主役をサッチャー政権下のゲイにした翻案版『ドン・ジョバンニ』〜ロンドンで一番ホットなゲイクラブ、Heavenにて上演!

 ロンドンで一番ホットなゲイクラブのひとつらしいチャリングクロスのHeavenモーツァルトの『ドン・ジョバンニ』ゲイ版翻案を見てきた。脇役の歌の技術とか音響には若干文句があるが、基本的には大満足。

 なんか昨日まで場所は金曜日に行ったチャリングクロス座だと思っていたのだが、そうじゃなくて会場はチャリングクロス座の向かいにある超オシャレそうないっつも混んでるゲイクラブだっていうことに昨晩気付いた…これは金曜日にとって掲載し忘れてた写真なのだが、地下鉄エンバンクメント駅とナショナルレイルのチャリングクロス駅の間にオシャレな小道があって、高架の下に劇場やクラブが集まってる。 

 これが件の会場、Heavenの外観。

 内装。どう見てもゲイクラブ。しかも座るところがほとんどないので立ち見。

 舞台は前方、中、後方に3箇所お立ち台を設置し、これにプラスして二階脇通路を使用する。場面ごとにそれぞれの舞台に歌手が立って歌い、場面の最中にある舞台から別の舞台へ歩いて移動することもある。当然お客さんは立ち見でお立ち台の周りに群がっているので、歌手とお客さんの位置が近いし突然隣から歌手が入場してきたりする。けっこうスリリングで生々しいがこういうの私の好みだ。
 ↓これが中のお立ち台。コカインに見立てた粉がふりかけられたテーブルと毛皮の敷物が80年代な雰囲気を演出。

 
 で、なんと前方お立ち台の下にちゃんと即席オーケストラピットを設置し、10人くらいちゃんとしたクラシックの演奏家が入って生演奏でやる。

 お話はもともとの『ドン・ジョバンニ』の性別・性的指向を全部(もちろん主人公以外)変えているだけでだいたい原典に沿っているのだが、歌詞は全部英語に直されている(全部は聞き取れないんでノンネイティヴにはつらい)。もともとのオペラを見たことないんだけどたぶんかなりカットしていて全編二時間十分くらい。1980年代、サッチャー政権下(エイズへの言及がないのでたぶん80年代初期)のロンドンでクラブを経営するゲイの超プレイボーイのドン(原作ではヘテロセクシュアルのプレイボーイであるドン・ジョバンニ)が何人もの男たちの人生を狂わせ、ついには襲おうとしたクローゼットの若いゲイ、アラン(原作のアンナ)の母(原作は父)を誤って殺してしまい、その結果アランの母の亡霊に苛まれ…という話である。

 ところがこの話はえらい反サッチャー的で、オチをつけるのがなんと地獄じゃなくサッチャー。最初にサッチャーがプロローグみたいなのを話してずっと出てこなかったので?と思っていたのだが、最後にふつうはドン・ジョバンニが地獄に落とされる場面でいきなりサッチャーが出て来て"progress"とかの話をしながら目を閉じたドンの肩に触る。突然の時事オチにびっくりして、最初はこれってサッチャー=ゲイにとっては亡霊に地獄に引きずり下ろされるよりひどい、ってことなんだろうかと思ったが、よく考えるとサッチャー保守主義は無慈悲に人の心を踏みにじって"progress"のフリをしているドンと同レベルにひどいってことなのかも(このレビューもその解釈をとってる)。

 全体的に英語はよくわかんなかったのだが、音楽と身振りだけでキャラクターの心境がほとんど把握できてびっくりした。前に『魔笛』を見たときは字幕がついていたのになんだか話がよくわからなくなって混乱したのだが、『ドン・ジョバンニ』はすごくわかりやすいオペラなんだろうなと思った。これだけセッティングを変えて声の種類を変えても完全に音楽がすんなり機能するって、やっぱりモーツァルトの音楽はすごいポテンシャルを秘めてるんだなと思った。エディ(原作のエルヴィーラ)は中年にさしかかってだんだんパッとしなくなってきたリッチなヤッピーのゲイで、そういうキャラって出て来た時はなんかちょっとウザくて可笑しいんだけど(お金はあるのに肉体的魅力がないヤッピーってどう見ても諷刺の対象でしょ)、アリアを歌いながらドンにすがりついているのを見るだけでなんかだんだん「ああーっこの人本気でこのろくでもない男に惚れちゃってるんだな」と思えてすごくかわいそうに見えてくるから不思議だ。

 まああと台本を作るほうがかなり気をつけて原作にスムーズにあうようにセッティングを作っているというのもあるんだろうと思う。ゲイでリッチな80年代のイケメンプレイボーイだったらそれこそカタログの歌に出てくるみたいに千人くらい愛人がいてもおかしくなさそうな気がするし、18世紀の宮廷のオシャレでちょっと淫らな雰囲気は80年代のゲイカルチャーと親和性が高そうだ(というようなことをエドマンド・ホワイトとかも言っていた気がする)。愛人になる男たちの階級とか外見とかも結構気を使っている。


 キャストは演技はだいたいいのだが歌は結構文句もあり、とくにザック(原作のツェルリーナ)役の人とかあまりちゃんと歌えてなかったように思うのだが(女声のアリアを男声用にしてて歌いにくいとか、クラブなんで音響がオペラ向きじゃないというのもあるのかもしれないけど)、ドン役のバリトンダンカン・ロックだけ異常に歌がうまくて(イングリッシュナショナルオペラとグラインドボーンに出てる若手らしい)、演技も上手でびっくりした。私が勝手に考える「17〜18世紀の風習喜劇の放蕩者」にすごいピッタリな感じでとてもカリスマ的魅力がある。なんかウェルシュナショナルオペラのオーソドックスなヴァージョンで既にドン・ジョバンニのタイトルロールをやったことがあるそうで、おそらくこの手の色男が当たり役なんだろうなぁと思う。ドンの秘書のレオ(原作のレポレッロ、女性に変更)役のゾーイ・ボナーも悪くなく、とくに演技がよかった。「カタログの歌」を図で説明するところとかとてもコミカルだった。
 ↓「カタログの歌」の小道具の写真。ドンがセックスした人が何人目でどこでやったのか全部まとめてあるもの。ハムステッド・ヒースとかロンドン市民にはおなじみ(?!)のハッテン場が出て来て笑いを誘う。

 最後に客層のことを一言書いておくと、たぶん普段からゲイクラブに通っているオシャレなLGBTがほとんどでそれにちょっとオペラやアンダーグラウンド演劇のファンが入っているような感じで、とくに中のお立ち台の周りには明らかにオペラファンだろっていうようなおばさま方がたくさんいてなんか面白い客層だった。客の反応はかなりよく、最後のほうも盛り上がっていた。
 
 まあそんなわけでかなり面白かったのでまずは原作の『ドン・ジョバンニ』を見たいと思ったのだが、最近パブオペラとかいってパブシアターみたいなちっちゃいところでオペラを上演するのがロンドンでは流行っているので、もっとパブオペラに行きたいかもと思った。