ロイヤルアルバートホール『蝶々夫人』〜アメリカ人が北アメリカ以外でセックスするのを禁止すべきである(少なくともフィクションではな!)

 初めてロイヤルアルバートホールに行って『蝶々夫人』を見た。

 まあお話は誰でも知ってると思うが、これは世紀転換期の長崎が舞台。15歳の美しい芸妓、蝶々さんはアメリカ士官ピンカートンの現地妻になり仲睦まじく暮らしていたが、ピンカートンはまた戻ってくるよと言ってアメリカに帰ってしまう。ピンカートンを一途に愛している蝶々さんは息子を育てながら夫の帰りを待つが、数年後に帰ってきたピンカートンはアメリカで結婚した正妻を連れていた。ピンカートンは蝶々さんの人生をめちゃくちゃにしたことを後悔してはいるものの、子供だけは引き取って帰り、正妻と自分の手元で育てようとする。これを知った蝶々さんは子供の幸せのため身をひき、自害する…というどうしようもない悲惨な話である。

 セットはこんな感じで、かなり手が込んでいてきれい。しっかり日本ふう。




 音響装置?

 はっきり言って、音響はかなり悪かったな…どうも天井にあるこの音響装置か何かにつけたマイクで声を拾っているようなのだが、朗々としたオペラ声をあれだけデカい箱で電気的に増幅するとなんかすごくヘンだし、息をすう音とかまで拾っちゃって耳障り。なぜマイク使ったんだ?音楽じたいは非常にドラマティックでわかりやすいし、歌も素人耳には上手だったと思うんだけど、音響はズブの素人でもちょっとねぇ…っていう感じだった。

 あと、イタリア語で英語字幕がつくんだと思ってたら英語で歌って字幕がつかないということで、大いなる勘違い。もともとオペラが聞き取れるわけないので(日本語の歌曲とかだってオペラ声で歌われると全部は聞き取れないのに英語なんて無理)、レチタティーヴォだけちょっと聞き取ってあとはあらすじを読んで耐えた…のだが、なんか音響が悪すぎてネイティヴでもあまり聞き取れなかったらしい。字幕つけようよ!
 
 で、話のほうなのだが、まあ、そのう、こういうアメリカ人が世界中に出かけて行って好き勝手して現地人に迷惑をかけまくるという舞台や映画はたくさんあるけど、見るたびにアメリカ人が北アメリカ以外でセックスするのを禁止すべきだという気になるな!それは本当に蝶々さんはかわいそうだし、オペラ自体の作りもとても叙情的で演出も客の同情を自然にヒロインに持っていくような作り方になっているのだが、ちょっとこれだけ植民地主義的なテーマを扱っているのにあまりにも単純なメロドラマっぽくなっててどうなのかな…という気がした。「心の美しい蝶々さんのおかげで身勝手なピンカートンが愛を知りました」という話なのだが、ピンカートンはこれだけいやなアメリカ人なんだからもっとダークで風刺的な演出にしたほうがいいんじゃないかと思うのだが。例えば蝶々さんは若干15歳で現代日本なら女子高生なんだから、いかにもな着物の美女じゃなく、ゴスロリでキティちゃんとかつけまくった拒食症気味のギャルにして、ピンカートンには海兵隊の制服を着せたらいかが?それでピンカートンの正妻はデブとグラマーの境界あたりに位置する半裸の脱色ブロンドにするとか…(←このまま妄想するとうちの反米主義が丸出しになりそうなのでこのへんでやめておく)。