ヤング・ヴィック『チェンジリング』〜ドタバタブラックコメディすぎてよくわからなかった

 ヤング・ヴィックでトマス・ミドルトンとウィリアム・ロウリーによる17世紀の悲劇『チェンジリング』を見てきた。以前サザーク座で見たのと違って脇筋がカットされておらず、かなりブラックコメディっぽくなってた…のだが、全体的にはあまりピンとこなかったかも。

 あらすじは前回書いたからいいとして、今回のプロダクションではディフローレスが原作の設定にある顔にあばたか何かがある大変な醜男ではなくただのおじちゃまということになっており、それはどうなんだろうと思った。本当にただのおじちゃまなのにビアトリス・ジョアナに「顔の調子は」とかきかれていてちょっとセリフが変だ。精神病院に監禁されたイザベッラの脇筋は一応保持されてはいるのだがかなりカットされており、これで脇筋をやる意味があるのだろうか…という気もした。脇筋をカットするとタイトルの「チェンジリング」の意味がちょっとよくわからなくなるし、あと主筋(妻が処女かどうか薬で確かめようとするが失敗する)と脇筋のテーマ(浮気防止のため妻を精神病院に監禁するが患者を装って色男どもが…)のひとつである「医者が医術に溺れて大失敗」みたいなテーマも弱まってしまうのもあまりよくないのだが、そもそもこの芝居は主筋と脇筋がちょっとしかつながってないので現代の観客にはわかりにくいし(テーマが似てるというだけで『リア王』とかほど緊密に主筋と脇筋がリンクしてないと思う)、現代だとこういう癲狂院ネタで笑いをとるみたいなのはちょっとなんかええーっと思ってしまうところもあるので、やはりカットしたほうがいいかもしれないと思う。

 全体としては脇筋がブラックコメディなのもあって全体的にサザーク座の心理スリラー風な演出とはかけ離れたドタバタブラックユーモア作品になっており、新鮮ではあるが冗談がうまく機能しているとはあまり思えなかったのだが…結婚式の場面で突然参列者全員がビヨンセの"Single Ladies"にあわせてバカ踊りを始めたり、初夜の場面でダイアファンタとアルセメロがフルーツゼリー(?)まみれになったり、最後のビアトリスとディフローレスが死ぬ場面では死者に周りの人物が執拗に食べ物を投げつけるなど、全体的に下世話なネタを用いた笑いが多い。まあプレビューだったので完成してないというのもあるかもしれないけど、緊張感のある主筋とアホみたいな脇筋で緩急をつけた原作をこういう全編ブラックコメディみたいにするのって適切な演出手法なんだろうか。

 しかしガーディアンによるとジャコビアン悲劇ブームがきてるそうで、『チェンジリング』の二つのプロダクションのあとは『モルフィ公爵夫人』が控えているそうである。なかなかこのブームはたのしみだ。