オールドヴィック座、ノエル・カワード作『生活の設計』(Design for Living)

 初めてノエル・カワードの芝居を見てきた。オールドヴィックでやってた『生活の設計』である。

 これは大変有名な戯曲でエルンスト・ルビッチが脚色して映画化してるのだが、映画は未見。カレッジにDVDがあれば予習していこうと思ったのだが、うちのカレッジはルビッチの映画を全然持ってなくて予習できなかった。


 とりあえず、台詞が多いらしいというので字幕つきの回のチケットをとったんだけど、なんか安い席だったはずが一階ど真ん中のやたら字幕が見づらい席(字幕がほぼ真上)に移動させられてしまい、字幕を見るだけで首が痛くなった。またまた台詞の量が聞きしにまさる多さで、知らない単語(30年代のスラング?)をたくさん含んだ会話がすごい勢いで進むので字幕があってもわからんくらいのレベル。その上、なんか私途中で気持ちが悪くなって一時期意識を失っていたので、ちょっと芝居が全部ちゃんと理解できたかは極めてあやしい感じ(そういえば以前ソーホーシアターでも一度気持ち悪くなって寝ちゃったんだけど、一年に一回くらいは芝居で気持ちが悪くなるジンクスでもあるんだろうか?)。


 とはいえ一応芝居の内容を解説しておくと、これは30年代の話とは思えないような過激な話である。第一幕はパリで、ヒロインのギルダが画商で年増のアーネストと話すところから始まるのだが、結局ギルダはこの幕の最後で画家で内縁関係にあったオットーを捨て、オットーの親友で久しぶりにパリに帰ってきた劇作家レオとくっついてしまう。第二幕はロンドンなのだが、今度はギルダはレオを捨ててオットーと浮気し、さらにアーネストと逃げてしまう。第三幕はニューヨークなのだが、ギルダは今度は夫になっていたアーネストを捨てて、久しぶりに会ったレオとオットー(ゲイカップルっぽくなってる)のもとに走ってしまう。男二人、女一人の楽しい一妻多夫ライフの始まりらしいところでこの劇は終わり。

 
 とにかくこの芝居が面白いのは、主要男性人物全員と関係し、最後は一妻多夫ライフを始めるギルダがとても生き生きとした女性として描かれているところである。自分の"femininity"について非常に自覚的なギルダ(台詞で自分がfeminineだとしょっちゅう言ってる)は大変なbitchだと思うのだが、変に誇張されたり美化されたりしてなくて、しゃべっている台詞自体はかなり現実離れしたウィットに富んでいるにもかかわらず、結構そこらへんにいてもおかしくないような感じの女性になっている。

 ただ、これはあくまでも私の好みだが、少なくとも最初の二幕では、ギルダの「女らしさ」をもうちょっとドラァグというか「意識的なわざとらしい女らしさ」に作って、第三幕の勤勉な職業婦人でかつ良妻な感じのギルダと対比させたほうがメリハリが出て良かったんじゃないかと思う。なんか内容の過激さのわりに登場人物がみんな結構「ちゃんとした人」として作られてたんだけど、もっとはっちゃけたほうがいいんじゃないのかな…


 もっとはっちゃけたほうがいいと思った理由のひとつとしては、この芝居がとにかく長いというのがある。3時間の芝居で休憩が二回あるのだが、なんというかシェイクスピアの芝居みたいにめまぐるしい場面転換があるわけじゃなく、三、四人の人がひたすらすごい勢いでしゃべってるだけだから見ていてかなり疲れるのである。台詞と身振りで笑わせるところはしっかり笑わせていたのでそのへんはいいのだが(とくに第二幕でレオとオットーがギルダの家出を嘆いて泥酔するところは爆笑)、この長さでこの内容(性愛とモラルに関する会話劇)だと視覚的にもっとハッタリをかましてメリハリをつけたほうが客が飽きないんじゃないかな…


 …あとね、ひとつ謙虚なる提案をしてみたいんだけど、このヒロインの名前ってギルダだから、ひとつ『ギルダ』のリタ・ヘイワースそっくりに作ってみるってのはどうかな?戯曲は30年代のもので、映画は40年代のもの(つまりたぶん全く関係ない)から完全なアナクロニズムなんだけど、『生活の設計』はすごくゲイカルチャーの影響を受けた作品だと思うし、リタ・ヘイワースはゲイにとても人気あるらしいから、『ギルダ』に対してわざとらしい言及を示したりするのもいいかもって思った。


 なんというか、戯曲自体は全く古くなってないと思ったんだけど、演出にはまだまだ工夫の余地があるような感じだったと思う。しかし、ノエル・カワードって日本でやるのは難しそうだなぁ…あれだけ台詞が多いとうまく翻訳するのも大変だろうし、役者のほうでもすっと入ってこない台詞が多くてやりにくいんじゃないだろうか。