ブレンダ・フォーリー『成功まっしぐ裸――モラルの商人としての美人コンテスト参加者とストリップダンサー』(Undressed For Success: Beauty Contestants And Exotic Dancers As Merchants Of Morality)


 最近ミスコン論議が相変わらず喧しい上、舞台芸術における女性パフォーマーの歴史についていろいろ本を読む必要があったので(とはいえうちの偏った関心でルネサンスの舞台女優とバーレスクダンサーしかまだおさえていないのだが)、本日はその中からミスコン関係の本をご紹介。一ヶ月ほど前に読んだブレンダ・フォーリー(Brenda Foley), 『成功まっしぐ裸――モラルの商人としての美人コンテスト参加者とストリップダンサー』Undressed For Success: Beauty Contestants And Exotic Dancers As Merchants Of Morality (Palgrave Macmillan, 2005)を簡単にレビューしてみようと思う。


 なんかめちゃめちゃチャラい邦題(拙訳)にしてしまったのだが、これはタイトルが"Dressed for Success"「成功にふさわしい服装をする」というよく使われる表現(ロクセットのヒット曲のタイトルになってる)のパロディだからである。つまりタイトルはこれを少しふざけた感じでひねって「成功にふさわしいよう服を脱ぐ」という意味になっている。
↓参考:元ネタのヒット曲。



 で、これはアメリカ文化において伝統的に美人コンテストは「聖母」、ストリップは「娼婦」が美を競う場所としてとらえられてきたので一見全く違う価値観に基づいて成立したものに見えるが、実は歴史的な成立経緯とかに非常に共通点があるということを明らかにした著作である。文中で触れられているように、ヌード写真をとったことのあるヴァネッサ・ウィリアムズがミスアメリカを剥奪されかけたり(完全に剥奪されたわけではないらしいが)、露出度の高い女性たちについてやや品がない(と見なされたらしい)コメントをした審査員がクビになったり、美人コンテストはとにかく品が良いものというイメージを保つためポルノグラフィをできるだけ想起させないようにしてはいる…のだが、その実現在のアメリカの美人コンテストは水着審査やら露出度の高いファッションやらストリップティーズに近いセクシーな動きやらが満載であり、参加者もそうしないと勝てないしお客さんが集まらないことを理解して出てきているらしい。美人コンテストに出る人たちとストリップダンサーが使う自分を美しく見せるテクニックにはいろいろ共通点があるのだそうだ。



 ミスコンとストリップには歴史的にも共通点がある。アメリカ式のバーレスクショー(ヨーロッパのキャバレーショーとかはこの限りではない)と美人コンテストはどちらも1890年代に移動カーニヴァルの仮設スペースで行うものとして発達した。ミスアメリカが1920年代に誕生した際はジーグフェルドフォリーズのショーガールなんかの応募を募ったらしい(20年代くらいから30年代くらいにかけてバーレスクアメリカで大変盛んだった…のだが、注意しないといけないのはこの頃のバーレスクは現在のストリップクラブでやるダンスに比べるとかなり大人しくて今クリスティーナ・アギレラやリアーナがテレビでやってる程度のダンスだったりするということ)。どうやらこの頃からアメリカでは「アメリカ人の理想の女性美」を設定し(「きれいないい子/きれいな悪い子」という男性に都合のいい二分法にして、いくら個性的で魅力があってもデブとか反抗的とか型にはまらない女性は美しいと認めないわけだが)、その基準にあう女性に美しさを競わせることでお金を儲けようという動きが出てきたらしい。


 で、たぶんこの研究書で一番面白いのは第五章の経済に関する実地調査である。よく「ミスコンは女性にお金を稼ぐ機会を与えるため」という名目で正当化されるし(これはまさに今ICUミスコン問題について起こっていることだが)、またストリップダンサーがチップとして稼いだり、もうちょっと下世話なとこでやってるビキニコンテストとかで出るお金はもろに体を売ってもらう"hard money"(「やばげな金」?)であるのに対して、ミスアメリカのような「ちゃんとした」ミスコンが出す奨学金は女子教育を支援するという名目なので"refined money"「きれいなお金」なんだという言い訳があるそうなのだが、アメリカでもその二つはそんなにかわらないじゃないか…という指摘がよくあるそうだ。


 それでたぶん大変重要なのは、ミスコンに出る人はその実ほとんどもうからないらしいということである。ミスコンには参加費がかかり、他にも化粧品やら服やら全部自前で持ち出しなので金がないと勝てない。その上勝つといろいろな無償労働(ボランティア)が強制される。とにかく金がないと勝てないので借金する参加者もわりといるらしい(借金を抱えた美人コンテスト出場者へのインタビューもあってこれは面白い)。また、ミスコンに勝ってもそのあと必ずしもいい仕事につけるとは限らず、ミスアメリカなんかで勝っても女優とかになってバリバリ稼げるようになったのはヴァネッサ・ウィリアムズ(この人は規格外なミスアメリカだったわけだが)とか数人しかいない。一方、主催者側は参加者からとるお金とかショーの収益でかなり儲かっているらしい。まあこういう調査結果を見るとミスコンが女性に機会を与えるためとかいうのはただの詭弁に見えてくるのだが…なお、ストリッパーもまあ無償労働を強制されないとかいくつかミスコンよりマシな点はあるけど薄給であることにはかわりないようだ。


 で、このような調査結果の前で、フォーリーはミスコンやストリップが女性に機会を与えるというような話は実にあやしいものであり、いくら参加者やストリッパーが自分たちはこれで楽しいし力を得ていると言おうと、一部の学者がこういうパフォーマンスの有用性を認めようと、この手のパフォーマンスは若い女性の労働力を安く買い叩き、かつ非常に保守的な価値観を確認するだけのものになってしまっていると唱えている。確かに経済的なデータなどを見るとこの結論はかなり説得力がある。


 ただ、一点ちょっと疑問なのは、フォーリーが調査しているのは主にストリップクラブだけで、ドラァグショーや私がよく行くニュー・バーレスク、あるいはハイ・アートにおける脱衣表現のことはあまりきちんとした調査をしていないにも関わらず、人前で服を脱ぐパフォーマンスとしてのストリップティーズを全部ひっくるめて発言しているきらいがあるところである。これは2005年に出た本で、そのあと元バーレスクダンサーだったレディ・ガガが「全然男ウケしないヌード」を含んだパフォーマンスで女性にバカ売れしたのでちょっと状況が変わったように思うのだが、アヴァンギャルドアートとポピュラーカルチャーへのその波及形、とくにクィア系の芸術作品における脱衣表現はかなり文脈が違うし、作品ごとにぜんぜん違う効果があがったりもするので、ストリップダンスを研究する場合はそのへんに留意したほうがいいと思うのだが。

 あと、この本についてはThe Journal of Popular Culture, 41.1 (2008)にM.J. Bumbが書いたとてもよい書評がのっているので、英語読める人はうちのテキトーなレビューよりもそっちを見たらいいと思う。