差異を歌うこと、あるいはどうして反逆的な男性ロックンローラーは差異のない世界を夢見るようになるのかについて〜レノン、クイーン、ベートーヴェン

 突然だが、ロックンロールの名曲には自分が他の人と違う、違うせいで社会にとけ込めない、ということを歌った歌がすごくいっぱいある。下にいくつか例を貼る…が、後半二曲とかについて触れると私のミサンドリーが爆発しそうなので詳しい分析はやめておく。とりあえずきいてみてください。






(↑これとか歌詞最悪だよな)

 一般的に芸術作品(ただしコメディは除く)が後世に残るくらい面白いためには受け手に快楽(plaisir/pleasure)だけじゃなく苦痛(ロラン・バルト言うところの「享受」jouissance、フランク・カーモードはより具体的にはpainに近いと言ってるが、つまり最初に受け手が作品に触れた時に「えっこれなによくわかんない」とか「なんかもやもやする、これって謎」みたいな衝撃を与えもっと知りたい気分にさせるということ)を与えることが必要で、私はこの苦痛とか享受というのは、作り手が他の人と格段に違ったやり方で音とか言葉とかを切り取ったり組み合わせたりしてくるからこそ受け手に生じるものだと思っているので、違いにより他の作品より抜きんでていると見なされる優れた芸術作品がそういう「作り手と周囲の違い」とか、あるいは一般的な違いをテーマにしているのはそうおかしくはないというか必然的だと思う。

 ロックンロールに至っては、もともとアフリカンアメリカンのブルース(+アイルランド移民の音楽とか庶民の音楽)がベースで、生きるのが大変だとかそういうことを歌うのが基本なので、自分が人と違うからつらい、というようなテーマが多くなるのは当たり前だと思う。まあそんなわけでレディ・ガガクリスティーナ・アギレラは違うからと言って差別すんなと歌うわけだし、モリッシートム・ヨークは違いについてうじうじするわけである(誰も読んでいないと思うがうちがモリッシーを嫌っていることについては何度も書いた気がするのでまた書くのはやめとく。まあでもうちはとにかくスミスもレディオヘッドもすんごい優れてると思うけど嫌いだ)。


 しかしながらうちがどうしてもわからないのは、ジョン・レノンの「イマジン」"Imagine"とクイーンの「ワン・ヴィジョン」"One Vision"(主な作曲者はロジャー・テイラー、全員の共作)である。これはどちらもはぐれ者代表のような男たちが30すぎてから発表した力作…なのだが、なぜかどちらも差異のない世界を夢見る内容である。

 "Imagine"の歌詞は基本的に「世界がひとつになること」"the world will be as one"を夢想するものであり、国境とか所有とか宗教とかの差異を一切なくそう、という歌である。しかしながらそこで出てくるのが"A brotherhood of man"で、sisterはどうなるとかいろいろツッコミどころがある(フェミニストオノ・ヨーコに突っ込まれなかったのだろうか)。ひょっとしたら性別もなくなるのかもしれんと思う。
 "One Vision"はキング牧師の"I have a dream"演説に基づいているらしいのだが、この歌詞はなんかもうちょっと怖い感じで「方向はひとつだけ/ひとつの世界にひとつの国民」"There's only one direction, / One world and one nation"とか、アナーキー系だった"Imagine"よりもうちょっと全体主義がかっている。しかも最後はなぜか"Fried chicken!"という歌詞で落とす。もう何がなんだかさっぱりわからない。
 ジョン・レノンはあのとおりの人で、リヴァプールのワーキングクラスの家庭に生まれて両親と暮らすことができず、スターになってからもアメリカ政府に居住の自由を侵害されたりとかずっとはぐれっ子扱いされていた人である。クイーンはザンジバル出身のゲイをヴォーカルに据えたバンドで「みんなと違って大変です」を地でいくようなバンドである。それなのにどっちも一番脂ののった時期に"Imagine"とか"One Vision"みたいな差異のない世界を夢見る歌を作った。

 で、これの源流はいったいなんなんだろうと考えていて思い当たったのはベートーヴェンの「歓喜の歌」である。歌詞はシラーの詩を使っている。

 私はドイツ語ができないので翻訳でしか知らないのだが、この歌詞は「すべての人々は兄弟となる」自由で平等な世界を夢見る一方、実は「地上にただ一人だけでも心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ、そしてそれがどうしてもできなかった者はこの輪から泣く泣く立ち去るがよい」とか「心優しき妻を得た者は彼の歓声に声を合わせよ」とかなんか結構ヤバい(彼氏や彼女がいないやつは排除されるようだ)。しかしながら生涯独身で気むずかしかったらしいベートーヴェンはこういう世界が実現したらかなり「泣く泣く立ち去る」ことになりそうな人である。それでもベートーヴェンはこの曲を作った。

 一体なんでこういう変人ではぐれっ子な男たちが年をとると差異のない理想世界を夢見始めるのかは謎なのだが、たぶんやっぱり「違うこと」を常に意識していると、一度くらいは差異のない世界を夢想してみたくなったりするもんなんだろうかと思う。ジョン・レノンやクイーンやベートーヴェンはなんだかんだでやっぱり違いすぎていて結構辛かったのではないだろうか。この辛い感情の突き抜けがこういう底抜けのポジティヴさにつながるのかもしれない。そしてたまにはこういう差異のない世界について思考実験してみるのも悪くはない。

 しかしながら影響力のある女性のミュージシャンがこういう差異のない世界について思考実験する歌を作ったという話はあまり聞いたことがない。誰か心当たりあります?マドンナにせよレディ・ガガにせよ、あるいはフィオナ・アップルアラニス・モリセットにせよ、いつも「違うこと」がテーマで違いがなくなるとかいう陽気な世界像は夢見ることすら不可能な感じだよね。