トレヴァー・ナン演出、レイフ・ファインズ主演『テンペスト』〜世界中でプロテストの嵐が吹き荒れてるのにこんなんでいいのか?

 ヘイマーケットでトレヴァー・ナン演出、レイフ・ファインズ主演の『テンペスト』を見てきた。一言でいうとあまり面白くなかった。なんというかテーマは赦しの力と人間を束縛するいろいろなものからの解放だと思うのだが、見せ方がぬるすぎる。


 とりあえずとにかく演出が遅い。最初、ファインズがやたら台詞をかみ砕くみたいにゆっくり話すのをきいて「なんじゃこりゃ」と思ったのだが、どうもテレグラフチャールズ・スペンサーもこれが気にくわなかったようで、"a punishing three hours"だと批判してる。もともと『テンペスト』はかなり短い芝居で、しかも結構な部分がプロスペローの苦難の道筋の物語に客が疲れないよう差し挟まれるお笑い場面やルネサンスのお客さん向けに挿入された仮面劇の華やかな見せ物でできていると思うので(これはうちの意見だが)、現代の観客にわかりづらい仮面劇ネタとかはテンポよく視覚効果や歌を用いて処理するべきだと思うのだが、この上演ではそういうところが結構長くて逆に見ていて疲れる。芝居の壮大さは長さとは関係ないんだからもっと工夫して短く効果的に見せることを考えたほうがいいと思うのだが…


 あと、支配-被支配のテーマの描き方がすごくいいかげんである。キャリバン(アフリカンの役者さんで演技はいい)が途中で"Freedom! Freedom!"とか言って抵抗の機運で芝居を盛り上げてくれたのに、最後はレイフ・ファインズ演じるプロスペローにキスされてなあなあで和解し許し合う…とかいうのがご都合主義すぎる。もうちょっとこの支配-被支配の関係を鋭く描かないとこの芝居は成り立たないと思うのだが。一方のエアリアルも最初はさっさと解放してくれーとかぶつぶつ言ってたのに途中で"Do you love me, master?"とかプロスペローに感情たっぷりに話しかけたりしてて、この主従の描き方も甘いと思ったな…今世界中で支配-被支配をめぐるプロテストの嵐が吹き荒れてるのに、こんなふうに「まあとりあえず憎悪は忘れて許し合おうな!」っていうような調子でいいんだろうか。いくら美徳の勝利と憎悪からの解放がテーマだからと言って、そこに至るまでの過程をもうちょっと鋭く描かないとそれこそチャールズ一世夫妻が処刑前によく楽しんでいたような現実逃避的な仮面劇に似た絵空事になってしまうと思うのだが。
 

 とりあえずファインズは頑張ってると思う。まだプロスペローをやる年ではないような気もするのだが(最近映画でこの役をやったヘレン・ミレンは60すぎだが、ファインズはまだ50になってないはず)、長台詞などはやはり聞かせるところがある。全体的に演出がセンチメンタルすぎるのだが、ファインズがミランダとファーディナンドに対してとる態度はセンチメンタルさがよい方向に働いて、娘の彼氏が気に入らない父親ふうで親近感が持てた。一方で最後の杖を折る場面はとてもドラマティックで、魔術師が人間になる瞬間をよく表現してたと思う。


 まあこんな感じで私はあまり好きになれない上演だったが、演出ではいくつか注目すべきところも見られた。とくにスクリーンに映像を投影して空の風景を見せたり、スクリーンに映像を投影しつつ後ろで役者に演技をさせて奥行きを出したりする演出はわりとテリー・ギリアムの『ファウストの劫罰』に似てて、最近こういうの流行ってるのかと思った。