The Bee Sucks!イギリス・ルネサンス〜王政復古期における蜂の特性

 

 突然だが、昨晩から今朝にかけて、ルネサンス王政復古期における「蜂が蜜を吸う」表現をいくつか集めてみた。

ジョン・リリー『サッフォーとファオ』(1584)へのプロローグ
Where the Bee can suck no honey, she leaveth her stinge behind; and where the Bear cannot find origanum to heal his grief, he blasteth all other leaves with his breath.
「蜜が吸えないところでは、蜂は針を落としていく。痛みを癒すオリガヌムが見つからないところでは、熊は息をふきかけて全ての葉をうち飛ばす」
→このプロローグは1613年にフランシス・ボーモントの『輝けるすりこぎの騎士』にて再編集されプロローグとして再利用された。

トマス・デッカー&トマス・ミドルトン、『貞淑な娼婦』第一部(1604)←戯曲
As out of Wormwood Bees suck Hony,
As from poore clients Lawyers sirke mony,
「にがよもぎから蜂が蜜をすうように、弁護士はかわいそうな依頼人から金をすいあげる」(sirkeの意味がちょっとわからん。誤植?)

ウィリアム・シェイクスピアテンペスト』(1610年代初め)
Where the bee sucks, there suck I「蜂が吸うところで私も吸う」(V. i. 88)
→これはエアリアルの歌で、ロバート・ジョンソンという人が作ったもの。歌だけで芝居から独立して歌われていたようで、1660年に歌の本にリプリントされてる。

ジョン・デイ『蜂の議会』(1641)←これは戯曲
This Bee sucks honey from the bloomes of sin.
「この蜂は罪の花から蜜を吸う」

ジェームズ・ハウエル、Epistolae Ho-elianae (1650)
The Bee and the Spider suck honey and poison out of one Flower.
「蜂と蜘蛛は花からそれぞれ蜜と毒を吸い上げる」

ジョン・テイサム, The Distracted State (1651)←これは戯曲
As Greedily
As Bees suck sweetness from the fragrant Stock
Of Flora 's Early bounty.
「フローラの若々しい贈り物のかぐわしい宝庫から甘みを吸い上げる蜂同様に貪欲に」

バート・ボイル、Occasional Reflections upon Several Subjects(←これなんて訳すの?『いろんなことについてたまに考えてみた』とか?) (1665)
the Industrious Bee, who, without stealing from Flowers any thing that can prejudice them, does not onely gather, but improve and transform, her food.
←この本には他にも蜂についての記述がいっぱいあって蜂をやたら褒めてる。

メアリ・アステル『ご婦人方への真摯なる提案』(A Serious Proposal to the Ladies)第二部(1697)
Indeed this Living Ex Tempore which most of us are guilty of, our making no Reflections, our Gay Volatile Humour which transports us in an Instant from one thing to another, e’re we have with the Industrious Bee suck’d those Sweets it wou’d afford us, frequently renders his gracious Bounty ineffectual.

 こんだけ並べてみてよくわからんのは、蜂が蜜をすうというのはよいたとえなのか悪いたとえなのか、っていうことである。17世紀後半のボイルやアステルや蜂の勤勉さを称えているが、もうちょっと前のリリーやデッカー&ミドルトン、ジョン・デイは蜂が強欲だというような表現だよね…これって自然誌研究の発展、あるいは宗教改革と何か関係あるんだろうか?それともウェルギリウスかあるいはどっかの教父あたりの説教から持ってきてるだけ?

 あと、ジェームズ・ハウエルの「蜘蛛が毒を花から吸う」というのはイマイチよくわからないのだが、この頃の人はそういうふうに考えてたんだろうか。

 ちなみにパトリシア・スプリングボルグという研究者はメアリ・アステルシェイクスピアの『テンペスト』を見て蜂に関する文章を書いたんだと言っているのだが、蜂の歌は『テンペスト』から独立して歌われていたはずだし、そもそもそんなにテンペストアステルの蜂の文章は似てないような気がするので私はあやしい気がする。アステルは芝居が嫌いな学者だったので、ボイルを読んでたというほうがありそうだと思うのだが…