文明はローカルな知の集積で成り立っている〜ロバート・ダウニー・ジュニアの女装が見所『シャーロック・ホームズ――シャドウ・ゲーム』(注意!ネタバレあり)

 『シャーロック・ホームズ――シャドウ・ゲーム』を見てきた。ロバート・ダウニー・ジュニア主演作の続編。一応『最後の事件』が原作らしいのだが、かなり変えてある。

 基本的には推理ものではなくアクション映画で、ホームズとワトソンがフランスのロマの人々と組んでヨーロッパを股にかけてモリアーティの陰謀と戦うというもの。アクションの編集はむしろ前作より良くなったかもしれないと思う。前作はホームズがいちいちアクションを頭の中でシミュレーションする→もういっぺんアクションするというのを結構繰り返していてややだるいところもあったが、本作では予想どおりにアクションが進まないため意外性のあるところがやや増えているし、あとスローモーションとかガイ・リッチー好みの特殊編集もアクションの流れのわかりやすさを損ねないようかなり考えて使ってある。戦車に追われて(!)森の中を逃げまどう場面のアクションとかは、好みはあるにせよなかなかスタイリッシュだったように思う。 


 コンセプトは前作にかなり似ており、相変わらずエリート的専門知vsローカルな知という対立構造がある。悪の組織のボスであるモリアーティは大学に所属する数学者で、学術機関とか官僚組織で生産される専門知を使って西洋文明を攻撃しようとする存在である。立ち向かうホームズチームはこういう官僚制とは無縁であるわけだが、今作では前作のようにロンドンの入り組んだ水路とかを舞台にしているわけではなく舞台がパリやらドイツ、スイスに飛ぶので、もうちょっとグローバル(?)なローカル知識を体現する組織としてのフランスのロマと組むことになる。どうやらガイ・リッチーはこういうローカルな知を持っている放浪者というのが大好きらしくて『スナッチ』にもアイルランド系の放浪民を出していたが、この映画ではロマの占い師である女性シムザがナイフアクションなど大活躍だし、とくに国境を越えるところなどではロマが隠れ道にホームズとワトソンを誘導するなど、ロマの知識が重要な役割を果たす。本来、ロマは西洋的な「文明」からはじき出された存在であるわけだが、実は文明というのはこういうローカルな知を持った人々の集積で成り立っているのだ、というのが本シリーズの隠れメッセージなのかもしれない。ホームズとワトソンの2人はロンドンが舞台でないせいで今回はあまりローカルな知を発揮できないのだが、"concerned citizens"とか名乗っているあたり紛れもなく「市民」の側にいる人である。また、モリアーティが部屋の植物を枯らしてしまったりしてとんと「地面に近い」ものに疎いのに対してホームズは部屋にぼうぼうに草を茂らせて毒草なんかの実地調査をしており、そのおかげで命拾いしている…とかいうあたりはやはり自分で地面をはいずり回って体得したローカルな知が大事だというテーマがあるんだろうと思う。


 まあそんなこと考えなくてもこの映画は楽しく見られるアクション映画であるわけだが、まあ他になんも考えなくても楽しめる見所はロバート・ダウニー・ジュニアのホームズとジュード・ロウのワトソンのやたら濃厚なホモソーシャル感である。相変わらずホームズはワトソンの妻メアリに激しく嫉妬しており、しかも本作では途中でホームズが唯一真剣に関心を抱いている女性であるアイリーンが諸事情あっていなくなってしまうので余計ホームズがワトソンに執着する。上のトレイラーでもあるようにホームズが女装してワトソンの新婚旅行にくっついていき、花嫁のメアリを危険から遠ざけるという口実で列車の窓から川にぶち込み、女装のまんまワトソンと殴り合うやら(ワトソンがホームズを鉄道のシートに押し倒してタコ殴りにしようとする場面はあれはどう見ても性行為の暗喩だろう)、銃撃を避けるという口実で一緒に床に横になってくれと頼むやら、製作陣は明らかにホームズとワトソンの間のホモソーシャル関係を強調したいらしい。これについてはアメリカの著作権者が横やりを入れてきたらしいが、もともと原作にもホモソーシャル的なところがあるし、最近のBBCドラマ版にもホームズとワトソンがどこに行ってもゲイカップルと間違えられるというジョークが入っているのでホームズものとしては全然異端的でもなんでもないありがちな解釈だろう。その上女優陣が男優陣に比べてみんな全然色気がないキャラなのも余計このホモソーシャル観に拍車をかけている。メアリ役のケリー・ライリーもシムザ役のノオミ・ラパスも頼りになりそうな感じだが全然色っぽくはないように演出されているし(ノオミ・ラパスはもっとセクシーな役にできそうだがおそらくホームズやワトソンの間に性的な緊張感を発生させたくないという演出の意図で色気が押さえられてる)、一番可愛いアイリーン・アドラー(レイチェル・マクアダムズ)は途中でいなくなってしまうし、お色気は全部ロバート・ダウニー・ジュニアとジュード・ロウが担当である。さらにホームズのいやみな兄貴マイクロフト役で出てくるスティーヴン・フライがなんかゲイっぽい…ホームズはメアリの身の安全をはかるため兄貴の家にメアリを送るのだが、マイクロフトはレディがいるというのに全裸で家をうろついて全く平気!マイクロフトはメアリに全く性的関心を示さないところがゲイっぽいのだが、全裸でうろついていても話し方とかはわりあい礼儀正しいところはゲイではなく単なる世間知らずの変態なのではないかという気もする。


 まあそんなわけでいろいろな方向から分析できる映画ではあるのだが、ひとつ非常に疑問だったのがホームズがワトソンをバチェラーパーティのため連れて行くクラブの描写である。1890年代始めのキャバレーでデザインはたぶんパリのムーラン・ルージュだと思うのだが、ファンダンスをしている場面がある。現在のような形のファンダンスがメジャーになったのは1920〜1930年代にサリー・ランドがアメリカでスターになってからだろうと思うのだが、19世紀末のロンドンのキャバレーでファンダンスなんかやってたのか…?このへん詳しくないので19世紀末のヨーロッパのキャバレーショーに詳しい人いたら是非教えてほしい。