これは美談ではない〜『英国王のスピーチ』(ネタバレ注意)

 『英国王のスピーチ』を見てきた。

 すぐ日本公開も始まるらしいのでストーリーはテキトーにしか書かないが、主人公は英国女王エリザベス二世の今は亡き父であるジョージ六世(即位前はヨーク公、愛称バーティ)。ジョージは病弱で重度の吃音があり、公務でうまくスピーチができないため、妻エリザベスのすすめでスピーチセラピストであるライオネル・ローグの治療を受けることにする。ところが兄貴であるエドワード八世(即位前はウェールズ公、愛称デイヴィッド)が離婚経験のあるアメリカ女性ウォリス・シンプソンと結婚し、スキャンダルの責任をとって退位したためジョージが即位することに。しかしながら時代は既にラジオの時代に入っており、ドイツでは演説で国民を扇動するヒトラーが頭角を現していた。ジョージは吃音を克服し、演説で国民の信頼を得ることができるのか…というお話。

 とにかくよくできた映画である。ジョージ役のコリン・ファースが、いつもの色気と魅力的なダーシーしゃべり(?)を完全に封印して、とことん冴えない男(誠実で家庭的だがかなり精神が不安定)であるジョージ六世を演じている。ファースはそこまで好きなタイプの男優ではないのだが、複雑に枯れた色気をうまくにじみ出させていた『シングルマン』のあとにこれとはやっぱりすごい役者だなぁと思った。ジョージ六世を支えるしっかり者のエリザベス王妃を演じたヘレナ・ボナム=カーターも、ライオネル役のジェフリー・ラッシュ(地味な顔なのに顔の筋肉をすごく表情豊かに使うのでものすごく人を惹きつける感じがする)も非常によく役にはまっている(言っちゃ悪いが、この二人は久しぶりに「本領発揮」っていう感じ。ここんとここの二人とも実力に比して目をつぶっててもできる程度の役柄ばかりやってない?)。

 脚本も非常にちゃんとしてて、失敗した演説で始まって成功した演説で終わるという綺麗な構成といい、自信を完全に喪失している冴えない男が自分の恐怖に向かい合い、最後は自信を持って仕事できるようになるという筋といい、大変わかりやすく面白い作品になっている。シリアスな映画なのだが笑いも適度にあり、ライオネルに"Fワードは知ってます?"と言われてジョージが"Fornicationかい?"とトボけるあたりとかはおかしい。あと、ライオネルは実は売れない役者からスピーチセラピストに転身したという前歴があり、今でも芝居に未練があるという設定で、ジョージを治療することにより自分のほうもセラピストとしての仕事に対する誇りが深まっていくというあたり、本当に脚本をよく考えてるよなぁ…

 と、いうことで、映画としては大変面白いし、演劇や医療に興味のある人は是非見るといいと思うのだが、ちょっと考えさせられた点がふたつあるので下に書こうと思う。
 
 まずひとつめだが、これを見た観客が吃音は全部ジョージ六世のような精神的な原因によるものであると思いこんだら困るだろうということである(まあこの映画があまりにもよくできていてリアルだということもあるのだが)。ジョージ六世の吃音は父や乳母から受けた虐待や兄のいじめなど劣悪な家庭環境、左利きを無理矢理右利きにされたことなど精神的なことが原因だという描き方になっており、まあそういう人もいるのだろうが吃音の原因ってたぶんもっといろいろあるだろう。器質的なことだったり、投薬などが必要な人もいるんだろうし、パンフレットとか作る際は誤解がないようそういうのを考慮したほうがいいと思う。

 ふたつめだが、これって実は身分制度による悲劇であって、全然美談とかじゃないだろうということである。ライオネルが身分を隠してやってきたエリザベスに「お連れ合いがそんなに向かない仕事をされてるんなら仕事を変えたらどうです」とか言うところがあるのだが、本来、ジョージ六世は平民に生まれれば人と話さなくてもよい事務仕事につくとか、あるいは主夫になって子供の世話をしながらゆっくり治療するとか、まあ焦って吃音を治さなくてもいいような環境を作って暮らすことだってできたはずである。ところが王家に生まれたので「人と話さない仕事につく」という選択肢がない。つまりこれは身分制度のせいで全く向かない仕事でも頑張らねばならないという運命を甘受する人を描いた悲劇でもあって、見ていて「頑張って克服しました!」というハッピーエンドのサクセスストーリーとはとうてい思えなかった。ジョージ六世は過労がたたって早くに亡くなったらしいので、なんというかこういうのを見ていると身分制度というのは低い身分の者だけではなく高い身分の者にとっても不幸だなと思ってしまう。


 …まあそんなわけで面白いだけじゃなく深く考えさせられる映画であるわけだが、これで終わると辛気くさいのでマニアックな面白ポイントを最後にこれまたふたつ指摘しておく。ひとつめだが、この映画のウィンザーエドワードと妻のウォリスはおそらくウェールズ公チャールズと妻であるコーンウォール公爵夫人カミラを風刺していて、映画を作った人たちのカミラ嫌いがかなり読み取れる。話の流れからすると、もっとエドワードをすごくハンサムでチャラい奴に、ウォリスをケバいお色気熟女にして、「派手な美男美女に地味だが家庭的なジョージ夫妻の夫婦愛が勝った」っていう筋にしたほうが面白いと思うのだが、この映画に出てくるエドワードはそこまでチャラくなくてやたらウォリスと結婚したがる以外非常に嫌な奴、ウォリスはブサイクなのに露出度が高い浮気な女性、その上二人とも親ナチスということで、なんか大変悪く描かれている。これはチャールズとカミラを良く言いたくないというイギリスの観客(そうでない人もいるだろうがカミラは人気ないしねぇ…)の気持ちを代弁しているに違いない…

 もうひとつはやたらライオネルがシェイクスピアの台詞を引用すること。ヨーク公ジョージに会ったあとで『リチャード三世』の「ヨークの三人の息子」の台詞でオーディションを受けて失敗するところとか、子供たちをシェイクスピアごっこをして遊ぶところとか(息子が「スコットランドの芝居(=『マクベス』)じゃないのー」とか予想してるところにライオネルがキャリバンの真似で登場)、シェイクスピアネタが非常に多い。あと、ジョージが練習のためにハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」の独白を朗読するところは、明らかにジョージ本人の王としての責任を暗示する場面になっていてなかなか面白い。

 まあ、こんなわけで全方位楽しめる映画なので、とにかくオススメではある。