グローブ・トゥ・グローブフェスティヴァル、ブリテン手話版『恋の骨折り損』〜手話全然わかんないのに前の日見た日本語の『コリオレイナス』より断然面白かった

 オリンピック関連行事としてシェイクスピアの38作品(『エドワード三世』や『二人の貴公子』とかはやらないで長詩『ヴィーナスとアドーニス』の翻案をやるので全戯曲ってわけではない)を全部違う言語で上演するグローブ・トゥ・グローブフェスティヴァルが先月開幕したのだが、昨日はその一環であるブリテン手話(BSL)版『恋の骨折り損』を見てきた。Deafnitely Theatreという劇団の公演で、シェイクスピアを全部BSLでやるのは初めてだとか。もちろんグローブ座でやる。

 で、このフェスティヴァルは基本、どの言語でも字幕翻訳がつかない。場面ごとにシノプシスが上の掲示板に出るだけで、手話版でも同時通訳とかはつかないから手話がわからん私は台詞は全く理解できないわけである。ところが台詞が全くわからなくてもこのプロダクションはすごく面白かった。

 とりあえず演出はかなりオーソドックスで、衣装や小道具にあまりお金がかかってない以外は普段グローブ座でやってるプロダクションとほとんど変わらない、笑わせるところで笑わせ、ほろりとさせるところではほろりとさせる正攻法なイギリスのシェイクスピアである。話もほとんどいじってないみたいだったし(役者の数が少ないため部分的に場面をカットしていたような気もするが)、開演前に踊りでお客さんを楽しませたり、舞台じゃなく平戸間から入退場したり、客いじり(手話でやるので私はわからないのだがお客さんの半分は手話がわかる人たちだった)やったりするのも普段のグローブ座とほとんど同じ。ただ、同じというとまるでオリジナリティがないみたいだが、普段オフウェストエンドで小規模にやってる劇団がここまでちゃんとグローブ座の構造を把握して客を喜ばせてるっていう時点で実は結構すごいと思う。

 全体的に役者の使い方は去年グローブ座で上演したジョシュア・マグワイア主演の『ハムレット』(これもすごいよかった)とよく似ている。どうもDeafnitelyは役者の数が少ないみたいで一人でいろんな役をとっかえひっかえやったりしていて、ここはちょっと入れかわりが慌ただしくて残念だったのだが、去年の『ハムレット』も同じ感じだったので、ひょっとしたらただ役者が少ないっていうだけではなくこれは最近の流行りなのかもしれない(私はこういうのはあまり効果あるとは思えないんだけど…)。キャスティングのしかたのほうも去年のグローブ座の『ハムレット』に似ていて、いろんなエスニシティを混在させたキャストである(ただし今回は全員BSLのネイティヴユーザみたい)。あとたぶんサイレント映画一般を参考にしており、上演中はずっと舞台後方で場面にあった音楽を演奏し続けるということになっている。耳の聞こえる人は全くの無音なのに役者が動いていると視覚的に動きを処理できなくなるらしいので、これはありがたい。

 まあ恋愛喜劇なのでとにかく面白おかしくて、手話なんで全部はわからないのだがたぶんけっこう下世話なジョーク(「電話してね」ポーズでナンパをしてお客さんを笑わせるとか、電話をあまり使わないはずの聾文化でもそんなナンパあるんか!と若干カルチャーショックを受けた)や下ネタで笑わせるとこも多くてそのあたりもイギリスふうである(女性陣が足やらお尻やら出して乱舞したり、男性陣がなんか若干卑猥な身振りをしたり、あとナヴァール王の一行がロシア人に変装して女性たちにフラれるところは完全に艶笑喜劇のノリで女性たちに蹴られたりとかまるでアホSMごっこみたいだった)。とくにスペイン生まれのチャラ男アーマードとか出てくるだけでおかしくてなんかもうスペイン人が見たら怒るんじゃないか…と思うくらい最初のほうは辛辣なエスニックステレオタイプぶりだったのだが、最後で真ん中にアーマードが立って詩を読んだりするところはなかなか人間味のある感じで綺麗にオチがついたと思う。あと、フランス王女のところに父の訃報がもたらされる時の突然のトーンの変化が劇的で実に良かった。楽しんでいるところに急に悲報が到着して若者たちがショックを…という現実でもありそうなシチュエーションをかなり自然に表現していたと思う。

 役者は皆生き生きしていてとても良かったと思うのだが、ただ私は手話が全くわからず、どこからが台詞でどこからがただの身振りの演技なのかが判別できなかったので、台詞回しの巧拙は全く判断できないな…全然知らない言語でシェイクスピアを見るというのは今まで数回経験しているのだが、音声言語だと言葉がわからなくても話し方が滑らかだとか声がいいとかその程度はわかるのだが、手話だとそれが通用しないのでどの役者が台詞回しがうまかったのかは全然わからない。

 ただ、見た感じでは手で作る台詞とそれ以外の身振りらしいもの(歩きぶりとか顔の表情とか)が非常によくなじんでいて、すごく役者の言葉と身体がよく調和した演出を目指しているように思えたので(まあ手話だとそういう演出がやりやすいっていうのもあるのかもしれないが)、そこが私にとってはかなりの好感ポイントだった。実はこの前の日に京都の地点という劇団がやる日本語版の『コリオレイナス』を同じ舞台で見たのだが、これがまた台詞と体を完全に分離して全部バラバラするような演出で極めて不愉快で生まれて初めてシェイクスピア劇で途中退出したので、翌日にこういういかにも「総合芸術」らしいセリフと身体の統一がきれいにできている芝居を見れたのは良かった。こういう調和のとれた演出というのは独白で効果を発揮するんではと思うので、Deafnitelyにはもっと役者と予算をゲットして是非『ハムレット』をやってほしい。


 あと、最後面白かったのは、どうも手話の演劇では役者が聞こえないので最後は拍手じゃなく両手を肩の上まであげてひらひらさせる身振りで喝采を示すらしいということである。これは記録しないとと思ってカーテンコール(グローブはカーテンないのだが)で写真をとった。これは聾拍手というそうである。