非常に文化依存度が高いコメディ『ゾンビランド』〜ベティ・デイヴィスとトウィンキー

 『ゾンビランド』を見てきた。なんと開始時間を『みつばちハッチ』と間違っていたせいで危うく見れなくなるとこだったのだが、無事レイトショーで鑑賞。劇場は非常に混んでたし、上映後に拍手が起きたし、私は面白かったのだが、正直日本でウケるのかはちょっとよくわからない。というのも、アメリカ人だと結構ふつうにわかりそうだが、日本人だとアメリカ映画をかなり見てないとわからないであろうギャグが多いからである。


 とりあえず『ゾンビランド』はよくあるゾンビコメディである(ゾンビコメディが「よくある」のかとかいう話はまあちょっと置いといて…)。北アメリカで人間が全部ゾンビになり、生き残った童貞の大学生コロンバス(もちろん主役。生き残るため32のルールを作って守っている)、ゾンビキラーの冒険野郎タラハシー(ウディ・ハレルソン)、詐欺師の姉妹ウィチタとリトルロック(妹がアビゲイル・ブレスリン!)の四人が、ゾンビから身を守りつつ、ゾンビがいないという噂があるパシフィックランドという遊園地まで逃げるというものである。途中でゾンビがいっぱい死ぬ以外はまあでこぼこ四人のやじきた道中のようなものだ(???)。最後はコロンバスがウィチタとデキておしまい。


 基本コメディなのでいろいろおかしいのだが、ギャグがいちいち「ご当地ネタ」なので、字幕にもうひと工夫ほしかった気がする。例えばコロンバスの「生き残るためのルール」に入っている"Fasten your seatbelts. This is goint to be a bumpy ride"「シートベルトをしめて。荒っぽい道のりになるよ」は、『イヴの総て』という映画でベティ・デイヴィスが言う超有名セリフである。あとセリフにイーヴル・クニーヴルとかいろいろアメリカのご当地ネタが出てきて、日本人にはあまりわかりやすくない。 


 一番わかりにくいと思ったのは「トウィンキー」ネタである。タラハシーが「トウィンキー」中毒で、行く先々で「失われた文明の象徴」的な位置づけになっているトウィンキーを探すのだが、なんか日本語字幕ではトウィンキーが何なのか最後までさっぱりわからないようになっている(一緒に行った人は後半までなんだかわからなかったらしい。漠然と食べ物であろうとは思ったようだが…)。トウィンキーというのはクリームケーキサンドみたいなジャンクなお菓子で、アメリカでは大変有名なおやつである(あまりにもあやしい感じなので私自身は食べたことがないのだが)。ハーヴェイ・ミルクを暗殺したダン・ホワイトが裁判で「トウィンキーの食いすぎ」による減刑を主張したとかいう話があるくらいで(詳細はちょっとややこしい話なのでこちらを参照)、アメリカではやみつきになるジャンク菓子の定番のように言われているらしい(日本で言うならハッピーターンとかああいう感じ。ゴーストタウン化した街で文明の名残としてのハッピーターンを探す男…)。これ、最初の日本語字幕でタラハシーが「トウィンキーを探す」というんだけど、これたぶんアメリカ人ならきいた瞬間にわかると思うのだが、日本語字幕では「トウィンキーのケーキサンドを探す」とかにしないとわからないんじゃないのかな…まさか字幕を作った人がトウィンキーを知らないってことはないと思うのだが、いくらなんでも字幕が不親切すぎだろう。コワモテの詐欺師がジャンクフードのトウィンキーを「文明の象徴」として血眼で探し回るというのはなかなか面白いネタだと思ったので、字幕の不親切ぶりが残念なところである。



 …しかしながら、私はこういう外国人にはわかりにくいローカルネタ満載のコメディのほうがいかにも「世界向け」のビッグバジェットムービーより全然面白いし志が高いと思う。映画を面白くするのはディテールだと思うのだが、地元のおやつとかそういうもんをうまく取り入れると、どんな荒唐無稽な話でもなんかちょっとリアルに見えてくるところがある。そんなわけで、私はご当地コメディとしての『ゾンビランド』を非常に高く評価したいのだが…まあでも一般人にはすすめられないなぁ。



 あと、私が最近非常に気になっているのは、ゾンビ映画と吸血鬼映画の観客のすみ分けである。ここのところゾンビも吸血鬼も寝る間もないくらいの勢いで映画出演しているが、『ゾンビランド』を見る人は『トワイライト』シリーズとか見ないかもと思うんだよね…どっちもアメリカのご当地ものであることには間違いないと思うのだが(『トワイライト』なんて吸血鬼が野球する!)、なんというかゾンビものと吸血鬼ものだとエロティシズムの表現が格段に違っていて、そのあたりが客のすみ分けに関係ある気がする。ゾンビだとなんかきもちわるいゾンビが襲ってきて人間を食い荒らすだけなので全然セクシーとかいう話にならないし、美男美女のゾンビとかいても全然しょうがないのだが、吸血鬼ものだと噛みつくところが露骨にセックスを暗示する表現になることが多いので、吸血鬼役に美男美女を起用しようとかいうことになる。私の仮説ではゾンビ映画の客には男が多く、吸血鬼映画の客には女が多いのだが、このへんについてはもっと考える必要があるかも。