オールド・ヴィック座、サム・メンデス演出、ケヴィン・スペイシー主演『リチャード三世』〜舞台と映画の間で

 オールド・ヴィックでサム・メンデス演出、ケヴィン・スペイシー主演の『リチャード三世』を見てきた。『アメリカン・ビューティ』のコンビがまた組むということで、今年の夏の人気公演のひとつ。チケットは既に売り切れてる。スポンサーはメリルリンチとかだそうだ。スペイシーはオールド・ヴィックの芸術監督なのだが、生で舞台を見るのは初めて。

 スペイシーはアル・パチーノ主演の『リチャードを探して』でバッキンガムの役をやっているのだが、なんかこう一人の役者が年をとって同じシェイクスピアの芝居で違う役をやるようになるのを見るのは不思議な感じである。シェイクスピアの芝居だと、たぶん男優ならロミオ→ロマコメの男性主人公(オーランド、オーシーノ、ベネディック)→ハムレット→イアーゴー→オセロー、マクベス、リチャード三世→シャイロックリア王 みたいな順番でどんどん年をとった役をやるようになると思うのだが(フォルスタッフとかは半端じゃない喜劇の素養が必要なのでちょっと除く)、見る方もどんどん年をとっていくわけじゃんか?そう考えるとなんか感慨深いなぁ。


 で、スペイシーのリチャードだが、各紙の批評家が言ってるようにかなりオリヴィエの影響を受けてるし、たぶんパチーノの影響もあるだろうと思う。驚くような斬新なリチャードってわけではないのだが、先行する役者の演技をよく研究して細かいところにスペイシーらしいブラックユーモア風味を加えて個性を出そうとしてる感じ。感情表現はいつもの映画の抑えた演技とは違ってかなり芝居がかっていて激しいのだが、なんてったってシェイクスピアの芝居の中では最も芝居っけのあるリチャードの役なので、その大げさなところがピッタリ役にあっていると思った。

 そういうわけでエネルギッシュなスペイシーを見ているだけで十分楽しいのだが、ただ一つ思ったのはやはりスペイシーは舞台よりはクローズアップのある映画のほうが力を発揮できる役者なのではということである。と、いうのも、このプロダクションでスペイシーが一番生き生きして見えたのは、リチャードが舞台にいる場面じゃなくスクリーンに映される場面だったからである。バッキンガムがロンドンの市民たちを煽ったり工作したりしてリチャードを王位につかせようとする有名な場面があるのだが、もとの戯曲ではこの場面のリチャードは舞台上に2人の聖職者と出てきて(敬虔なフリをするため)、市民から捧げられる王冠をわざとらしい謙虚さで何度も断ってみせるということになっている。それがこのプロダクションではリチャードを直接舞台の上に出さず、舞台裏(おそらくはチャペルという設定)の部屋に入れ、そこにカメラを入れて舞台上のスクリーンでリチャードの反応を中継する一方、舞台上のバッキンガムが客席に仕込んだサクラの市民を煽るという演出になっている。で、このスクリーンで中継されるリチャードの反応がまあ面白いのなんの…クローズアップだと細かい表情でいろいろな感情を表現できるので、リチャードのわざとらしさやら嬉しさやら狡猾さやらが手に取るように伝わってきて実に笑える。で、スペイシーはこういう細かい表情とか仕草がうまいので、何百人も入る大舞台よりはクローズアップで表情や仕草を見せられる映画のほうが向いているのでは…という気になってしまった。

 たぶんサム・メンデスもスペイシーの映画向きな素質をわかっているのか、演出は全体として結構映画的である。場面が切り替わるごとに舞台の上に「Margaret」とか「Richmond」とか、場面の主人公の名前とか、あるいは舞台となる場所の名前とかが映し出され、場面ごとに語り手が変わるオムニバス映画みたいな演出になっているのは、スペイシー一人に客の注意を向けさせず、薔薇戦争の群像劇として大きな物語を客に見せるという点では効果的だと思う。あと、最後の決戦前夜〜決戦当時の朝までの場面は、リッチモンドを舞台左、リチャードを舞台右に置いてまるでスプリットスクリーンのような技法で見せていて、このあたりはかなりスピード感がある。演出のこういう映画的要素は結構流行を取り入れているようで、スクリーンの使い方とかはストラットフォード・アポン・エイヴォンの『マクベス』や『ヴェニスの商人』、あとテリー・ギリアムの『ファウストの劫罰』と似てる気がしたな…とくに最後にリチャード三世が吊り物で逆さにぶらさげられる場面は『ファウストの劫罰』とよく似ている。

 スペイシー以外ではマーガレット(ジェマ・ジョーンズ)が大変良かったと思う。人が死ぬ場面になると必ずマーガレットが出てきてドアにXマークを書くのだが、それがいかにも「呪いの成就」っぽい感じでまがまがしい。マーガレットを前面に出してくることで、舞台が始まる前にもいろいろ血と呪詛の物語が繰り広げられていたということが強調されるようになり、歴史物としての話に広がりが出たように思う。最後にリッチモンドが勝利することで長い血みどろの物語が終わり、薔薇戦争が締めくくられるという歴史の流れを感じさせる。

 まあそんなわけでなかなか面白いプロダクションだったのだが、オールド・ヴィックの次の上演はジョン・ミリントン・シングの『西の国のプレイボーイ』でなんと『キリング・ボノ』のロバート・シーハン主演。これは是非見に行かないと。