ロルカがまた来たぞ!イラン版『ベルナルダ・アルバの家』〜ローカルなことを書いた芝居こそグローバルになる

 アルメイダ座でフェデリコ・ガルシア・ロルカの『ベルナルダ・アルバの家』を見てきた。イラン系の演出家 Bijan Sheibani(ビジャン・シェイバニって読むのでいいのか?)によるプロダクションで、舞台をイランに変更し、台詞や場面、登場人物の名前などもそれにあわせて少しだけ変えてあると思うのだが(原著が手元にないのであまり記憶は定かじゃないんだけど)、ストーリーはこの間ゲイト座で見た『イェルマ』に比べればかなりもとの戯曲に忠実だし「私が見たいロルカ」に近かったと思う。ロルカの三大悲劇の中ではこの作品が一番わかりやすくオーソドックスな気がするので、比較的上演しやすいのかもしれない。

 あらすじは強力な家母長ベルナルダ・アルバが二番目の夫の死に伴って長期間にわたる服喪を決定するところから始まる。世間の評判をひどく気にする厳格なベルナルダの管理のもと、5人の娘たちは服喪期間中ろくに外に出ることも許されずに悶々とした日々を過ごすが、長女(原作ではアングスティアス、この翻案ではアシエとか呼ばれていた)だけは財産目当てで求婚してきたぺぺ(なんかこの翻案ではこの人ももっとイランっぽい発音しにくい名前になっていたと思うのだが、舞台には出てこない)と結婚することになっていた。ところが外出もできずに鬱屈した下の娘たちは顔を家を訪問してくる唯一の男性であるこの長女の婚約者に惚れ始めてしまう。ベルナルダは下の娘たちにちょっかいを出しに来たぺぺを銃で追っ払うのだが、ぺぺが死んだと思いこんだ末娘のアデッラは自殺してしまう。これを知ったベルナルダは「ベルナルダの末娘は処女のまま死んだことにしろ」と言う。これでお芝居は終わり。

 テーマは『イェルマ』に似ていて、保守的な社会においていかに伝統が女性や若者を抑圧するか、ということを描いているのだが、この話のポイントは抑圧を象徴しているのが家父長ではなく家母長ベルナルダであることだろうと思う。ベルナルダは女性に対する世間の抑圧を完全に内面化し、男性中心的な社会の規範に寄り添うことで権力を得てきた女性であり、完璧な家母長であることで世間の悪評から身を守らねばならない規範の犠牲者であるとともに最も残虐な加害者である存在として描かれている。『イェルマ』もそうだがロルカの悲劇は母性というものにかなり懐疑的で、女性がいい母になれるかなれないかで価値を決められるような抑圧的な社会において、母性愛というのは子供を産み育てるポジティヴな力ではなく新たな抑圧を生み出す装置にしかならないという問題を問うているのだろうと思う。このプロダクションではイランから移民してきてオスカー候補にもなったことのあるショーレ・アグダシュルーがベルナルダの役を演じていて、非常にパワフルで憎たらしいんだけど悲劇的でもある人物をよく表現していたと思う。ただ、パワフルすぎて杖(家母長の権力を示しているはずだが…)をついている意味があまりなさそうだったかな。

 あと、この戯曲を書いた直後にロルカファシスト陣営により暗殺されるのだが、この戯曲は非常にファシズム批判の色合いが濃厚である。権威主義的なベルナルダの描写にはファシズムの影響があるだろうと思うのだが、ひとひねりしてあるのはベルナルダ自身が自分の意志で暴君として振る舞っているのではなく、ベルナルダ本人も世間の評判や慣習に振り回される自由意志のない存在として描かれていることである。つまりこの芝居ではベルナルダ本人がファシズムの擬人化というわけではなく、世間の評判とか慣習とかがファシズムの隠喩であり、そういう「空気」に左右されて体制に阿るベルナルダは権威主義的体制の中で自由な発想を失いファシズムの道具とされた人間の隠喩なのだろうと思う。

 アルメイダ座のプロダクションではベルナルダの権威主義ファシズムというよりは女性差別を含む多数の人権問題を抱えているイランの体制になそらえられているのだが、ロルカはこの戯曲で1930年代のアンダルシアにおける冠婚葬祭というやたらローカルなことがらを扱いつつ、いろいろな象徴を用いて最終的にはどの現代人にも思い当たりそうな問題に敷衍できるような作品に仕上げているので、イランに舞台をうつしても全然違和感はない。ディレクターをはじめとして女優陣(この芝居は女しか出てこない)も中東系のキャストが多く、中東系のクリエイティヴチームでもともとスペインの話だったものを英語でやるというプロダクションなのになぜか全然変な感じはせずすっと入っていける。こういうのを見ると、やはりローカルなものをしっかり書き込んだ芝居のほうが実はグローバルに受け入れられやすいんだろうなという気がする。舞台もあらすじもあまりセッティングがはっきりしないものに比べると、地域色の豊かな作品は「ここで出てくる小道具はこういうことを表現しているんだから、この文化圏に移し替えるんならコレだろう」とかいろいろ具体的なアイディアが出せるぶん、翻案がしやすいのではないだろうか。

 前半はちょっと展開がゆっくりすぎでつまらない感じもしたのだが、後半どんどんよくなったと思う。最初、多数のムスリム女性たちが葬儀の儀礼をやる場面がやたら長くて隣の人が欠伸しながら"Boring..."とつぶやいており、私もさすがに眠くなってしまったのだが、第一部後半あたりからは非常に緊張感が出て女優陣の演技ものってきたし、疲れてくるとちょっと笑いも入ったり、見ていて飽きない感じになってきた。華やかな色遣いなども少なく、けっこうシンプルでリアリズムタッチな演出だったので、もっと象徴とかを生かした抽象的な演出にしてもよかったのではという気もするのだが(ベルナルダの杖とかね)、全体としては戯曲の切実な悲劇性をよく引き出していたと思う。しかしながら大変重い話で見ていて非常に疲れる感じだし、おそらく細かいイラン社会に関するアリュージョンとかは私は理解できていないのではないかという気もするので、考えさせられる一方やや「これはどういうことなんだろう」とフラストレーションがたまるところもあったかなぁ。