サザーク座『チェンジリング』〜意欲的すぎてワケわからなくなった感あり

 サザーク座でトマス・ミドルトン&ウィリアム・ロウリー作のイギリス・ルネサンスの悲劇『チェンジリング』を見てきた。1622年に初演されたと推定されている芝居で、シェイクスピア以外のジャコビアン悲劇の中では最もポピュラーなもののひとつである。邦訳も出ている。

 一応あらすじを書いておくと、舞台はスペインのアリカンテ。主筋は領主の娘ビアトリス=ジョアナとそれに惚れているディ・フローレスを軸にしたものである。ビアトリスは近々アロンゾと結婚することになっていたが、アルセメロと恋に落ちる。アロンゾが邪魔になったビアトリスはかねてから毛嫌いしていた醜い奉公人ディ・フローレスにアロンゾ殺害を頼む。今までさんざんバカにされてきたがそれでもビアトリスに惚れていたディ・フローレスはアロンゾを殺害後、報償としてビアトリスの処女を要求する。脅迫に負けてディ・フローレスとセックスしたビアトリスは次第にディ・フローレスに執着するようになるが、アルセメロと結婚する。ビアトリスは初夜に処女でないのがバレることを恐れて侍女であるダイアファンタに金を払ってアルセメロの寝所に送り込む。ところがダイアファンタがアルセメロの寝所から出てこない(朝までに出てこないと顔を見られてバレる)ことに業を煮やしたビアトリスはディ・フローレスとはかってダイアファンタの部屋が火事になったことにし、人々を起こす。ディ・フローレスはこの混乱に乗じてダイアファンタを殺して口封じする。しかしながらアルセメロがだんだんビアトリスの不貞を疑うようになる一方、兄弟アロンゾの失踪を不審だとかぎ回っていたトマソはディ・フローレスを疑うようになり、最後はことが露見してディ・フローレスがビアトリスを殺害、自殺という血みどろの無理心中で終了。これに嫉妬深い夫に監禁された美しい人妻イザベッラにあの手この手で近づこうとする自称色男たちのアホ話の脇筋がからむ。


 今回のプロダクションは二つの点で大変現代的である。まず、この脇筋を全部カットして主筋だけで一時間半弱でやるようにしている。脇筋に出てくるアントニオという求婚者はイザベッラに近づくため気が狂ったふりをするとかいう"changeling"(取り替え子)、つまりはタイトルロールで初演当時は大変人気があったらしいのだが、たしかに主筋の血みどろの悲劇と脇筋のアホ話はあまり関係がないので一緒にやるのは大変かもしれないという気はする。もうひとつの特徴は、傍白を全部ボイスオーバーで映画みたいに見せていることである。この芝居はジャコビアン悲劇の中でも最も傍白が多い演目で、パンフレットで演出家のマイケル・オークリーが言っているように映画にしたほうがいいのではないかというような作品である。こういう現代風な演出にしたせいで、全体的にぐっと凝縮された心理ドラマという感じになっている。


 ただ、正直このプロダクションは意欲的だがあまりうまくはいっていないと思う。というのもビアトリス=ジョアナが自分をレイプしたはずのディ・フローレスに惹かれるようになる過程が非常に理解しがたいからである。自分をレイプした男にヒロインが執着するようになるというのは『カルデーニオ』と同じだが、『カルデーニオ』より『チェンジリング』が断然よくできている理由のひとつは、ビアトリスが前半でディ・フローレスを異常に嫌っているのは父権的な階級社会において抑圧され肥大化した性欲の表れであり、ディ・フローレスと殺人の共犯になることで本来ビアトリスがディ・フローレスに抱いていた歪んだ性欲が正当化されるという流れになるからだと思う(それでもミソジニー的な話になりそうだが、嗜虐的・被虐的な変態性欲を描いた話としては説得力がある)。しかしながらこのプロダクションではそのへんがあまりうまく演出されているようには思えない(インディペンデントもやっぱりそう思ったらしい)。たぶん傍白を全部ボイスオーバーにしたのと関係があると思うのだが、前半のビアトリスにはそういう内面にこもった暗い性欲があまり感じられず、そんなビアトリスが突然ディ・フローレスに惹かれはじめるとなんかまるでレイプされても女性は嬉しいんだというような強姦神話をなぞっているようなバカげた話に見えてくる。その点ディ・フローレスの役のデイヴィッド・ケイヴズはかなり説得力があり、醜いからと罵られ踏みつけにされてもひたすらビアトリスに忠実に仕える男のこれまた抑圧された過剰な性欲をよく表現していると思った。


 あと、脇筋をとったせいで最後がすごく駆け足で急いでいるように見え、やや疲れる。とくに第五幕はやたら急展開なのだが、なんか本来は第四幕の終わりに脇筋絡みで踊りとかがあるらしいので本来はここで一瞬気が抜けて疲れが緩和されるんだろうと思う。


 まあそんなわけで意欲的な取り組みをしすぎたせいでワケのわからなくなった感のある今回のプロダクションだが、1月に同じ演目をヤング・ヴィックで別のチームでやるそうなので、そちらに期待したいところである。しかし一シーズンに『チェンジリング』が二回というは珍しいし、見比べられるのはとにかく楽しみだ。

 なお、『チェンジリング』の翻訳はこれとこれに入っています↓