Fandom Unbound: Otaku Culture in a Connected World (Yale University Press, 2012)レビュー

 最近ファンダム研究の本を集中的に読んでいて、本日はIto Mizuko, Okabe Daisuke, Tsuji Izumi, ed., Fandom Unbound: Otaku Culture in a Connected World (Yale University Press, 2012)を読んだ。

 編者の方々(こちらこちら)のブログによると日本語版も出るらしい。

 日本とアメリカのオタクカルチャーに関する論文を集めたもので、「これ一冊読んでおけば一応オタクのファンダムについて基礎知識がわかります」というようないわゆるアメリカ式のReaderだと思う。基本的にファンダム研究のリーダーなので社会学者とかメディアスタディーズの論文がほとんどで、作品そのものに関する批評やクリエイター、マーケット全体の経済動向などに関する論文は収録されていない。

 収録されている論文のほとんどは、オリジナルで奇抜な分析を提供するよりはだいたい対象に関する基礎的な事実を何も知らない人向けにきちんと整理し、史料調査やインタビューをやってそこからわかる範囲のことを言おうという感じでかなり地に足の着いたものが多いと思う。オタクカルチャーについてはまったく何も知らないので(何を隠そう私はこの本でローマ字表記されているのを見るまで綾波レイはあやばれいと読むのだと思っていた)、こういう初歩的記述から初まるのはありがたい。カバーしているトピックは鉄オタ、コミックマーケットの歴史、アメリカのファンサブ(アニメに字幕をつけるやつ)やアニメミュージックビデオ、腐女子、コスプレ、格闘ゲームなど。この他に東浩紀動物化するポストモダン』、北田暁大『嗤う日本のナショナリズム』、森川嘉一郎趣都の誕生』の抜粋が入っているところがいかにもアメリカのリーダーっぽい。

 とりあえずこういうテーマについては完全な門外女なので内容とか史料分析の適切さについてはまったくコメントできない(その点は日本版が出たら誰かやってくれるでしょ)。うちの興味はファンダム研究をどういうふうに歴史的史料を使ってやるのか、というところなので、その点から見て面白かったのは鉄オタの歴史をかなり掘り下げているTsuji Izumi, "Why Study Train Otaku?: A Social History of Imagination"(第一章)だったと思う。あと秋葉原の都市の歴史を扱った森川嘉一郎趣都の誕生――萌える都市アキハバラ』はちょっと全部読んでみたいかもしれない。抜粋だけだけど図版資料やらなんやらがえらい豊富で興味深い。


 ジェンダーの観点からいうとOkabe Daisuke and Ishida Kimi, "Making Fujoshi Identity Visible and Invisible"とOkabe Daisuke, "Cosplay, Learning, and Cultural Practice"が面白かった。この二つを読み比べると、どうも腐女子もコスプレも女性が女性オーディエンスを主な対象にやるDIYなのに、腐女子はすごく自分のアイデンティティを隠す傾向がある一方、コスプレはむしろブログに写真をのっけたり顔なんかを隠さないという大きな違いがあるんだなと思った(もちろんコスプレも身元を隠す人はいるんだろうけど)。あとどっちもコミュニティ内で独特のpolitenessというか礼儀作法を発達させているらしいのも興味深い。腐女子アメリカのスラッシュと比較することでいろいろわかりそうだと思うのだが(あとカップリングに関する論争とかについてはスタンリー・フィッシュの解釈共同体論で切り込むと面白そう)、コスプレはむしろうちがこの間論文書いたバーレスクとコミュニティのあり方(DIY、反メインストリームなのにコマーシャルなものへの言及に溢れている、女性が女性をターゲットにセクシーな格好をするなど)が似てる気がする。

 それで、なんか収録するのはこういう史料をあさったりインタビューをしたりするような論考だけでよくて、無理矢理ビックピクチャーを描くような論文は収録しなくてよかったんじゃないかという気もする。ご存じのとおり私は『動物化するポストモダン』には批判的なので(うちは歴史には耐えられないんですが歴史性のなさにはもっと耐えられないんですよ)もっと地を這うみたいな地道な研究だけでいいんじゃないのって気がしているのもあるのだが、それよりむしろ『動物化するポストモダン』は既に全訳が英語で出ていてしかもうちがニュージーランドに行ったときの感触では英語圏でも読まれているらしいのでこの本を使って勉強するような学生にはつまみ食いじゃなく全部読んでもらったほうがいいんじゃないかと思うからである。あと北田暁大の『嗤う日本のナショナリズム』は、私は原著は読んでいないのだがここに収録されている抜粋は内容はともかく校正にやや問題があり、"Wararu Ninon no Nationalism"とか"Sanma Akaishi"とかが散見されるので(それにさんまってヘボン式だとSammaじゃない?)なんかすごい慌てて出したんじゃないかという疑いが… あと、序文で「森川、北田、宮台があまり翻訳されてない」(xv)と書かれているんだけど、宮台なんかよりももっと英語に翻訳するべきファンダム研究あるだろ…

 最後に表記に関する疑問点をひとつ。西洋人との混同を避けるために日本人の名前を名前-苗字の表記にしているのだが(Editor's Note参照)、西洋人と同じ順番にしたほうがもっと混乱すると思うんだけど…まあ、この本にはヨーロッパは出てこないけどハンガリーにもオタクがいるかもしれんしね。

 ともあれこういう本が出るのはいいことだと思う。この間セミナーをききにいったヘンリー・ジェンキンズが推薦文を書いたりしているのだが、日本のファンダム研究とヘンリー・ジェンキンズを中心とするアメリカのファンダム研究がもうちょっと交流するようになればどんどん研究成果があがるのではないかという気がするので(できればヨーロッパの観客研究とかとも連動してほしいんだんけど)、もっと裾野を広げて(日本のファンダムは所謂オタクだけじゃなくジャニーズとか宝塚とかいろいろある)いろいろな分野横断的研究プロジェクトを立ち上げてほしい。