『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(The Iron Lady)〜メリル・ストリープはすごいが、内容はイマイチ

 メリル・ストリープサッチャー首相役を演じる『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(The Iron Lady)を見てきた。

 まあ、既にみんな言っていることだが、とにかくメリル・ストリープがすごい。まるっきりサッチャーなのだがそれでもちゃんと人間に見える…どころかだいぶ品のある政治家に見える(ひどい言い方だが)。教育相時代の中堅政治家から痴呆がひどくなってきたおばあちゃんサッチャーまで、話し方を変え表情を変え、クセが強くてなかなか感情移入しにくい女性の後半生を非常にリアルに、かつ観客のシンパシーを集めるように演じるというのは大変難しいと思うのだが、ストリープには朝飯前だったようである。

 全体的にこの映画はサッチャーの政策の是非については一応置いておいて、サッチャーは個人的な名誉とか欲得のためではなく常に政治的信念のために行動していたという点では非常に「偉大な政治家」らしい政治家であった、というふうにまとめていて(何になるかではなく何をするかを常に考えていた政治家であるということ)、それはまあそうなんじゃないかという気もするのでまあいい(選挙で勝ちたいとか思ってたら人頭税なんか言い出さないだろうしな)。

 あと、この映画ではサッチャーの政策をパターナリズムならぬマターナリズム(?)という観点でまとめていると思う。サッチャーブリテンを偉大な国にするためにいろいろ攻撃的な政策をとるのだが、これは母親が子供に良かれと思ってスパルタ教育を施す…みたいな感じがある(スパルタ教育が成功することってめったにないのだが)。とくにそれが出ているのがフォークランド紛争のところである。サッチャーフォークランドで戦死者が出たという報告を初めてきいたあとにすぐすることは兵士の母ひとりひとりに手書きの手紙を出すことなのである。こういうあたり、この映画はサッチャーを「ブリテンの母たらんとした女性」として描こうとしているように思えた(エリザベス二世が全然出てこないのもその印象を強めている。エリザベス二世はサッチャー以上にブリテンの母的キャラクターだと思うので、女王を出しちゃうとサッチャーのマターナリズム政策の印象が弱まってしまう)。

 しかしながらこういう試みは野心的だと思うんだけど、脚本はかなり失敗していると思った。まず、全体を痴呆が始まったおばあちゃんサッチャーの回想形式にしているせいで非常に全体の展開がトロくなってしまい、政治的事件の描写とかサッチャーの家庭の描写に十分な時間を費やせなくなっていると思った。たぶんサッチャーの政策を美化せずかつミソジニーにも陥らないようにということでこういうおばあちゃんサッチャー中心の構成にしたのだろうが、冒険の少ない路線をとったせいでかえって映画がつまんなくなった感じである。似たようなコンセプト(英国政治の重要局面を一人の女性政治家を中心に描き、女優の演技を見せることを主眼とする)ながらもタイムスパンを短くすることでテンポを維持した『クイーン』とかに比べてかなり見劣りする。

 あと、サッチャーが「男性ばかりの政治の世界で頑張った女性代表」であることを示すため、サッチャー以外の女性政治家とかサッチャーの女性の友人、あるいは女性で反サッチャー陣営にいる人とかを全く出していないあたりはあまりにもわざとらしくて逆効果なのではないかと思った。議会の場面ではサッチャー以外の女性議員が全くと言っていいほど映らないのだが、資料によるとサッチャーが初当選した選挙で25人の女性がMPに当選しており、全体の4%しかいないもののあんなに全然女性議員がいなかったわけではないはずである。例えばパッと思いつくところだと"Made in Dagenham"(これ日本未公開なのか…すごい面白いのに!)に出てくる労働相バーバラ・カッスル(初代鉄の女などと言われていたらしい)は労働党だけどサッチャーより少し先輩でかなりの有力政治家だったはずだ。あとなんかこの映画に出てくるデモやら暴動やらストライキやらに参加している反サッチャー陣営の人々はほとんど男なのに、サッチャーダウニング街10番地を去る時悲しむ職員たちは大部分女性だったり、このあたりも実にわざとらしい。サッチャーの政策で悪影響を被った北イングランドの鉱山町のワーキングクラスの女性たちは反サッチャーで有名で、この映画に対する抗議運動までしてるくらいなんだから、もうちょっとサッチャーが「女性の政治活動を切り開いてきたつもりが女性たちに反発されまくる」みたいな皮肉な目にあうところを描いたほうが深みが出たのではないかと思う。

 まあそんなわけで、いろいろ危険なところに立ち入らずにしようとしたせいでつまんなく浅くなった映画だなぁという気がする。メリル・ストリープサッチャーの夫デニスを演じるジム・ブロードベンドの演技はお金払って見る価値があるくらい素晴らしいと思うが、あとはあんまり見所がない。なんかもっとタイムスパンを短くして(フォークランド紛争だけで一本の映画になるはず)、政策論議に踏み込んだ冒険的かつ骨太な政治劇ふうにしたほうが良かったのではという気がするのだが…女性絡みの英国政治劇という点では"Made in Dagenham"とか『クィーン』のほうが面白いし、サッチャー時代を描いた作品としては『リトル・ダンサー』や『ブラス!』のほうがオススメ。