オークランド(3)〜オーストラリア・ニュージーランドポピュラーカルチャー学会二日目 自分の発表と、ロリータファッション、ツイッターと伝記記述など

 学会二日目はとりあえず朝一番で発表。古典の受容のセッションで、私以外に『ドリアン・グレイ』の映画版についての発表と『トロイ』でギリシャ神話がどうアレンジされてるかについての発表があった。えーっと実は私は去年こういうセッションを表象学会でやりたかったのだが、人がまったく集まらず流れたな…

 うちの発表は'Shrew, Pygmalion, Cinderella: Popular Culture’s Homage to Shakespeare in 10 Things I Hate About You'というタイトルで、1990年代末に流行ったシェイクスピアを学園映画に翻案する潮流の話をした。主な分析対象はヒース・レジャー主演の『じゃじゃ馬ならし』の翻案映画『恋のからさわぎ』で、これとバーナード・ショーの『ピグマリオン』(『じゃじゃ馬ならし』と『シンデレラ』をもとにしている戯曲)の学園ものアダプテーション『シーズ・オール・ザット』を比較しつつ、当時アメリカの学園もので流行していたシンデレラストーリーと賭けのプロットを組み込むことで『じゃじゃ馬ならし』がどういうふうに現代ふうなロマコメ『恋のからさわぎ』に変身したかという話をした。ちょっとだけパワポをのせると、こんな感じ。


 『恋のからさわぎ』人物相関図。


 シェイクスピアを原作とする主な学園もの映画のリスト。入手できていないものもあり。

 主なシンデレラもの映画のリスト。未見もあり。

 全然しらんかったのだがポルノグラフィ版『ピグマリオン』とかも出てるらしい。スポーツもので『パットとマイク』とかを入れてもいい気がしたのだがこれはちょっと自分の趣味に走りすぎなのでやめた。あと、基本フランケンシュタイン型(どこかから女を連れてきて変身させるんじゃなく、自分で一から理想の女を作成するタイプの話。『ときめきサイエンス』とか)の話はカウントしなかった


 バーナード・ショーの『ピグマリオン』を原作とする三つの主な翻案、『マイ・フェア・レディ』(話はそのままでミュージカル版)、『プリティ・ウーマン』、『シーズ・オール・ザット』の比較スライド。これは自信作!

 発表ではほとんど触れられなかったのだが、原作の『ピグマリオン』と『マイ・フェア・レディ』はワーキングクラス→レディということで社会階級の上昇、『プリティ・ウーマン』は娼婦→リッチなビジネスマン(会社を解体して売ってるハゲタカ的な…)の妻(なのかはよくわからんが)ということで持っている財産の上昇なのだが、『シーズ・オール・ザット』はブス→美女という容姿の上昇なのがいかに1990年代末が見た目重視の時代だったかを示してる気がする。フェビアン社会主義者だったショーは原作でイングランドの階級社会を諷刺したかったはずだと思うのだが、『プリティ・ウーマン』とか全然そういう話じゃないし、『シーズ・オール・ザット』なんか持ってる資産(この場合、エロティックキャピタル)をどうやって増やすかがテーマで結構明確にポスト冷戦っぽいといえるかもしれん(ツイッターで議論した際にもネオリベ的という指摘があったが、ネオリベの定義によってはそうなのかも)。
 
 で、発表は一応うまくいった…と思うのだが、機材トラブル(このトラブルはちょっとあまりにもバカすぎる理由で起こって、私は完全に事務局のせいだと思っているのだが詳細は省略)のせいで十分も発表が中断し、ディスカッションの時間がセッション三人あわせて十分になってしまい、あまり議論ができなかった。で、「『プリティ・プリンセス』についてはどう思うか?」という質問がきたので、一応「『プリティ・プリンセス』はシンデレラものというよりハリー・ポッターと比較すべきだと思う。シンデレラものはもともと階級が低い人を成功させるという話だが、『プリティ・プリンセス』とハリー・ポッターは不遇な若者が実際は高貴な生まれだったとわかり、運命に対処しようとする話だから」的なことを答えた。


 で、私のセッションは無事終わり、このあとはゆっくり他のセッションをきいた。ファッションのセッションでは日本のロリータファッションについての発表が二つもあったのだが、最初の発表はなんかロリータファッションとかの定義が曖昧すぎて(メイドさん猫耳や、あとこれは派手目な森ガールじゃねーの?っていう写真も入っていてイマイチよくわからず)よくなかった気がする。ふたつ目の発表ははるかにゴスロリ等の定義がしっかりしていて良かった。

 あと面白かったのはライフライティングのセッションで、ツイッターを「自伝」の一種としてどうやって伝記の記述に取り込むかみたいな話をした人がいてこれは面白いなと思った。たぶんバラック・オバマが亡くなった後に伝記を書く人はツイッターのログが必要になるだろうと思うので、現代史やる人にとっては重要な問題では?例題としてオーヴァードーズで亡くなったミュージシャンのツイートを取り上げていたのだが、ああいう独り言みたいな記述を伝記に取り込むのは大変だが必要だろうと思う。