ゲイト座『エレクトラ』〜ギリシア悲劇の翻案

 人気のあるオフウェストエンドの劇場、ゲイト座で『エレクトラ』を見てきた。ソフォクレスギリシア悲劇の翻案で、ニック・ペインが書き直したもの(ギリシャ悲劇の場合、アカデミックエディションの翻訳はどうやら上演用にとしてはほとんど使用されてないみたい)。悪くはなかったしやっぱりソフォクレスすごいなと思ったのだが、演出にはいくつか疑問もある。


 ゲイト座には初めて行ったのだが、ここはパブの二階で60人ちょっとしか入らないような小さい劇場で、細長い長方形の部屋の長いほうの壁二面に客を座らせ、真ん中で役者が芝居をするというスタイル。たぶん客席・舞台の配置は変えられるんじゃないかと思うが、いずれにせよあまり大きい箱ではない。この上演では始終照明は暗く、スモークをたくさんたいたりして陰鬱な雰囲気を醸し出していた。

 
 演出は全体的に非常にリアリズム志向で、政治的・神話的な側面はかなりそぎ落として家庭悲劇としてぎゅっと話を凝縮させており、それはそれで成功していると思った。衣装は現代のものだし、台詞の英語も散文の現代語訳。コロスの台詞はかなりカットされており、コロスが出てきてしゃべるかわりに幼い頃のエレクトラと大人になったエレクトラが交互に歌ったりするのだが、まあそうするとギリシャ悲劇としての醍醐味はイマイチ減るけど箱の大きさと上演人数を考えればしょうがないのかという気もする。以前ローズ座で見た『アントニークレオパトラ』もそうだが、何千人も入るような箱を対象に書かれたスケールの大きい政治劇を小さい箱にうつしてそのまま上演するのって無理があるのかも。


 とりあえず役者は頑張っていて、それぞれの役柄に家庭悲劇の登場人物にふさわしい肉付けをしていると思った。クリュタイムネストラ(マデレーン・ポッター)はDVを受けてその恨みで夫を殺した母親というような解釈で演じられており、娘イフィゲネイアが殺されたことを回想する場面なんかはとくに母親らしい悲しみと憎悪がたぎっていて説得力がある。エレクトラの妹クリュソテミス(ナターシャ・ブルームフィールド)は原作ではたいした役ではなかったように思うのだが、他人をできるだけ許して辛い過去を忘れることでバラバラの家族をどうにか保とうと努力している非常にかわいそうな若い女性として演じられていると思った。最後のクリュタイムネストラ殺害の場面ではクリュソテミスが母の死体にすがりついて泣くのだが、なんというかもう非常にやりきれない場面だったな…あと、子供の頃のエレクトラを演じる子役(ヤスミン・ギャラッド)は歌も芝居も結構しっかりしていて良かった。エレクトラ(ケイス・ホワイトフィールド)も怒りをたぎらせた強い女性で悪くはないのだが、たまにちょっと動きが大げさすぎると思ったところもあったかな…


 しかしながら全体的にリアリズム志向の演出であるせいか、たまにちょっと演出が大げさというか気取りすぎているように思えた。とくにエレクトラオレステスの死の報(誤報なのだが)を聞いたショックで錯乱し、スコップを持って突然舞台の床を壊し始めるところはどうなのかね…まずスコップをものすごい勢いで床のタイルに打ち付けて割ってはがしたあと、その下にある材木をはがしてさらにはその下にある土を掘り返すという演出が採用されているのだが、とりあえず狭くて暗い舞台に土煙が充満して非常に見づらい(+煙たくて息苦しい)というのと、あとエレクトラがえんえんと穴を掘り続けるところを見るのはちょっと苦痛だったんだけど。この穴はその後にクリュタイムネストラ殺害の場面でも使われるのだが、正直うまいこと機能してたかわからんな…もっと舞台上できちんと殺害場面を見せたほうがいいのではと思ったのだが。


 そんなわけでいくつか疑問もあるのだが、全体としてはやっぱりギリシャ悲劇ってすごいなと思ったな…どうも私はギリシャ悲劇に先入観があったようで、ギリシャ悲劇っていうのはシンプルなストーリーを複雑精妙なレトリックで表現するものっていう意識があったのだが、今日の上演を見ているとむしろ複雑なストーリーをシンプルなレトリックで表現しているのかもっていう気がしてきた。まあ演出の方針もあるだろうが…しかしながらギリシャ悲劇の本格的な現代バージョンをもっと見てみたいなという気にはなったので、またどこかフリンジの劇場で上演したりする場合は見に行きたい。


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