デーモン・アルバーン作曲、007やクトゥルフ神話のネタにもなった学者ジョン・ディーの人生を描く音楽劇Dr. Dee(『ディー博士』)

 ロンドンコロシアム座でデーモン・アルバーンが作曲・演奏する「マスク」(仮面劇)、Dr. Dee(『ディー博士』)を見てきた。エリザベス朝の学者で所謂「魔術師」であるジョン・ディーの生涯を描くもの。演出はルーファス・ノリス。


 「魔術師」というとなんかあやしいようだし実際にあやしいのだが、ルネサンスの英国においては所謂オカルトがうちらの想像する「近代科学」と分かれていなかったので、錬金術占星術みたいなものはそれだけで結構な学問体系で、のちの科学の発展に影響を与えることもあった。ジョン・ディーは天使と交信しようとしたりしたまあ実に魔術師っぽい人であったのだが、イングランドにおける安倍晴明的立ち位置の人だと考えてもらえればわかりやすいかも。去年マンチェスターの国際芸術祭で初演され、本日がロンドンプレミアだった。
 
 日本語のレビューとしては既にABC振興会に写真つきの解説が出ているので舞台の雰囲気についてはそちらを見ていただきたいのだが、「事前にDr.Dee』なる人物についてどんなオペラの題材になりそうなのか調べたのですが、この時点で英語でもあまり詳しい資料がなく」というのはあり得ないよー。一般市民にはそんなに知られてないかもしれないし(デーモン・アルバーンもこの作品を作るまでよく知らなかったらしい)アメリカでの知名度は低いだろうと思うのだが、クトゥルフ神話や007シリーズ、『ハリー・ポッター』シリーズにも影響を与えている人で少なくともイングランドの歴史オタクやオカルトファンの間では超有名人でだし、最近は『エリザベス : ゴールデン・エイジ』など歴史映画にもよく登場して一般的な知名度もあがりつつあるはずなので、UKのウェブサイトやアマゾンを検索すればごろごろ情報が出てくるはず。日本語でもいくつか本がでているし、かの有名なbibliotheca hermeticaにもいくつか関連記事が置いてある。まあジョン・ディーというのは所謂ルネサンス的な科学と魔術を融合させ、エリザベス一世に仕えた万能の学者ということでイングランド人の想像力をそそる人であるわけである。

 公演のほうだが、セットは二階に分かれており、二階部分が昇降できる可動式舞台になっていてここにポピュラーミュージック・ワールドミュージック系の楽器を持った奏者一団がいる(オーケストラピットにはまた別にクラシック系の楽器を持った奏者がいるのだが、普通のオペラよりは編成がかなり小さかったと思う)。二階には小さい階段(3-4段なので地上にはつかない)があってそこに(たぶん「神」である)デーモン・アルバーンが座って演奏をする(最後は二階が全部下まで降ろされ、息を引き取ったジョン・ディーの枕元にデーモンが立つという趣向)。この舞台に階層を作る構造はひょっとしたら新プラトン主義の影響を受けているのかもしれんのだが、ロンドンコロシアムの構造からしてオーケストラピットがあまり見えなかったりとかもするので音の聞こえ方と視覚的効果を総合してこの階層構造を分析するのはちょっと私の手には余るなぁ。

 話はまずジョン・ディーが死の床にあるところから始まり、全編回想で最後にまた死の床に戻るという作りになっている。若い学徒ディーが学識を身につけ、ウォルシンガムとエリザベス一世の目にとまるようになって栄達するが、天使と交信できるというエドワード・ケリーとともにエノク語(天使の交信言語)翻訳に熱中するうちに女王の寵愛を失い、さらに妻を天使(というかケリーなのだが)に差し出すというとんでもない犠牲を払って家庭生活までめちゃくちゃにしたのに結局あまりうまくいかず失意のうちに娘に看取られて死ぬまでを描く。ストーリーライン自体はクリストファー・マーロウの『フォースタス博士』(マーロウはこの芝居を書くときジョン・ディーからもヒントを得ていたという話があるようだが)からの影響が大きい。

 演出スタイルははっきり言って全然オペラではなく、ルネサンス式のマスク(仮面劇)の形式をかなりきちんと踏襲している。私、マスクは去年のBritGradでいっぺん簡単な復元上演を見たことあるだけなのだが、ふつうマスクというのは踊る人と言葉を発する人(台詞や歌を仕事にする人)が分かれており、いろんな視覚的効果を使用してかなり寓意的な表現をするもので、ルネサンスの時代に宮廷の出し物として一世を風靡したものである。このDr. Deeは言葉と踊りがそこまで完全に役割分担されているわけではないのだが、舞台に出てくる人よりはデーモン・アルバーンその他の歌に主眼が置かれていたり、役者の踊るような動きが重要になったり、公式サイトで告知されているように非常に演出スタイルがマスクに近い

 あとルネサンスのマスクはギミックや背景を使った特殊効果が売りのひとつだったはずなのだが、この上演でも特殊効果にかなり力が入っている(たぶんピーター・グリーナウェイの『プロスペローの本』とかのヴィジュアルを参考にしている。プロスペローの人物像の元ネタのひとりはジョン・ディーだという話もあるみたいだし)。占星術の場面では、最近流行りの前面に透明スクリーンを降ろしてそこに光を投影するという方法を採用して星図を映し出す一方、スクリーンの後方で星に見立てた光る○を持った黒子を踊らせるという方式で(スクリーンの前に浮かび上がるのは星の光だけ)、超ルネサンスふうの惑星の動きのダンス(イギリス・ルネサンスの時代には宇宙の星の動きはダンスに結びつけられていた)を見せてディー博士の見ている世界を表現していた。このあたりはルネサンス演劇の研究者として超テンションあがった。全体的に視覚効果についてはかなり凝っていたと思う。

 音楽はオペラらしくはないがブリットポップって感じでもなく、ワールドミュージックと現代音楽を取り入れたもの。ストーリーに非常によくあわせてあるので楽劇の音楽としては文句ないのだが、独立して聞いた時どうなのかというとちょっとわからない。視覚効果を引き立たせるような意識的な工夫がけっこうあると思ったので、これCDで聞くだけだとどうなのかなぁ。まあしかしデーモン・アルバーンみたいに本人にフロントマンとしてのカリスマがあるミュージシャンがこういう「役者の身振りに従属する」みたいな音楽を書けるっていうことにはちょっと驚いたんだけれども。とことん多才な人である。

 全体的に意欲的だとは思ったのだが、あまりよくないと思ったところが三点ある。

 まず、長すぎる。上演時間二時間というのはオペラにしては短いが、単純なストーリーが基本のマスクにしては長すぎる。途中若干中だるみしたと思う。

 次に、最初の黙劇の意味がわかりにくい。黙劇が入るというのはルネサンスの宮廷のエンターテイメントとしては普通だと思うし、バカ歩きとかネルソン提督?(だと思うが自信ない)とかイングランドの歴史上の人物を出して「これからイングランドらしさの話をやるぞ」っていうことを見せたかったんだと思うのだが、突然鳥が出て来たりとか本編との関連性がイマイチ見えにくい感じだったと思う。

 最後に、そもそもテーマとその表現方法がアレなんじゃないかってことである。公式サイトにもあるようにこれはEnglishness(イングランド性)が一大テーマなのだが(最近Englishessはホットなテーマなのでこの間のエド・ミリバンドがこれをテーマにした演説とかを見てね)、なんというかブリットポップあるいはクール・ブリタニアを牽引したブラーのフロントマンが「イングランド人であるとはどういうことか」をテーマにしてしかも最後神的立場で舞台に降臨とかそもそも「おいおいブラーまで年食うとそうなっちゃうのかよー」という気もするのだが、まあそのへんはエリザベス一世の時代を称えつつもジョン・ディーのみじめな最後を描くこと、またそれにワールドミュージックっぽい音楽をつけることで「イングランド人であること」自体に若干の距離をとって結論をオープンにしているとも思われるので(最初でナショナリズム的なテンションをあげといて後半で「いやちょっと待て」みたいなふうにするのはこの間見た『ヘンリー五世』に似ているかも)いいとする。しかしながら「イングランド」にこだわりすぎたあまり、ジョン・ディーがルネサンスの万能人らしいグローバル人材(???)で東欧でも活躍していたことをほとんどはしょってしまっているのでかなりスケールが小さくなっており、大陸ヨーロッパやあるいはブリテン諸島の他の国々との比較でこそ見えてくるはずのEnglishnessがかえってぼやけてしまっていると思った。

 まあそういうわけで、ルネサンス演劇の研究者は絶対必見だとは思うのだが、意欲的ではあっても弱点は多かったかなぁという感じ。DVD化されるのかな?プログラムは買ったんだけれども。