パリ旅行(8)Lucernaire、Theatre Noir『ロミオとジュリエット』〜演出が後半かなりダメだった

 さて、二日目の夜は美味しいタジン鍋を堪能した後、観劇。Lucernaireという複合文化施設みたいなところにある小劇場Theatre Noirで『ロミオとジュリエット』を見た。

 最初のうちはそう悪くなく、あとフランス語がロマンティックに聞こえる補正(?!)もあって面白かった…のだが、後半結構ダメになった。とりあえず細かい小道具の使い方と、やたら役者が脱ぐのがよくない。

 とりあえずやたら役者が脱ぐ演出だが、ロミオとジュリエットが初夜を迎えるところで、半裸のロミオとジュリエットの前にシーツをぶらさげて照明を暗くし、裸体をシルエットで見せるところの演出は正直どうかと思った。あんなに照明を暗くすると2人の表情が全くと言っていいほど見えなくなるのでつまらない。この初夜の場面の醍醐味は2人の気の利いた切ないやりとりにあるのであって、ジュリエットのおっぱいやらロミオの肩甲骨やらにあるのではないはずなので(別にそういうのがあってもいいのだが、おっぱいや肩甲骨は台詞と表情のオマケであるべきだ)、役者の演技がよく見えないような照明の暗い場面にすべきではないように思うのだが。この芝居において、ロミオは最初美人のロザラインに惹かれていたがジュリエットに一目惚れし、ジュリエットも見てくれのかっこいいパリスじゃなくロミオに一目惚れしてふたりがどうしようもなく感情的に惹かれあうようになるという大筋があるはずなので、恍惚とか笑いといった恋人たちの魂の共鳴を示す表情は非常に重要であるはずである。あと、ジュリエットが仮死状態になる薬をのむ前、このプロダクションでは花嫁衣装に着替えるのだが、この場面でも同じような暗い照明の下シーツの後ろで服を脱いで着替えるという演出だった。ここもちょっと着替えが長すぎる上、そもそも寝る前に花嫁衣装になる必然性があまりないのでどうかと思ったな…薬をのむ前にやたらジュリエットが狂乱状態になるところも非常に不満。ジュリエットはオフィーリアじゃないんだから、もう少し決然とした態度を示さないとダメだろうと思う。ジュリエット役の女優さんは目がくりっとして大きかったので、あんなにバタバタ動き回らなくても目の演技でいろいろできるだろうにと思った。


 あと、小道具とか役者の出し入れが良くない。ロミオとジュリエットの初夜のあと、照明がつくとシーツに赤い血が点々とついているのだが(これだけでもどうかと思うけど)、そのシーツがかなり最後のほうまで出しっぱなしなのはちょっと意味がわからなかった。あと、誰かがナイフを持って登場する→死んだり落っことしたりしてナイフが落ちる、が三回繰り返され、納骨堂の場面で全部セットが変わる直前には舞台上に放置されたナイフが三本もあるというのもどうかと思った(場面の切り替えの時にナイフを引っ込めるべき)。それから納骨堂の場面でマキューシオの死体があるのはどうなの?マキューシオは大公の親戚なのでキャピュレット家の墓所にいてはおかしい。というかティボルトとマキューシオを一緒に埋葬ってあり得ないだろ。

 一番ひどいのがジュリエットがのんだ薬の小瓶の処理である。ジュリエットが仮死状態になったあと、放置されたはずの薬の瓶はどうなるのかというのは演出上大きな問題であるはずである。瓶が目立つところに置いてあればジュリエットは家族から自殺だと見なされ埋葬してもらえないことになるし、結婚前に自殺とか大スキャンダルである。しかしながらジュリエット発見の場面では皆ジュリエットは明らかに自然死だと思っている。そういうわけでこの場面の瓶をどう処理するかはいろいろ議論があり、解決策としては(1)最初に発見した乳母だけが気付き、事情を慮ってそっと隠す→両親は気付かず自然死だと思う(2)瓶が物陰などみんなが気付かないところに転がっていったことにする(3)ジュリエットが薬をのむ時、コップの水などに瓶の中身をあけ、瓶を隠してからコップの薬を飲み干す、などいろいろあるはずである。ところがこの演出ではなんとジュリエットの父が瓶を拾い上げる!(しかもご丁寧に父の後ろにはパリスまでいる。)これでは全員にジュリエットが自殺だということがバレて大スキャンダルである。それなのに全員なぜか動じずジュリエットを自然死扱いする。この演出は何を考えているのだか全然わからない。
 
 …と、いうことで、あまりにも細かい演出が雑すぎて後半全然楽しめなかった。しかしロンドンだと小劇場でもけっこうこのへんの演出はしっかりしている気がするのだが…やはり、フランスではシェイクスピアをあまりやらないので慣れていないのだろうか。