アーコラ座(テント)、ペニー・アーケイド"Bitch! Dyke! Faghag! Whore!"(クソアマ!レズ!おこげ!売女!)〜バーレスクとスタンダップコメディ、ドキュメンタリー演劇を組み合わせた超クィアなショー

 アーコラ座のテントでペニー・アーケイドのショー、"Bitch! Dyke! Faghag! Whore!"(クソアマ!レズ!おこげ!売女!というような本人以外は使っちゃいけない言葉を並べたすごいタイトル)を見てきた。全然何の予備知識もなく言ったのだが、ウィキペディアに項目できてるくらいアメリカでは有名なショーでもう22年もワールドツアーやってて、ペニー・アーケイド自身はゲイ・シェイム(反商業主義、反同化、反いい子ちゃんの急進派クィアムーヴメント)関連のイベントでショーをやったり、クエンティン・クリスプの伝記映画ではこの人の役をシンシア・ニクソンがやったり、アメリカのクィア系のパフォーマーとしてはかなり知名度のある人らしい。

 パフォーマンス自体はすごく面白い。内容はペニーによるスタンダップコメディやドキュメンタリー演劇ふうな一人称の語りと地元のバーレスクダンサー(男女両方、ポールダンスもあり!)によるショーを交互にやるというもので、全体を貫くテーマはいろいろあるのだがたぶん一番重要なコンセプトは「自己検閲をするな!」ということ。最初はかなりふつうのスタンダップコメディで眠くてどうなることかと思ったが(最初の二つのスケッチはたぶんUK在住者的には「エディンバラ祭に行けばもっと諷刺のきいたのいくらでもやってるよな」みたいな感じでイマイチだったのか、途中で出ていく人もいた)、第一部の途中からありがちなスタンダップコメディをやめてどんどんドキュメンタリー演劇(もちろんユーモアたっぷりなのでコメディの要素はあるのだが)に近づいていき、毒舌ジョークも満載になる(「自分はバイセクシャルだからレズビアンコミュニティでは受けが悪いんだ!」と所謂バイフォビアみたいなやつを茶化したり、ファグハグだからゲイ友にくっついてゲイリゾートに行ったら誰とも話すらできずみじめだった、とか自虐ネタも激しくおかしくやがて悲しい)。エイズ禍で友だちを亡くした話をできるだけユーモアをまじえてするところとかはなんかたまに冗談が入ったりするぶんかえって胸がつまるような思いになってしまった。

 で、つらい話のあとでちょっと休憩をとって第二部。第二部は全体的に諷刺をバリバリきかせつつも楽しい感じで、あらかじめ予告されていたとおり客も舞台に出て来て踊るよう言われた。曲は"I Will Survive"で、うちもドラァグクイーンに手を取られて舞台にのってみんなと手拍子足拍子してけっこう楽しかった(ここでみんなを踊らせるのは単に楽しいからというのじゃなく、「自己検閲をしない」というテーマをお客さんに体験させるため。今までの人生で格好悪いとか人目が気になるということで踊れなかった人は今こそ踊って下さい!ということ)。最後は今年62歳になるペニーが全裸になるストリップティーズ(普通のバーレスクと違ってほんと全裸。自己検閲反対がテーマだから)を披露し、アメリカ国旗の模様のショール一枚だけをまとって自分の人生やアメリカの政治、世界のどこにもある差別についてジョークを交えながら演説をする。話している内容はごくふつうの穏当な内容(どんなものでも差別はくだらない、人を愛そう、自己検閲はつまらない、など)でそのまんまだとつまらない教条的な演説になってもおかしくないと思うのだが、グダグダにならないようたまにジョークを交えて効果的に話しているのはさすがだなと思った。

 全体的に、ただ話すだけじゃなくいろいろ自分の体験を再構成してショーアップし、お客さんを楽しませつつ伝えたいことを伝えるというパフォーマーとしての工夫がはっきりしており、素朴なトークショーに見えるところも実はかなり作り込んでいたりしてとても感心した。あと一番感心したのは、こういう「作り込んだドキュメンタリー演劇」をやった後、カーテンコールでショーの最中はキメキメのファッションで美しかったバーレスクダンサーが全員あんまり冴えない普段着で舞台に出て来て挨拶するところ。こういう「ここでお芝居は終わりなんですよ」「役者も普段はこうなんですわ」みたいな表現はどんなパフォーマンスでも大事だと思うのだが、虚実が曖昧になるドキュメンタリー演劇でこそこういうのやるべきだし、そのへんのツボがわかってるのはいいよなぁと思った。


 クィア系のパフォーマンスやバーレスクが好きな人だけでなく、ドキュメンタリー演劇が好きな人にもとてもオススメなのだが、ただ問題点が二つあるかも。ひとつめは最初のスケッチがUKに住んでる人には普通すぎてたるい気がするので(この間の『ネイキッド・ボーイズ・シンギング』も「アメリカではこれでいいんだろうがUKではこんなん普通すぎて面白くないだろ」みたいな批評出てたけど、とことんアメリカ人にあわせた冗談ってUKの人には「アメリカ人はこんなんがおかしいのか」みたいなメタな失笑を呼びかねない気が…)、イギリスではこのスケッチをカットしてショーの尺じたいを短くしたほうがいいのではっていうこと。

 あともうひとつはたぶんショー自体の責任ではない。こういうバーレスクにドキュメンタリー演劇を組み合わせるなんていう形式のショーは1990年にはものすごくアヴァンギャルドだったんだと思うんだけど、ニュー・バーレスクが流行っていてドキュメンタリー演劇もかなり普通になってしまったロンドンで今これをやると「ありがちだけどよくできたパフォーマンスだった」みたいな感じになって、当初お客さんに与えたのであろう衝撃がわからないかもという気がするのである(私も『ベティ・ボーンとマーク・レイヴンヒル』とかを思い出してしまったので形式自体はそんなに斬新とは思わなかったんだよね)。まあそれだけ先駆的でみんなに真似られるような形式を早くから採用していたということなんだろうけど。

 そういうわけでこの演目は大変オススメである。ロンドンにお住まいの方は是非!日本でもやってほしいけど、まず無理だろうなぁ…全部脱ぐしなぁ…