社会のゴキブリが金持ちからかすめとって何の問題があろうか、いや全くない(反語)〜カリグラしのさえっちによる『借りぐらしのアリエッティ』評(ネタバレあり)

 id:nikubetaさんと@tsunomykrsさんとお台場で『借りぐらしのアリエッティ』を見てきた。男子諸君はロリコン批評で盛り上がっていたのだが、私はどこがロリータ的なのかよくわからなかった上、正直植物と食い物とクリップ型ヘアバンドの描写ばかり気になっていてあまり理解できず。まあアニメとヤクザ映画は守備範囲外なので…


 しかしながら何も書かないわけにもいかないし、なんとなく私はこの映画は好きだなと思ったので、どうして好きだと思ったのかちょっとよく考えて書いてみようと思う。たぶん私がこの映画は好きだと思ったのは、この映画は持たざる者が持てる者からかすめとるのを全肯定しているからだろうと思う。


 主人公のアリエッティは手のひらサイズの14歳の小人の女の子でめんこいのだが、騙されちゃあいかん生態はゴキブリと同じである。アリエッティは両親と一緒に田舎にある大きな家の地下に住んでそこからいろんなものをかすめとってくることで暮らしている。一方、家の床上に住んでいる大きい人間は家主であるおばさん、家政婦(声が樹木希林。徹頭徹尾樹木希林なキャラである)、心臓の手術前に療養のため預けられた少年の翔の三人である。このうち、おばさんは昔から家に小人がいるという話があることを知っており、どうやら本当に小人がすんでたらいいな〜とか漠然と思ってるらしい。翔は小人のアリエッティを見つけて以来、大きさ甲斐もなくアリエッティに惚れている(こいつがかなり変態的であることは一緒に見に行った三人とも意見が一致した。アリエッティがのっていた葉っぱを顔にのっけて昼寝したりする!!)。きりん家政婦はどうやら翔が小人と接触しているらしいことに勘づき、小人を捕まえようときりん視眈々と狙いはじめる。


 しかしながらこのお話は「床下に住んでるドロボーは出てけ!そんなのダメだ!」などという展開にはならないのであり、借りぐらしの小人たちを翔がきりん家政婦から守って無事逃がしてやるというオチになる。結局引っ越さなければならなくなるというあたりがペシミスティックではあるのだが、アリエッティが野原かなんかで一人で暮らしている別の小人の男の子スピラー(なんと藤原竜也)に助けてもらいつつ引っ越していくラストは明るい感じ。翔はこのあと心臓の手術で死ぬかもしれんが(アリエッティを助けるためにいろいろ走りまわってかなり心臓に負担がかかった)、アリエッティは前の男と別れて一時間後くらいにはワイルドで生活力のある新しい彼氏(もういっぺん言うが、藤原竜也)を見つけるということで、アリエッティもなかなかにマテリアルガールである。翔もスピラーもアリエッティの気を引くために甘いものを贈るっていうのもなかなか「男の子の考えることは同じです」ふうでいいのだが、翔は白い角砂糖(精錬された加工食品=文明)、スピラーは赤いクワの実(野生の果実)を贈るということで、ちゃんと描き分けがしてある(たぶんこれも私が『アリエッティ』のほうが『ポニョ』より10倍くらい面白いと思った理由のひとつ。『アリエッティ』は子供時代の愛は続かないとか、愛があってもやすやすと文化の壁を乗り越えることはできないとか、いろいろ現実的なところが強調されていると思うが、『ポニョ』は全く文化の違うガキ二人がやすやすと壁を乗り越えて永遠の愛を誓うんだから救いようがない)。


 と、いうわけで、『アリエッティ』の恋愛描写は非常に現実的なのだが、さらにこの映画を恋愛のみならず経済についても現実に即した感じで見てみようと思う。と、いうわけで、下のような見立てはどうか?

※上に行くほど所得が多い

おばさん(リッチな上流階級、初老、チャリティで支援はするが貧困層の生活に関する知識がたくさんあるわけではない)
  
翔(貧困層を支援しようとする若く理想に燃えるボランティア、貧困層の実態について学ぼうと努力するが世間知らずで実際に貧困層から「仲間」と認められることはない)
  
きりん家政婦(下層中流階級の老人、勤勉で貧困層に一番冷たい) 
  
借りぐらしの小人たち(最貧困層、上流階級から金をくすねて暮らしている)


 ええっとなんか床下の小人のファンタジーワールドがいきなり生き馬の目を抜く現代のグローバル資本主義社会になったが、この映画では借りぐらしの小人たちをドロボー呼ばわりするきりん家政婦は悪者としてコテンパンに笑い物にされ、自分より貧しいものの足を引っ張るのはダメなんだ、ということが示される。一方、小人たちがちょっとくらいものをとってってもあまり気にしていないらしいおばさんはそこまで非難されていない…と思うのだが、そうはいっても一度も小人を見たことがないらしいおばさんは鈍いっちゃ鈍いキャラである。そして翔は世間知らずで良かれと思ってやったことのせいで小人たちを追い出してしまうということになってしまうのだが、小人と関わろうとする意思自体は悪くないというような描き方になっている。


 …と、いうわけで、私見ではこの映画のメッセージというのは、「上流階級は鈍くて結構。金のない奴はどんどん鈍い上流階級からかすめとってやろう。たとえ実を結ばなくても立場の弱い奴を支援する意欲は称賛すべきことだよ」という大変心温まるものであったのかもしれない…と思う(?!?!)。なんかこれ、すごい政治的で現代日本の社会状況に即した映画なんじゃないか?


 たぶんこんなわけで私はこの映画が好きだと思ったんじゃないかと推測するのだが、正直この映画をこのように解釈する人がいるとはあまり思えない。と、いうことで、最後にもうちょっと皆さんにも理解して頂けそうなポイントをいくつか指摘して終りに…

・翔がベッドで読んでる本はダンテの『神曲』じゃないか?"la Divine"というタイトルが見えた。アリエッティベアトリーチェ?!
・洗剤のジョイとアオハタのジャムが登場していた気がする。
・クリップ型ヘアバンドめんこい。私もほしい。
・翔がアリエッティにプレゼントする花、あれはまさかケシ?バラだと大きさがあわなくないか?