英国共感覚協会大会2011一日目

 英国共感覚協会大会に参加した。とりあえずはイーストロンドン大まで一時間もかかるので早起きしたところ、なんとセントラルラインがとまっていることが判明。バスと地下鉄を乗り継いで慌ててストラットフォードのイーストロンドン大に向かう。

 一日目は、まず言葉に味を感じる男、ジェームズ・ウォナトンの挨拶から開始。朝一番のセッションは脳科学で、fMRIを用いたなんとかかんとかとか脳のV4/V8がなんとかとか正直わからんことばっかり…その上次のセッションでスピーチすることになっていて緊張していたのでいったい何の話をしていたか全然覚えてない。

 ふたつめのセッションは芸術研究のセッションで、まず私の発表。内容は以前に表象文化論学会でやったものにちょっと新情報を付け足しただけで、日本のフィクションにおいて共感覚者の描写が結構めちゃくちゃだという内容のものだったのだが、なんてったって脳科学者やら心理学者ばかりのところで話すのは初めてなので何度も口ごもったり言い直したりして20分きっかりで終わるはずの原稿が22分もかかってしまった…その上、質疑応答の時、パット・ダフィが数年前にアメリカの共感覚大会で発表した同じテーマ(ただしアメリカ文学が対象)の論文が去年の末に出てたのを知らなかったことに気付き(質問者に教えてもらった)、真っ青に(Cortexに載ったらしいのだが、Cortexなんて一度も見たことないよ!)。しかし反応は結構よくて、あとからメールで情報を送ってくれという人もちらほら。
 一つ気になった質問は、「日本ではフィクションにおいて共感覚者のことがよく理解されておらず、病気に近いものとして描かれているようだが、これは日本では文化的に人と違う人に対するしめつけが厳しいからではないか?」というもの。なんというかそういう質問にはちょっとオリエンタリズム的なものを感じたので、「そういうところもあるかもしれないが、とりあえず日本では脳科学に関するものが非常によく売れていて、流行にのりたい人たちが中途半端な理解で脳科学についての本を書きたがるのが一番の原因だと思います」というようなことを答えておいた。

 そのあとの発表二つは第一次世界大戦時の戦争詩人が用いる共感覚的表現と、共感覚のある作曲家についてのものだった。どっちも面白かったが、戦争詩人の共感覚表現はちょっと非常に痛々しく切実でトラウマのあとの幻覚に近いようなものばかりで、共感覚者がふだん感じているような「日常のおまけ」みたいな共感覚とはかなり異質なものだと感じたな…もちろん詩として圧倒的に力があることは否定できないが。

 昼ご飯の最中にポスターセッションがあったのだが、ポスターセッションは玉石混淆って感じかな…素人にはわからないような実験系のものも多い一方(ナンバーフォームズのポスターとか、正直何を言いたいのかわからず…)、アスペルガー症の人はそうでない人の三倍くらいの度合いで共感覚を持っているという実験のポスターがすごく面白かった。

 昼のセッションは主に言語学系の研究発表で、共感覚研究では有名なシムナーが中国語話者の共感覚について発表してたのだが、これは大変面白かった。しかし研究発表は漢字をまるっきり一から解説するとこから始まるもので、漢字を使う日本語話者には当たり前と思えるようなことでもローマンアルファベットを使う人にはピンとこないとこもあるんだなと思った(とくに、発音が同じ漢字でも色が全く違うということを知って聴衆が驚いていたのだが、日本語話者の共感覚者からするとそんなん当たり前だろと…)。あと、シムナーって女だったんだな!Jools Simnerだから男だと思ってたのだが、JoolsはJuliaの愛称で男名前のJulesとは違うんだって。知らなかった…

 夕方のセッションは共感覚者のアーティスト、ティモシー・B・レイデンによる自分のアートプロジェクトの発表と、19世紀の共感覚の報告についての科学史っぽい発表のふたつ。そのあとに基調講演があって、夜はワインセッションとディナー。

 ディナーは近くのエドワード7世というパブレストランであったのだが、味は悪くないんだけどとにかく量が多くてしかも出てくるのが遅い…みんな最後に食べ終わるまでにへとへとになっていた。

 しかし、周りの人たちとかなり情報交換できたのはよかった。隣にスペイン人の趣味がダンスと俳句(!)という超美人の脳科学者が座ってて、いろいろ俳句の話なんかをふられたのでどぎまぎした。隣に美人が座ると落ち着かないという男性の気持ちがわかったよ!

 なお、共感覚大会最中に部分的にツイッターでツダりを試みたのだが、一日目は慣れてないのもありうまくいかなかった…