ドルイドマーフィ(2)『闇のホイッスル』(A Whistle in the Dark)〜アイルランドのヤクザ一家の興廃を超パワフルに描いた芝居だが、家父長制を女性抜きで描くってそれは無理があると思うの

 ドルイドマーフィ二本目『闇のホイッスル』(A Whistle in the Dark)をハムステッド座にて観劇。

 テーマは集団間の暴力で、コヴェントリーに移民してきたメイヨー出身の家族が主人公。教育のある長男マイケル・カーニーはイングランド人のベティと結婚して家庭を築いており、そこにアイルランドからマイケルの父と兄弟が移住してくる。このカーニー男所帯はヤクザな人々で、マイケルは末弟デズモンドが悪影響を受けてヤクザにならないよう心配するが、事態はどんどん悪い方向になり、カーニー家の男たちはコヴェントリで対立するヤクザと抗争するようになってデズモンドも巻き込まれ、とうとう死人が出る事態に…という救いのない内容。

 とりあえず戯曲自体はとにかく力のある作品で、移民先にまで氏族間抗争みたいなものを持ち込んでしまうカーニー家のヤクザぶりがすごくリアルだ。カーニー家はカリスマ的な父のもと、兄弟が共同で暴力を行使する集団として強い結束を誇っているのだが、とはいえ暴力に基づく家族の結束というのは一見強いものであっても所詮信頼に基づかない弱いものであって、ちょっとした不協和で内輪もめが始まる。カリスマ的な父が最後に失墜するところとかは実に皮肉がきいていてかつ悲劇的ですらあり、父を演じたナイアル・バギィの演技もいかにもアイルランド伝統のナチュラルなスタイルなのにカリスマ性があって非常に良い。あと音楽の使い方には目を見張るものがあり、たるんでくると歌が入って目が覚める…みたいな感じで非常に効果的だ。

 ただ、家父長制を主題とした芝居なのに女がここまでないがしろにされているのは無理があるんじゃないかっていう気がしてそこまでは評価できなかった。男どもの描き方がここまでリアルで生き生きとしているのに、たった一人出てくる女性であるマイケルの妻ベティはほとんど人間とは思えないほど存在感がなく、また言動も最初っから最後まで一貫性がなくて、途中で何度も「いやいや、こんな女いるか?」と思ってしまった(いやもちろんああいう女性もいるのかもしれんと思うが、私が今まで会ったどの女もあんな反応はしないだろうし、そもそも芝居の女性登場人物としてはデフォルメの具合とかキャラクター造形がいろいろな意味で貧困すぎではないか…と思うところがかなり多かった)。とくに第二幕の最後とかは意味不明で…第三幕は少し一貫性のある描き方がされていたように思うが、まあ存在感が皆無であることには変わりはない。しかしまあ家父長制下の暴力を主題とした芝居なのにここまで女が描けてないってちょっと無理がないか?この程度しか女性が描けないんなら、そもそも女性を一切出さずに家父長制のもとで押しひしがれる男どもだけの話にすべきだったのではと思うのだが。

 この間ブログでも紹介した「補助を受けている劇団における女優雇用が少なすぎる」というニュースでドルイドマーフィが例としてあがっていて、まあオールメール女形がそもそも少なかった頃に書かれた古典ばっかりやってるんならしょうがないところもあるし、少なくとも古典の芝居には『お気に召すまま』のロザリンドやモルフィ公爵夫人みたいに強烈な女性の役もたくさんあるから、オールフィメール上演の導入とかで徐々に改善するほかない…と思うところもあったのだが、現代劇でもドルイドマーフィみたいにそもそも女性をないがしろにした芝居ばっかりやってるんだったらそれはやっぱり演目のバランスの悪さとしてすごく問題だろうなと思う(私は現代劇は評判のいいものしか行かないのであまり一般化した話はできないのだが)。これからは女優さんを応援するつもりで、現代劇でなるべく女性が出ているようなものにも行くことにしようか…