クリストファー・ノーランが神話っぽくなってるような気がした『インセプション』と、クルーニーのヒッピーヘアが楽しめる『ヤギと男と男と壁と』

 『インセプション』と『ヤギと男と男と壁と』を見てきた。


 『インセプション』は話は複雑なのだが、つくりとしてはかなりオーソドックスなSFだったような気がする。まああらすじはいたるところに転がっているから書かないけど、なんか話の基本的な骨子が『オデュッセイア』にそっくりで、クリストファー・ノーランって『ダークナイト』にせよこれにせよ非常に神話とかを意識した脚本作りをしているような気がした。


 基本、『インセプション』は『オデュッセイア』と同じで「男が自分のクルーをつれて妻のいるはずの故郷へ帰る」話なのだが、主人公のコブ(ディカプリオ)は古代のオデュッセウスと違って寡夫であるというところが21世紀ふうなひねり。コブは妻モルの死に責任を感じており、妻と暮らした家へ戻ろうとして夢の中を旅するのだが、現実世界では既に妻は亡くなっており、コブが行う旅は妻のいない家、不在の中心への旅ということになる。家に帰ればペネロペイアがいるとはずだと思っていたオデュッセウスの話に比べるとあまり救いのない内容である。 
 またまたひねってあるところは、コブが「かつて妻と暮らした家」に帰る邪魔をするもの(つまりはオデュッセウスが帰る途中に遭遇する苦難に相当するもの)が全部「生前の妻の幻影」であるということである。スキュレとカリュブディスのかわりに妻と昔話した列車が夢の中に出てきて進路を妨害し、最後の夢では妻の幻影自身が「現実に帰らないで!」とまるでキルケかサイレンのようなふるまいをする。そんなわけで引きとめられてしまったコブは潜在意識の深みに落っこちてしまうのだが、その後コブが打ち上げられたのが浜辺だっていうのは非常にオデュッセイアのサイレン挿話を思わせるところがあるなと思った。サイレンは美しい歌声で旅人を惑わせて難破・座礁させるのだが、オデュッセウスは自分だけはサイレンの歌を聴きたいからということで、他のクルーには耳栓をさせ、自分だけは耳栓なしで体を柱に縛り付けさせてサイレンの島の近海を無事通過する。コブはクルーをサイレンの歌声から守ることはできたのだが、オデュッセウスと違って自分だけは難破してしまった…ということだと思う。
 あと、エレン・ペイジ演じる建築家のアリアドネはまあそもそも名前からして神話的なのだが、非常に強い「導きの乙女」で、この映画では迷宮を管理するアリアドネ+オデュッセウスを導くナウシカア的な役柄になっていると思う(夢から覚める場面でアリアドネの靴のかかとがうつるのを見て『オズの魔法使い』を思いだしたんだけど…あまり直接的な言及ではないけど、なんとなくノーランは『オズ』もすきそうだなって気がした)。


 そんなわけで、神話とかに沿ったオーソドックスで客が共感しやすい話の作りを基本にそこにいろいろ細かいひねりを加えるというふうに脚本段階で気をつけているからこの映画は見ていてそこまで意味不明じゃないしディテールが難しくても面白いのでは…と思ったのだが、ノーランって『メメント』とかの頃からひょっとしてそうなのか?『メメント』とか見てないんだけど、『ダークナイト』もなんか神話っぽい話だったよね。


 あと、記憶をテーマにしているということで、出演者の過去作に言及する場面が多かったのが結構個人的には面白かった。最初のモル(まだコブの亡き妻だと説明されていない)が飛び込むとか飛び込まないとか言うところは『タイタニック』だろうし、途中でホテルの部屋が垂直になって人が落ちていくところもたぶんタイタニックの沈没場面へのオマージュだろう。あと、モル役がピアフの伝記映画でスターになったマリオン・コティヤール(この映画はみんな芸達者で芝居はとてもよかったのだが、コティヤールは普段の数倍妖艶に見えて女優さんはバケモノだと…)なのだが、クルーが夢から目覚めるときの音楽がピアフだっていうのもなかなか気が利いてるなと思った。

 もうひとつだけいっとくと、ジョゼフ・ゴードン・レーヴィットはすごくカッコよかった。エレヴェータを墜落させる場面の、アステアのダンスみたいな無重力アクションは非常にセクシー。『恋のから騒ぎ』の頃から注目していた私としてはとても嬉しい。




 その後『ヤギと男と男と壁と』を見てきたのだが、これは手に汗握る『インセプション』に比べるとちょっと見劣りした…ものの、とにかくヘンな話だった。かつてアメリカ軍の超能力部隊に所属していたヒッピー兵士ジョージ・クルーニー(すんごいカウンターカルチャーっぽい長髪!)に記者のユアン・マクレガーが取材するという話なのだが、超能力部隊ってほんとに昔アメリカ軍にあったのだとか…まあアメリカ軍だからな…