芝居を見る客は、わざわざ金を払って酔っぱらいで大嘘つきの臆病おやじに誑されに来ているのである〜グローブ座『ヘンリー四世』第二部

 グローブ座で『ヘンリー四世』第二部を見てきた。今日が初日だった。

 初日ということもあって劇場はほぼ満員で、おそらくお客さんのほとんどは第一部も見ている。そんなわけで、ロジャー・アラム演じるフォルスタッフが最初に舞台に出てきただけでお客さんたちはお帰りなさいとばかりに大拍手。歌舞伎なら「待ってました!」「ナントカ屋!」とかけ声がかかるところ(…なお、ハル王子とかが出てきた時は拍手は出ない。『ヘンリー四世』二部作の看板はあくまでもフォルスタッフ)。その後もフォルスタッフが何かやるたびにお客さん大喜び。ハル王子役のジェイミー・パーカーとかも相変わらずいいんだけど、やっぱりフォルスタッフのほうが見せ場が多いし良い台詞もたくさんある。芝居の構成としてはハルとフォルスタッフの掛け合いが少なく、本筋に関係ないお笑い場面が多くて第一部よりやや散漫であるようにも思えるのだが、面白いのは間違いない。
 

 フォルスタッフは太っちょで大酒飲みで大食いの嘘つきおやじのくせに非常に女にモテるというのが不思議なのだが(男にもモテる)、どうも芝居を見ているとそれって当然と思えてくるところがすごい。『ヘンリー四世』第二部ではクィックリーのおかみさんと若い娼婦のドル・ティアシートという二人がフォルスタッフに丸め込まれてしまうのだが、今日の舞台では結構ドルもクィックリーもフォルスタッフにベタ惚れな演出で、両手に花って感じだった。手下どもも文句や悪口を言いつつ結構フォルスタッフを慕っている。

 フォルスタッフが他の人たちに好かれるのはとにかく「面白くて機知に富んでいる」からなのだが(容姿はパッとしないし、性格は臆病、素行は大酒飲みで浮気者)、なんかもうこのモテっぷりを見ていると面白いというのは他のどんな欠点をも帳消しにしてあまりある威力があるんだなぁと思う。どんなに人格が優れていようと容姿が美しかろうとつまらない人は長くいると飽きるが、有り余る機知は太っちょだろうがブスだろうがロクデナシだろうが全てを魅力に変えてしまう力がある。


 最後にヘンリー五世となったハル王子がフォルスタッフを拒絶するのは、最強の愛されキャラであるフォルスタッフの人誑しの才に抗う力を持っていたのはハルだけであり、ゆえにハルは王たる資格があるということを示していると思うのだが、なんというか今日の舞台を見ていると、この最後の場面のハルは本当に人間離れした冷静さを持った人として描かれているんだなぁと思った。たぶん、『ヘンリー四世』第二部の最後のあたり(ヘンリー四世の死の場面からヘンリー五世の即位まで)が暗示しているのは、「王であるということはある意味で人間でなくなるということである」ということではないかと思う。この演出では最後になるほどハルがどんどん人間らしくない感じになっていったと思うのだが、即位して王の衣に身を包んだハルは第一部の「毛並みのいい不良」とはまるっきり違っていて、別世界の超人的な生き物みたいになっている(『竹取物語』の最後で、かぐや姫が月の衣を着ると地球のこと全部忘れて月の人になるでしょ。あれと似てる)。しかしながらフォルスタッフ大好きなお客さんとしてはハルのあまりにも冷静で「合理的」な判断には違和感を抱くことになる。なんてったって芝居に来るお客さんは金を払って役者に「誑され」に来ているんだからねぇ…


 …なお、フォルスタッフとか王の資格とかにはあまり関係ないのだが、この上演ではドル役のジェイド・ウィリアムズがとにかく可愛くて唖然とした。ドルは戯曲を読んでいるかぎりではうるさくて頭の悪そうな若い女の子(喩えが悪いが、ちょっと抜けてるせいであまり商売がうまくいってない援交女子高生って感じ)であまり魅力があるとは思えなかったのだが、今日の舞台ではなんかまあこのしょうもないことばっかりしてるのに元気だけは有り余ってる感じに嫌みが全く感じられず、この女優さんはうまいなぁと感心した。なんかもう女友達に助けてやんなきゃ心を起こさせるツボを非常に心得た演技で(『紳士は金髪がお好き』のマリリン・モンローに近い)、クィックリーのおかみさんが何くれとなく世話を焼いてやるのも当然って感じだった。シェイクスピアについて初めて本格的な批評を書いた作家で、17世紀きってのインテリ女性であったマーガレット・キャヴェンディシュが批評でこのドルの描き方を褒めてて、私はなんでキャヴェンディシュはドルが好きだったのか全然わからなかったのだが、この芝居を見てああこういうことかーとなんとなくわかった気がした。


 なお、もう一つこの芝居で気になったのは、原作にはあるエピローグがこの演出ではなかったことである。もとの『ヘンリー四世』第二部では、おそらく踊りかなんか踊った後に役者が出てきて「続編ヘンリー五世ありますよー。ご婦人方乞うご期待!」みたいなことを言うのだが、この演出では踊りを踊った後お客さんがフォルスタッフに拍手をあびせてこれでおしまいとなり、エピローグは省略されていた。エピローグはご婦人方に人気のあるような若い役者が出てきて言ったのではないかという説もあるのだが、今シーズンのグローブ座では『ヘンリー五世』はやらないわけだし、ご婦人方に人気のある少年俳優が出ているというわけでもない。どうやらイギリス・ルネサンスの舞台ではエピローグはTPOにあわせて変更されたりなくなったりしていたらしいので、この判断は適切なんじゃないかと思う。