漱石がイギリスでラファエル前派にハマって帰ってきてから100年がたちました〜森ガールはラファエル前派的人工自然か?

 昨日ちょっとテイトブリテンに行ってラファエル前派の絵画を結構見て来たのだが、今日はそれ関連でここ数日ずーっと考えてたことを書こうと思う。その考えていたことというのは、ラファエル前派のモデルが着ている服は森ガールの着ている服とそっくりだということである。

 えー、とりあえずは森ガールとラファエル前派の定義だが、

森ガール
ソーシャルネットワーキングサービスのミクシィで話題を集めている「森にいそうな女の子」についてのコミュニティ。森にいたら似合いそうな女の子について50を超す条件が示されているが、それらは「ゆるい」、「ゆったりとした」といったものが多い。たとえば「ゆるい感じのワンピースが好き」、「ニットやファーで、もこもこした帽子が好き」、「古いものに魅力を感じる」、「カメラ片手に散歩をするのが好き」といったもので、「美しい」や「きれい」というよりも「かわいい」ということに価値観が置かれている。「森ガール」コミュニティの管理人が、友人から「森にいそうな格好だね」といわれたことから始まったという。(Yahoo!新語探検より)

 ファッションとしてはレース、花柄、ゆるい感じのワンピースやチュニック、パフスリーヴ、ラウンドトゥの靴などが代表例で、「森にいそう」な感じのファッションの女性を指すらしい。

 一応何枚か画像を引っ張ってきてみたのだが(ひとさまの撮った画像ばっかなのであまりたくさんは貼れない気がする)、このような装いが標準的な森ガールだそうだ。

(日経トレンディより)


(id:Asayさんの「紺色のひと」ブログ、「森ガールにとっての『森』を考える〜「もし森」補足として」に掲載されていた、「別冊spoon.2009年03月号」p. 30の蒼井優の写真)


(同じく「紺色のひと」ブログ、"「もし森ガールがゆるゆるファッションで実際に『森』へ入ったら」"に掲載されていた森ガール写真。ただしモデルさんはガールというよりはボーイ)

 ※森ガールについては上記のブログのほか、松永英明「ライフスタイルとしての「小悪魔 ageha」と「森ガール」分析」」など、ウェブ上でもいくつか読める論考がある。


 それでラファエル前派のほうだが、これは19世紀半ばにイギリスで一大ブームになった芸術運動で、ある。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやジャン・エヴァレット・ミレイなどが結成したラファエル前兄弟団というアーティストグループを中心に展開された。この兄弟団に入っていたのはほんの数人だけなのだが、エドワード・バーン=ジョーンズやウィリアム・モリス、場合によってはジョン・ウィリアム・ウォーターハウスなども入れることがある。画風としてはジョン・ラスキンの思想の影響を強く受け、ラファエルより前の中世っぽい絵を目指すというもので、中世の伝説とかイギリスの人気のある詩、戯曲、物語なんかをモチーフにすることを描くことが多い。絵は非常に特徴があるので何枚か見ればすぐ「ラファエル前派っぽい!」とわかるのだが、ちょっと言葉では説明しづらいな…
 で、このラファエル前派はちょっと独特の女の趣味を持っており、ルネサンスとかロココふうのグラマーで健康的な美女ではなく、やせてて髪の毛が豊かで冷たい感じの美女たちにだらーっとした服を着せたところを描くのを好んでいた(←ヴィクトリア朝美術を研究している人、こんな不正確な表現でほんとごめん)。エリザベス・シダルジェーン・モリスがモデルとして有名だが、まあこんなふうな絵がほとんどである(←こっちは森ガールと違って著作権が切れてる絵がほとんどなので安心してダウンロードしまくって貼れる)。


 ミレイの「オフィーリア」。モデルはエリザベス・シダル。

 ロセッティ「プロセルピナ」。モデルはジェーン・モリス。


 ロセッティ「フィアメッタ」。モデルはマリー・スパルタリ・スティルマン。


 ロセッティ「リリス」。モデルはファニー・コーンフォース。


 ロセッティ「祝福されし乙女」。少女マンガかと思うような☆が飛んでる…


 アーサー・ヒューズの「四月の恋」

 同じくアーサー・ヒューズ「オフィーリア」。

エドワード・バーン=ジョーンズが監修した大女優エレン・テリーの舞台衣装。


 ジョン・コリアー「蝶」。


 ウィリアム・ホルマン・ハントの「シャロット姫」。テニスンの詩をモチーフにしているのだが原作には髪が逆立つという描写はなく、この絵を見たご本人はかなりおかんむりだったそうな(今でもマンガや小説を映画化した時にイメージが違うと原作者が怒ることがあるが、昔からあったんだな…)。


 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「シャロット姫」。ミレイの「オフィーリア」と並ぶテイトブリテンの看板絵画である。


 ウォーターハウスはとりわけ森ガールっぽいと思うので何枚か貼る。上から「野生の花々」「北風」「オフィーリア」「ローマ人の供物」。




 ラファエル前派には入らないが、この系統の絵として美術史上重要なジェームズ・マクニール・ホイッスラーの「白のシンフォニー第一番」。


 とりあえず袖、襟、腰回り、スカート、髪型なんかに注目して見ていただきたいのだが、パフスリーヴや薄地のスカート、ゆるい感じのワンピース、豊かなロングヘア、レース、白い色の使い方なんかが森ガールとラファエル前派モデルのファッションで共通しているところだと思う。あと、ウォーターハウスの絵なんか森を背景にしたものが非常に多く、オフィーリアの絵は真ん中を蒼井優に変えればたちまち森ガールな気がするのだが、どうだろう?


 これだけ見ていただければなんとなくわかるかと思うのだが、どれもこれもラファエル前派のモデルっていうのはものすごい神秘的な美女ぞろい。当時から"Stunners"(←これなんて訳せばいいんだろう。「生ける衝撃」とか訳せばいいの?とにかくびっくりするような美人ということ)などと呼ばれていた…のだが、こいつらは実はヴィクトリア朝としてはかなりスキャンダラスで一般受けしない服装の美女たちであった。コルセットをつけてないし、髪の毛もきちんと結わないでのばしっぱなし。ヴィクトリア朝の上流階級のオシャレな女性達はお出かけする時は必ずコルセットでばっちりウエストをしめて髪の毛もキメキメに結うのがマナーで、家族以外の男性の前でゆるゆるのドレスを着て髪ものばしっぱなしのところを見せるということはめったになかったらしい。つまりラファエル前派の女性達はかなりきわどい、もっと言えばまるで男とセックスした後かなんかのようにだらしなくふしだらに見える…と思う人もいたらしい。

 ↓コルセットをつけた女性とつけてない女性を描いたウィリアム・パウエル・フリスの絵。真ん中の女たちがコルセット。右と左がコルセットなし。右のピンクドレスの女性と話している男性はオスカー・ワイルド


  しかしながらラファエル前派の芸術家達(男だけではなく女もいた)やモデルたちは女性の体を束縛しない「自然」なファッションを好んでおり、そういうのはエステティックドレス運動と呼ばれていた(このへんすごい端折ってるので、服飾史の人が見たら噴飯ものに単純化してるかも…)。面白いのはこの運動を支援したのがラファエル前派とかもう少しあとのオスカー・ワイルドとか、今からすると全然「自然」志向には見えない芸術運動をやってた人々だということである。ラファエル前派とその後のアーツ&クラフツ運動(自然物の意匠をとりこんだ装飾美術が有名)なんかは一応自分たちは自然志向のつもりだったんだと思うのだが、今見ると女性の美にしても自然の美にしても非常に理想化されていて「人工自然」みたいに見えるし、ワイルドなんかは自覚的に「人工」志向で、「自然は芸術を模倣する」と言ってはばからない過激なセンスの持ち主であった。一方、森ガールのほうも一応「自然」志向なのだが、こちらのエントリを見てわかるように実はああいうファッションは全然自然向けではない。あくまでも都市の中で「森的なるもの」を想起させるための人工自然ファッションなのである。こっちの森ガールファッションではゆるめのコルセットに髪に結ぶスカーフ(なんていうんだ、これ)にロザリオに…というなんかすごいヴィクトリア朝ふうなファッションが復活しているが、全く非常に「人工」的なスタイルだよね。


 …で、実は私は森ガールファッションの底流にはこういうラファエル前派的な「人工自然」美の伝統があるのでは…と疑っている。少なくともラファエル前派の絵画はイギリスと日本には強い影響を及ぼしているはずで、とくに日本の場合、漱石が留学中にラファエル前派にハマって帰ってきたというのが大きい。ちょっと私には知識がなくてよくわからないのだが、少女漫画とか商業デザインの分野ではラファエル前派的なものに影響を受けているクリエイターが結構いるはずだ(このへん先行研究あるのではと思うが、一例をあげるとおばさまから小娘まで大人気の大正レトロモダンはたぶんかなりラファエル前派の影響があると思う)。そのへん、誰か研究しませんかね?

 あと、森ガールとラファエル前派をつなぐ有力なリンクとしてありそうなのがアリスである。アリスといえばヴィクトリア朝の森ガールで原作の小生意気な小娘からずいぶん美化されており、現代でもグウェン・ステファニとかアヴリル・ラヴィーンなんかがオマージュを捧げていて、国籍を問わず女性の間で絶大な人気を誇る。