中世道徳劇『人間』(Mankind)、文化財指定されているパブで上演

 近くにある行きつけのパブ、ジョージインで、うちのカレッジの中世研究会が中世道徳劇『人間』(Mankind)を上演した。ここはナショナルトラストの文化財に指定されている由緒あるパブで、夜になるといつも込んでいるのだが、夕方から一人で入るのは初めてだった。



 イギリスの中世劇というのは、だいたい超大まかに分けると二系統ある。ミステリープレイ系(このmysteryは「神秘」ではなく「職人組合」のこと)のやつと、道徳劇系のやつがある(このほかにフォークプレイとかインタールードとかもあるのだが、そのへんはちょっと省略)。

 ミステリープレイというのは聖書とか聖書まがいの神話(微妙な表現だが、聖書にのってない民間伝承みたいなやつ)をモチーフにしたもので、一つの芝居だけじゃなく何作かの芝居からなっているシリーズ物であることも多い。だいたいは年取ったヨセフが若い妻マリアの妊娠にショックを受けるところから始まり(…ギャグみたいな話だが、中世の人は意外と合理的で、既婚女性であるマリアが乙女だったのはヨセフが年取っているせいだと思っていた)、イエスが地獄を征伐したり、スペクタクルで聖書の物語を見せるものである。

 道徳劇は抽象的な人格とか性質の名を冠した登場人物が出て来て、いろいろな教訓を説くものである。主人公は「人間」(Mankind)とか「万人」(Everyman)とか、人類全体をあらわす名がつけられており、これをいろいろな悪徳の名前がついた人々が堕落させようとする…ものの、結局は美徳がやって来て主人公は悔い改めるというものだ。


 『人間』はイギリスの中世道徳劇の中でも結構有名な作品で、主人公はそのものずばりの「人間」。良い人になりたいと願う「人間」は最初は「慈悲」(Mercy)の言うことをきいて真面目に暮らそうとするのだが、「災い」(Mischief)に率いられた「流行」(New Guise)、「刹那」(Nowadays)、「無」(Nought)と、さらにワルいティティヴィラス(Titivillus)に誘惑されて悪徳にハマってしまう。しかしながら最後に本性を現した悪徳一味が人間に自殺を迫る危機一髪のところで慈悲が助けに来てくれて人間は救われる…というお話である。


 パブの外、はじまりはじまり。


 慈悲。


 災い。髪の毛をとがらせて悪魔のとんがりみたいにしている。

 手に持っているのは煙草。室内禁煙だが、パブは外では喫煙化。ただし、すっている人は「災い」だということをお忘れなきよう。


 慈悲とそれをからかう災い。


 慈悲に教えを請う人間。

 普通、人間の役は男だが、今回は女性。しかも結構可愛くて、いかにも誘惑に負けそうな大人しい感じの女性に作ってある。


 慈悲に教えを請うた人間にいったん蹴散らされ、ショックを隠しきれない悪徳一味。


 悪徳強化のために召喚されたティティヴィラス。慈悲とダブルキャスト

 


 ティティヴィラスに人間を奪われてショックな慈悲。


 悪徳どもを蹴散らして人間を救出した慈悲。


 まあ大学の中世研究会がやっているということで結構学生演劇っぽいのだが、前回のギリシャ悲劇よりは全然マシ。とくに災い役は頑張ってた。中世劇は道化役でもある悪徳役が頑張って面白くしてくれないとダメなのだが、この「災い」はアドリブもするし客いじりもするし、よくやってたと思う。慈悲とティティヴィラスがダブルキャストなのはいい演出だと思うが、この役の人は台詞が極端に多くなった上早変わりも必要で大変そうだった。

 しかし、言葉はあまりわからなかったのだが(パブってうるさいから普通の芝居よりもさらに聞き取りがつらい)、中世劇っていうのは思ったより結構起伏に富んでいて、たしかに説教くさくはあるが、上演するとなかなか見ていて楽しいもんなんだなぁと思った。こういうパブみたいなところで何も使わずにやるのもいいと思うのだが、いろいろと凝ったセットとかわざとデフォルメした美術でこれでもかというほどわざとらしくやってもいいかもしれない。慈悲の役をニコール・キッドマンにして、バズ・ラーマンに撮ってほしいかも!