『多くの夏を経て』について話すとこがあるんだけど、あれはどういう意味なのかな…?私、この小説は読んだことないんでよくわからない。ただ、メスカリンの話が出てくるのとハクスレーは何か関係あるのかもしれない(なお、60年代のロサンゼルスといえばドアーズだが、ドアーズのバンド名もハクスレーからとっている)。